ホモセクシャルを30年以上守り続ける方法

LGBTの議論が実はLGBTの人々のためだけの議論でない。

オーストリアのLGBTについて取材する連載もこれで最終回です。第1回でウィーン・プライド第2回ではオーストリアのLGBT全般をみてきました。最後にウィーン・プライドを主催したHOSI(ホモセクシュアル・イニシアティブ・ウィーン)についてうかがいます。LGBT社会に関するどんなヒントがみつかるでしょうか?

レインボー舞踏会でのヘーグルさん
HOSI Wien
レインボー舞踏会でのヘーグルさん

ーーHOSIは1979年に創設された、ホモセクシャルを代表する団体ですが、どのようにして始まったのですか?

ヘーグル:オーストリアで1971年にホモセクシャルが合法化し、8年後にHOSIが創設されました。新聞広告を出して、HOSIの男性メンバーを集いました。

ーーHOSIのメンバーはどんな人達なんでしょう?

フレーリッヒ:多種多様です。ほとんどがボランティアですから、若い学生が多いです。その他に、教師、ブルーカラー、インテリ、役者、アーティスト、公務員、無職などの人もいますよ。私は様々な種類の人がいることを誇りに思っています。彼らはGuggのバーテンダーをしたり、ロビイストととして働いたりしてくれています。

ーーHOSIにはLGBT以外のメンバーもいますか?

フレーリッヒ:2、3人いますが、99%はLGBTです。

ヘーグル:メインはレズビアンとゲイですが、バイセクシャルもいます。トランスの人も数人。インター・セックスの人もいますが、非常に小さいグループです。

Tsunanori Chinatsu

ーーでは、この場所について教えてください。HOSIが運営するGuggという名のカフェですよね。

フレーリッヒ:我々は長い間地下室で活動していましたが、そこを出てより大きな施設にする機会ができました。それは我々の事業が大きくなったためです。毎年2つの大きなイベントである、プライドと舞踏会を開くようにもなり、明るくオープンで、楽しめる場所が必要になったのです。地下から一階に躍り出て、もう隠れる必要もなくなりました。また、このインフラを提供して、場所がないコミュニティーをサポートしたいのです。彼らはここで、毎月ミーティングをしたりしています。

ーーLGBTがGuggに集まるというのはわかるのですが、LGBTとそうでない人の交流はあるのでしょうか?

フレーリッヒ:ありますよ。例えば、我々は劇団を運営していますが、ヘテロセクシャルの人も劇を見に来ます。私が主催する女性のミーティングでは、女性がレズビアンかヘテロセクシャルかどうか聞きませんが、多くのレズビアンはヘテロセクシャルの友達と一緒に来ますよ。ただ、面白がって観察しにくるだけの人は好ましくありません。

カフェGugg内装
Tsunanori Chinatsu
カフェGugg内装

ーーLGBTの理解を広めるという外交的な苦労は多いでしょうが、内部においてHOSIを運営する上で何が最も大変でしょう?

ヘーグル:多くのことをきちんとこなすことですね。仕事量が多すぎて、個人的にバーン・アウトのような状態です。コミュニティー・センターはほぼ毎日営業していますし、多くの巨大イベントが目白押しです。今後は、より強力な組織が必要でしょう。資金がもっと必要ですし、2人のフルタイムにも満たない従業員とボランティアだけでは不可能です。組織の中には、私を含めて数十年も働いてきたスタッフを変えようという動きもあり、容易ではありません。

ーー話は変わりますが、HOSIのホームページに20世紀の犠牲者のリハビリと賠償を求めているとあって、驚きました。現在だけでなく、過去の遺産についても活動しているのですか?

ヘーグル:あれは象徴的な意味あいが強いですが、我々はナチの犠牲者のために戦いました。2005年の法律でナチ犠牲者として性的指向の文言が加えられました。それも保守政党が20年もブロックしていたのです。しかし、現実的には賠償を享受できる犠牲者の生き残りはほとんどいなかったと思います。ただ、戦後もゲイであったがために、刑務所に送られた人もいて、その中でまだ生存している人には、そこで失った時間に対しての賠償は意味があるかもしれません。ただ、こうしたケースは容易ではありません。ケースごとに、児童と関わっていたかどうかとか、現在合法かどうか、同性と異性との法律の差があるかどうかなど、チェックしなければなりません。オーストリアが後悔を示すという意味では意義があります。

ーーその他多くの法律の成果も列挙されています。個人の裁判などのサポートなどで、弁護士などとよく一緒に働くのですか?

