有名デザイナーがベンチャーとタッグを組む理由とは~思いさえあれば実現できる~

「メイドインジャパンはこれだけ良いものをつくれると胸を張りたい」

一見、絵空事に感じられることも、思いさえあれば実現できる。世界的デザイナーである竹腰名生さんとのタッグが決まったとき、私はまざまざとそれを実感しました。

2012年設立のベンチャー企業であるファクトリエと、グッチやジル・サンダーを手掛けてきたデザイナーとでは、社会的なステータスは違うかもしれません。しかし、根っこの部分に同じものがあれば、年齢やキャリアの壁を超えてつながり合えるのです。

■モード界の花形デザイナー

竹腰さんの経歴を簡単にご説明します。

ニューヨークのパーソンズ美術大学を卒業後、東京のISSEY MIYAKEにてアパレルでのキャリアをスタート。その後渡仏し、チェルッティやグッチ、ダナ・キャラン、ジル・サンダー、アレグリなどのブランドを経て独立に至りました。

ジル・サンダーやアレグリではチーフデザイナーを務められたように、感性もスキルも世界基準。2001年にシグネチャーブランド「NAO TAKEKOSHI」を、2010年にはメンズブランド「NAO TAKEKOSHI SU MISURA」を立ち上げ、「マックスマーラ」をはじめとしたラグジュアリーブランドのコンサルタントも兼任されています。

■「メイドインジャパンの洋服を世界に発信したい」という共通項

世界基準の一流ブランドは、デザイン性の高さと着心地の良さを絶妙のバランスで掛け合わせています。掛け算の秘密を知ることは、ファクトリエが取り組んでいる「着心地の追求」を突き詰める上で大きな糧になるのではないか。

竹腰さんにお声がけした理由は、そこにあります。そうは言っても、竹腰さんは各方面から引き合いが絶えず、いくらでも仕事を選べる立場。多額の契約金を支払ってでもタッグを組みたい企業は多いでしょう。

そんな竹腰さんがファクトリエと組むことになったのは、「メイドインジャパンでのものづくり」という点で通じ合えたからです。竹腰さんはこれまでに数々の洋服を生み出されてきましたが、日本製の洋服をつくったことはありませんでした。

しかし、海外でキャリアを積んでいく中では日本人としてのアイデンティティを意識する機会が多く、「メイドインジャパンの洋服を世界に発信したい」という思いは年々膨らんでいたそうです。

ファクトリエの商品を手に取られたとき、「縫製のレベルはグッチにも劣らない」「生地が素晴らしい」など、数々の言葉をいただきました。商品を通して技術力の高さや素材の良さを実際に肌で感じられたことも、タッグを決めていただいた理由の1つです。

■工場と竹腰さんの相乗効果

最初に着手したのがレディースのトレンチコート。秋田県にある日貿産業横手工場に足を運び、工場側と何度も打ち合わせを重ねながら、スペシャルな一品の完成を目指しました。

シルエットの美しさはもちろん、羽織ったときの軽さや柔らかさ、動きやすさなど、竹腰さんは着心地へのこだわりに関しても余念はありません。二枚袖にすることでジャケットと重ねやすくしたり、腕の曲げ方に沿って自然にカーブするように人間工学を取り入れたりと、豊富な知識に裏打ちされた的確なディレクションは圧巻の一言。

工場が保持する技術力と素材に、竹腰さんの経験と感性をミックスさせたトレンチコートは、ファクトリエとのコラボレーションだからこそ生まれたと自負しています。

■チャレンジはまだまだ始まったばかり

トレンチコートが完成した後も竹腰さんとのコラボは継続しており、メンズ・レディースともに7型ずつ新商品をリリースしました。メンズはミニマルなルックスとパッと羽織れる気軽さを重視した"モダンベーシック"、レディースはモダンなシルエットを100%ウールのストレッチ素材で仕上げた"丸の内オフィススタイル"をコンセプトにしています。

ファクトリエのHPに掲載しているコーディネートでは、カルバンクラインなどを手掛ける大草直子さんに3年間師事した比嘉千夏さんがスタイリングを担当。洋服の特徴がありのまま伝わるように、モデルには敢えて服飾学校の学生を起用しました。

竹腰さんの「メイドインジャパンはこれだけ良いものをつくれると胸を張りたい」という言葉に表れているように、どのアイテムも完成度はお墨付き。さらには「工場の技術向上にも貢献したい」と語っていらっしゃるように、今後のコラボレーションにも意欲を燃やされています。ファクトリエと竹腰さんのチャレンジは、まだまだ始まったばかりです。

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