成れる時に、成れるものにしか、成れない

過ぎたことを悔いていたり、先のことが不安だったりという気持ちではなく、いま、という一瞬と、ここ、という一点に気持ちを集中するんです。

成れる時に、成れるものにしか、成れない

「なるようになる!」とか、「なるようになれ!」

という言葉を聞くことが多いと思います。

言ったことがある。という人も多いと思います。

この「なるようになる!」とか、「なるようになれ!」

と言う時の心境ってどんな感じだと思いますか?

この前に言葉を付け加えるとするなら、

「えーい! もうやけくそだ! なるようになれ!」とか、

「もーどなってもいい! なるようになる!」など、

投げやりな心情を表現する時に

使う言葉ではないでしょうか?

やみくもに、何かに立ち向かうとき、結果を想定していたら出来ない。

という心情になるのは当然かもしれませんね。

そんなときは、ひとまず、深呼吸をして、

いま、ここに居る自分を確かめてみてください。

過ぎたことを悔いていたり、先のことが不安だったりという気持ちではなく、

いま、という一瞬と、ここ、という一点に気持ちを集中するんです。

いま、ここに居る自分を感じることができると、

肩の力が抜けて、下っ腹に力が入って、

地に足が付いていることを体感できるはずです。

これを自然体の状態といいます。

自然体の状態に成れたら、

「成れる時に、成れるものにしか、成れない。」

と声に出して言ってみてください。

やけくそでも無ければ、投げやりでもない、

「ああ、そうなんだろうなぁ」

とぼんやりとした前向きな気持ちになっていくと思います。

「なるようになれ!」「なるようになる!」

と頑張ってしまうと、どこか自分が望んだものを手放していない、

頑固を張って力んでいるような精神状態と身体の緊張状態になってしまいます。

張り詰めた精神状態と緊張した身体の状態では、

力は下から上に上がってしまい、不自然な状態になってしまいます。

不自然なわけですから、自然も味方してくれませんし、とても疲れてしまいますね。

「成れる時に、成れるものにしか、成れない。」

と言葉にすると、気持ちに余裕が出てきます。

自分が望んだ通りの結果にならないとしたら、

それは、まだ自分がその状態に成れる時ではない。

または、自分がその状態に成るために足りないものがある。

だから成れないんだな。と、諦めることが出来る訳です。

あきらめると、あきらかに見えてくるものがある。

という言葉があります。

そうなんです。

「成れる時に、成れるものにしか、成れない。」

という言葉は、自分の状態を明らかに見ながら

目標達成に進めていくために、

何が足りないか? 何をすべきか?

を明確にしていく言葉なんです。

常に、いま、ここに居る自分を感じながら、まだ成るときじゃないんだな。

と好機を待ってみたり、

成りたいものに成るために、何が足りないかを認識したりして、

次の目標を明確にしていくことができる力強い言葉なんですね。

「なるようになれ!」「なるようになる!」

では目をつむってしまっていて現状の確認も、目標の確認もできません。

やみくもに頑張ってみて、最後にチラっと片目を開けて、どうなったか恐る恐る見てみる。

という感じがしませんか?

これでは、何を、どう頑張ったのかも検証できませんよね。

もし、結果が望んだものになっていたとしても、

もう一回同じことをやって。と言われたら出来ないと思います。

常に、いま、ここに居る自分の状態を認識しながら、

目標に向かっての進行具合を確認し、足りないものを補いながら進めていくようにして、

目標を達成したなら、それは自分の成長を大きく感じることが出来て、

同じ状況が起こってしまったときに、

経験と実績から次はもっと効率よくできる可能性もでてきますよね。

成る時ではなかった。成れる自分ではなかったと分かれば、

成る時までに、自分がすべきことは何かが明確にわかるわけですから、

いまは、ひとまず、あきらめて、あきらかに見えたものを大事にしようと思い直せばいいんです。

いつか、必ず、成れるものに成れる時がくる。

という大きな希望を持っていれば、

成れないものは無いという不動の信念も湧いてくるかもしれません。

「成れる時に、成れるものにしか、成れない。」

いまの自分が、どんなものに成っているのかを考えてみて、

成りたい自分を描いてみて、目標に向かって、

成りたい自分に近づいていきたいですよね。

(2016年06月13日「ボトルボイス」より転載)