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それでも僕は、投票に行く。

2014年12月13日 22時56分 JST | 更新 2015年02月12日 19時12分 JST

アベノミクスの是非が最大の争点だと言われている今回の選挙。専門家ですら意見が分かれるこの問題について、僕らはどう判断すればいいのか。分からないから今回は投票に行かない、という人も多いと思う。

「選びたい政党や人がなくても、無理矢理選ばなければならない。選ぶことを放棄したら、いつまで経っても自分好みの社会にはならない。」そんなことをいくら言われてもピンとこないだろう。そもそも政治が自分たちの生活を豊かにしてくれるということすら、疑わしいのだから。

考えれば考えるほど分からなくなるけれど、政治が自分たちの未来を左右する一つの手段であることには変わりがないとして、あるいは一人の大人として「選ぶ」ことができないなんてダサいという言説にのるとして、一体僕らは何をもって投票先を選べばいいのか。

YES/NO以外の選択肢はないのか。

選ぶという行為は、一方を選ばないということだ。

たとえば僕は、日本の経済には良くなって欲しいし、女性の社会進出には賛同するけれど、集団的自衛権や秘密保護法案、あるいは原発の再稼働などを十分な議論のないままに進めてほしくない。コンセンサスをとる行為を、もっと愚直に続けるべきだと思っている。今の成長戦略の欠点については、それを補う施策も取り入れるべきだと思う。

本当は、一方のやり方が失敗した時、すぐにもう一方の選択肢を試してほしい。あるいは、協力して乗り越える策を練ってもらいたい。そういうバックアップがある社会の方が健全な気がする。一つ一つの項目に分けたら、どちらにも賛同するポイントがあるという時に、それでも無理矢理、どちらかを選ばなければならないのが選挙だ。

選挙では時に互いの陣営を批判し、相手のあら探しをし、「我こそは」と訴え続ける。大音量の選挙カーと大演説は、僕にすぐYesかNoかを迫ってくる。

そこではたと考える。ある政党が主張するA案でも、あるいはもう一方が主張するB案でもなく、A&B案という道は本当にないのか。A&Bを昇華させたC案をともにつくり出すという行為は、今の政治の中ではできないのか。政治家には、最大公約数を見つけ決断する前に、まちの人の多様な意見を丁寧に聞き出し、ともにC案を探っていく行為が必要だ。でも、その行為を愚直にやろうとする努力は、十分されているのだろうか。

「ともに、やろう」という人を選ぶ。

僕が地方議員になって真っ先に手をつけたかったのは、インターネットの技術なども発達した昨今において、とにかく「参加型」の政治を実現することだった。まちの中には取り組むべき課題がたくさんあるけれど、それを全て行政で解決しようとしたら、お金も時間もかかる。ならば、「社会のために役立ちたい」と思うたくさんの人が、すなわち企業もNPOも住民もみんなができる限りの力を出し合って、解消できる仕組みをつくればいい。

必要なのは一人の政治家より、10,000人の素人の知恵だ。

右も左も上も下も関係なく、「まちをもっと良くするんだ」「自分たち好みのまちをつくるんだ」という気持ちで協力し合おう。地域の大人に見守ってもらう前提で、子どもが自由に遊べる公園をつくってはどうだろう?自転車シェアリングを行い、軒先のちょっとしたスペースを駐輪場として貸してもらったら?

政治家が主張することは大事だけれど、一見対立する人間の意見を受け入れる心の余裕と、ともに「C案」のアイディアを出し続けようとする姿勢は、もっと大事だと思う。きっとそれが、民主主義の基本なんだ。強過ぎる政治より、弱い政治の方が、生態系としては頼りがいがあるに違いない。

改めて、今回の衆議院議員選挙。そもそもなぜ今解散し、なぜ選挙に700億円近くのお金を費やしたのかもやっぱり分からないけれど...どちらか一つを「選ぶ」という行為は、為政者によって一方を亡きものにしてしまう可能性をもっているから、本当はとても嫌だけれど...それでもなお、政治家の良心とこれからの民主主義の可能性を信じ、投票にいこうと思う。

だから投票所では、「ともに、やろう」という言葉とアイディアをもった政治家を、選ぶ。人で、選ぶ。それを見極めるために、もう一度必死で自分の選挙区の政治家を研究しようと思っている。

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