ヘーグル:たまに弁護士を雇うこともありますが、あまり多くありません。労働環境での差別に関しては、他に我々がメンバーである法律系の団体がありますが、ここ10年で裁判沙汰は2、3件しかありません。そうした状況がほとんど存在しないか、訴えて闘うまでには至らないことが多いです。

バーバラ・フレーリッヒさん
Tsunanori Chinatsu
バーバラ・フレーリッヒさん

ーーHOSIはLBGTをサポートするのが仕事ですが、今までで一番大変だった個人的な問題はなんでしょう?

フレーリッヒ:あるレズビアンのケースですね。彼女は結婚歴があり、前夫との間に子供がいたのですが、その後レズビアンであることを望み、カミングアウトし、離婚しました。しかし、前夫が子供の返還を求め大きな問題になりました。オーストリアでは12才になると、子供が保護者を決められるのですが、当時はまだ5、6才の子供でした。結局裁判で前夫が勝訴しましたが、彼女は大変だったでしょうね。

ーー子供の問題は特に難しいでしょうね。さて、最後になってしまいましたが、今後の活動について教えてください

フレーリッヒ:2019年にはウィーンでユーロ・プライドが開催されるので、大きな用意が進行中です。ただ、個人的には今年10月にある欧州レズビアン会議に期待しています。ヨーロッパで最初のレズビアン・オンリーの国際会議になります。実はその重要性を示す面白い数字があります。国連はLGBT機関に出資しているのですが、レズビアン・オンリーへの出資率は、全体の100ドルに対して、たったの0.01ドルだけです。つまり我々はLGBTの中では一番低い位置にいるのです。そのため、この会議を開催することを大変誇りに思っています。女性が一堂に集まり、いいネットワーク作りができます。特に、東欧諸国が参加できる機会があり、参加者は各国でレズビアンの地位を高めるためのアイデアを得ることができます。HOSIはこの会議を精力的にサポートしています。

ーーレズビアンに加えて、女性全般の権利という面でも大きな意義がありそうですね

フレーリッヒ:その通りです。レズビアンは女性であることと切り離すことができませんから。我々は、女性の権利のため努力をし、その中でさらにレズビアンに特異な権利のために努力をするのです。

ーー忙しいなか時間を作っていただいて、ありがとうございました

これまでHOSIのお二人とのインタビューを三回に分けて連載してきました。二人の活動の中心であるゲイとレズビアンの話が多かったのですが、取材を終えてオーストリアにおけるLGBTの現在が少し見えてきました。日本に比べると、すでに多くのことを達成してきた印象を受けます。しかし、会話の中で、草の根の活動が実を結ぶまでの人生をかけた苦労もうかがわれました。マイノリティーの権利の獲得は、HOSIのような団体の強い意志がなければ不可能でしょう。

また、LGBTの議論が実はLGBTの人々のためだけの議論でなく、21世紀の我々の社会を考える上で、多くの示唆に富んでいることが浮き彫りになったかと思います。例えば、結婚観や家族観、ライフスタイルといった点から、自由・平等・権利と義務。さらには宗教や民主主義。政治経済やグローバリゼーションなど、実は非常に多岐にわたる社会全体の価値観に関わる議論なのだということがわかってきました。つまり、全ての市民がなんらかの形で議論に参加する必要性があるのではないかという問題意識が芽生えたのです。

ヘーグルさんの家の玄関には小さな虹色のシールが貼られていました。長い差別との戦いの歴史が滲むLGBTの紋章。それは、まさにプライドです。別れ間際に、「妻とは20年結婚しないで一緒なの!」と笑顔で語ってくれたフレーリッヒさんには、親切心と愛の強さを見ました。今回の取材はLGBTだけではなく、これからの日本社会や世界の情勢を考える上で貴重な情報が詰まったものとなったのではないでしょうか。