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「日本化」する世界。徐々に変わりつつある、クールの概念

2016年12月21日 01時59分 JST

どこかで見たことのあるデジャブのような光景。先月行われたW杯アジア最終予選「日本VSサウジアラビア」の試合終了後、敗戦したサウジアラビアのサポーターがゴミ拾いをしている姿を見たとき、私の脳裏には4年前の光景がフラッシュバックしました。

■賞賛と違和感の声が上がった4年前のロンドン五輪

2012年に開催されたロンドン五輪。男子サッカーの3位決定戦で日本は韓国と対戦し、惜しくもメダルを逃しました。試合終了後に話題を呼んだのが、日本サポーターがゴミ拾いをしている姿。テレビ中継で放映され、SNSを通じて世界中に拡散されました。

この行動に対しては賞賛の声が集まりつつも、一方で「負けて悔しくないのか」「なぜこんな無償の行動を起こすのか」といった意見も上がりました。試合に勝てば歓喜の雄叫びを上げ、試合に負ければブーイングなどで憤りや悔しさを顕わにする。こういった感情的な表現を好む海外サポーターの中には、違和感を覚えた人たちも少なくなかったと思います。

■「クール=利己的」から、「クール=利他的」へ

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(先日、ヨーロッパから来日した友人は、各地を回り、日本人の親切さに心から助けられたと話していました)

この行動が、4年の時を経て、今回のサウジサポーターのアクションにつながってきました。

ゴミを拾っている姿を見るに、半ば義務化しているようなボランティア精神や、メディアに取り上げられることを目的とした射幸心はなかったように思います。人が行動を起こす際に大きな拠り所になるのは、「こうすることがクールである」という価値観。サウジサポーターにとってゴミを拾うことは、ただただそれがクールだったからではないでしょうか。

これまでのスポーツ観戦では、「クール=自分の生々しい感情を好戦的に表現する」という利己的な傾向が強かったように感じられますが、そこに「クール=誰かのために行動を起こす」という利他的な要素が混ざってきているように思えます。今回はサウジサポーターの行動が取り上げられましたが、ロンドン五輪での映像や画像が世界中に流れたことを考えると、同じようなシーンが他でも見られる可能性は大いにあるはずです。

■世界の感性は日本の感性に近付いている

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外国人観光客がはじめて日本を訪れたとき、街中にゴミが捨てられていないことに驚く人が多いと聞きます。無償で山や川を掃除したり、ハロウィンでも盛り上がりと比例するようにゴミ拾いをする人たちが増えたりと、自分が出したわけでもないゴミを拾うという行動は日本では決して珍しくありません。

こういった行動が海外に浸透していくということは、世界の感性が日本の感性に近付いているという風にも捉えられます。「クールジャパン」という言葉は、カルチャーやプロダクトそのものに焦点が当てられがちですが、日本が誇るべきクールさは"利他性"や"奥ゆかしさ"といった精神性にこそ息づくもの。そこに共鳴する人たちが世界にはまだまだ潜在していることを、今回のサウジサポーターの行動から垣間見ることが出来ました。