BLOG

旅を経た価値観の変化について − 「捨てる」ということ

2016年02月27日 21時07分 JST | 更新 2017年02月23日 19時12分 JST

こんにちは、TRiPORTライターの天野です。

旅に出る理由はそれぞれだと思います。なかには「自分探し」を目的として旅に出る人もいるでしょう。僕は決して自分探しを目的に一年間の世界一周をしたわけではありませんでしたが、日本に帰って結局変わった、というより変わってしまった自分に気づきました。

今回はその変化の中で、「捨てる」ということについて書きたいと思います。

帰国後、真っ先にしたこと

旅から帰ってきてまず最初に僕がしたのは、家の中の余分なものを処分することでした。僕が旅の間に持ち歩いた荷物は、だいたい20キロ。一年間、移動しながら生活するために、荷物はそれで十分どころか、まだ多いくらいで、なかには10キロの荷物しか持たない旅行者もいました。

荷物はなるべく少ないほうが、移動の苦労も少なくて済みます。そんな移動生活を経験した後では、モノに囲まれた生活を不純に感じるようになっていたのです。

必要なモノだけに囲まれて暮らす生き方。長旅をして身にしみて感じたのは「モノはなるべく持たないほうがいい」ということでした。もともと僕は物欲がないほうだったのですが、旅を経てそれにますます拍車がかかり、何か「捨てる」ということに意識が強く働くようになっていました。

2016-02-24-1456299259-5869737-aCIMG6454640x480.jpg

Photo Credit: Tomoko Malaghan「イランの文化と世界遺産を辿る2週間の旅

生活を捨てることで得た自由と葛藤

そもそも、僕が旅に出るには日本での生活を捨てなければならなかったので、はじめから僕の旅は「捨てる」ことと密接に関わっていたような気がします。生活を捨て、旅を続けることに対して、自由を得た反面、葛藤もありました。

一年間も旅をしていれば、つらい時期もあるものです。僕にとっては、ウズベキスタンからコーカサスを経てトルコ東部、そしてイランにかけて。日本を出てだいたい5ヶ月から半年くらいの時期が一番つらかったです。

2016-02-24-1456299278-4563822-b20131128_131019640x480.jpg

筆者撮影

これらの国でよく見たのは、水分の少ない乾燥した原野がただ茫々と広がっている光景です。例えばバスの休憩時に降りてみると、周りはもう何もなく、原野が広がっている。そして発車待ちという手持ち無沙汰な時間で、その荒涼とした眺めをただ無為に眺めているのです。すると「一体自分はこんなところで何をしているのだろう」という思いが沸々と湧いてきました。こんな、故郷から遠く離れた不毛の地で働きもせず、ただ茫洋と無為に過ごす。それにどんな意味があるのか、と。

旅に対する疲れや疑問に風景が重なり、自分の感情に拍車をかけていました。その頃見た世界遺産など大して印象に残っていません。むしろそのような、なんでもない路傍の風景が妙に脳裏に焼き付いているのです。それはきっと、その頃の僕の心象と一致していたからでしょう。僕は疲れ切っていました。

今振り返ると、日本でこれまで培ってきた、勤勉さを美徳とする価値観と、荒野をただ眺める無為な自分とがぶつかり、葛藤していたのだと思います。

2016-02-24-1456299296-3970803-cimage2600x800.jpg

Photo credit: Tomoko Malaghan「イランの文化と世界遺産を辿る2週間の旅

葛藤の先に生まれた変化

ただ、イランの後の半年間も、そのようなつらい旅が続いたわけではありませんでした。むしろ前に進むたびに楽しくなっていったのです。それはおそらく、僕の中で価値観が変わっていったからだと思います。

旅はハプニングの連続で、思い通りにいかないこともしばしば。その度にいちいち苛立っても仕方ありません。その場その場で目的地を決めたり変えたりすることを繰り返すうちに、いちいち思い悩むな、とりあえず今を楽しもうという考えに変わっていきました。「アフリカでも南米でも、人々は貧しいのに、それなりに楽しそうに生きているし、何を悩むことがあるのか」と。

おそらく僕は少しずつ、自分を縛っていた価値観という軛から、自由になっていったのだと思います。

2016-02-24-1456299428-7799141-d20140309_190727e1455455366604600x800.jpg

筆者撮影

「捨てる」ことで見えてきたもの

日本での生活を一度捨ててみて見えてきたのは、自分という人間の輪郭がよりはっきりしてきたということです。社会の中で生きていると、自分よりも他人の思惑に左右されることが少なからずありますし、左右され続けた結果、自分の輪郭がぼやけて自分が何をしたいのかも、わからなくなってきます。

他人を気にする文化の日本社会は特にその傾向が強いと思います。そこから一旦離れることで、僕は自分がどういう人間で、何がしたいのかが前より良くわかるようになったと思うのです。そしてそれは、「捨てる」ことがなければ見えなかったと思います。

その一方、僕は「捨てる」ことで社会的、外面的なものを多くを失いました。それでいいのかと考える向きもあるでしょう。しかしその代わり僕は内面的なものを豊富に得ました。今の僕には、そのことを後悔していないということだけで十分なのです。

旅は本当に人を変えます。変化の先にある展開は、僕にはいまだ予想も付きませんが、ただ一つ、言い得ることがあります。予想し得ないのが旅であり、その中にこそ悦びがある、と。

ライター:Masashi Amano

Photo by: Tomoko Malaghan「イランの文化と世界遺産を辿る2週間の旅

Compathyで関連旅行記を見ましょう

2016-02-24-1456299444-5811199-eimage4640x340.jpg

Tomoko Malaghan「イランの文化と世界遺産を辿る2週間の旅

2016-02-24-1456299482-2814954-f20131122_152257640x340.jpg

Masashi Amano「イランの旅。マシュハドからヤズドに向かう寝台列車の中での出会い

【関連記事】

訪れてわかったイランの姿 - 見ると聞くとは大違い

常識とは何か?旅の中で感じた、常識そのものに対する疑問

ケニアで出会った世界の常識とは?「幸せ」ってなんだろう

http://blog.compathy.net

▲編集元:TRiPORT