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寛容とは何か オランダと日本の移民問題をさぐる(2)

2017年05月13日 00時56分 JST

寛容とは何か オランダと日本の移民問題をさぐる(1)」では、オランダの寛容さを地理・歴史、柱状化社会、ビジネス、言語といった側面から考察してみた。今回は、最後に政治について触れてから、日本へ舞台を移していく。より身近なことになるので、皆さんも一緒に考えてみよう。

政治

オランダで感心することがある。民主主義の徹底とその透明性だ。前者は誰もが平等に民主主義に参加できることをさす。誰にでも意見を言う場が与えられるということは大きな意味を持つ。前回紹介の記事でもオランダが比例代表制であるために、いかに少数派の意見を尊重する風土があるかが窺える。

今回の総選挙で実に28もの政党が立候補した。外国人の選挙権に関して言えば、EU市民ならば、市議会選挙と欧州議会選挙、非EU市民でも5年以上滞在すれば、市議会選挙への参政権が与えられる。税金を払っているのだから、当然の権利という主張があって、懐が広い。

ちなみに私は一度、市議会議員候補の英語ディスカッションに参加したことがある。オランダの政治に詳しくない外国人向けに議員候補が政策を説き、質疑応答をするものであった。そこに有名政党のオランダ人議員候補に混じって、一人イスラム移民系候補がいた。他の議員候補の流暢な英語に比べると、アクセントがきつく、聞き取りにくかったのだが、それでも声高に自らの主張を述べた。

ただ、他の候補との議論に参加できずに、あまり相手にされていない点が印象に残った。この場面は、オランダ人が政治参加の平等を認め、意見の場を与えてはいるが、(特に文化の異なる)相手の意見を認めるかどうかは別問題、という風に私には写った。

さて、参政権条件の5年という数字だが、これは外国人にとって重要な年数である。オランダに5年以上滞在した場合、二つのことが可能である。国籍取得申請か定住申請ができる。もちろん、言語や安定収入など各種条件がある。ちなみに文化・言語能力はコンピュータによるテストに合格する必要がある。

ただ、そのレベルは国籍取得という大事と比べると低い印象を受ける。諸条件を満たし、授与式に参加し、オランダに「忠誠を誓う」と見事にパスポートにありつけると同時に、当然参政権が得られるということにもなる。オランダ国民になるということは、EU市民になることと同義である。

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オランダの選挙ポスター掲示板

日本

それでは、日本は外国人や移民に対して寛容かを考えてみよう。オランダの例に漏れず、地理的条件が一つの決定要素であることは否定できないであろう。開かれたオランダと対照的に、その島国らしい伝統のためか、外国人の流入や移民・難民受け入れにはおおむね懐疑的だ。「日本の皆さんへ」シリア難民が語る将来(インタビュー後編)でも述べたが、日本の難民受け入れは限定的である。

また、報道によると、外国人労働者数は昨年初めて100万人を突破したが、その割合は先進諸国でも低い。統計上単純比較はできないが、国際労働比較データブックによると、労働力人口総数に占める外国人労働力人口(ストック)の割合は(2009年)、日本(0.8%)、ドイツ(9.4%)、フランス(5.8%)、イギリス(7.3%)、アメリカ(16.4%)、韓国(2.0%)、シンガポール(34.4%)である。 また、日本は外国人にとって魅力的な職業環境を提供しているとはいえないという意見もある。

歴史的に見ても、度重なる侵略や長期にわたる占領を経験しなかったこと、そして200年にもわたる鎖国は、日本人自身が「ガラパゴス」と揶揄する閉鎖的気質を作り上げたのだろう。そのため、イギリスのような島国とは違った結果を招いた。東京はロンドンに代表されるような多民族都市にはならなかった。これは、その良し悪しは別にしても、イギリスという国がノルマン人など他民族侵入の歴史をもち、19世紀以降大英帝国が誇った植民地の歴史が影響していると言わざるを得ないだろう。

入国ということに関していえば、日本ではここ数年門戸開放政策の旗が振られてきた。20、30年前に比べれば、グローバル化の影響もあって都市部では外国人を見る機会が激増した。特に、2020年のオリンピック・パラリンピックに向けた官・民の観光促進政策がすすむ。その経済効果を謳う政治家が先導している感はあるが、おもてなしという寛容の様々なプラス面があげられよう。

ビザの緩和、観光客向けのインフラの整備、AIによる多言語サービスの開発イスラム教徒向けハラールの提供など、徐々にだが様々なかたちで多民族・多宗教・多言語を受け入れる体制を整え始めている。

一方で、外国人労働者に関連するマイナス面の話題が増えてきている。どの産業も人手不足から外国人採用に寛容・積極的になってきているのと同時に、様々な問題も指摘されている。特に注目されているのは、外国人技能実習制度で、制度が悪用されたり、長時間単純労働など労働環境の問題も顕在化している。日本語の習得の難しさなどハードルの高さも取りざたされている。

また、数年間の短期滞在は可能でも、その後の帰国を促すため、定住への門は狭い。このため外国人の研修疲れや人種差別も増加している。こうした点を踏まえて、個々の事故・事件の報告や本制度の推進機関であるJITCOによる各種アンケート調査も行われている。

また、政府も新法案などを作成し、改革に乗り出してはいるものの、悪循環が続いているのが現状のようだ。雇用者が言うように、人手不足が女性や高齢者の活用だけでは追いつかないほど危機的状況だとしたら、それを解決してくれている外国人に対して、我々は本当に寛容に接しているのだろうか?

参政権に関しては、オランダと一線を画す。ご存知のように、日本では参政権は憲法第15条により日本人固有の権利とされている。

つまり帰化でもしないかぎり、基本的に外国人に参政権は認められていない。(話がそれるが、ヨーロッパ人と日本人では民主主義や権利に対する思いが違うと感じる。それは、彼らが市民革命や戦争を経て、血を流して政治的・法的権利を勝ち取った誇りがあるからに違いない。高い投票率や市民デモなどを眼にするたびに、政治に対する関心の高さがうかがえる。

よって、西洋のコピーであったり、上から与えられてきた日本の民主主義と違う結果になるのは、ある意味当然なのかもしれない。参政権付与の寛容さはその余裕からくるのだろうか)帰化に関しては、基本条件はオランダとそれほど変わらず、滞在5年以上、安定収入や日本語能力などが必要である。ただ、一般的に日本の帰化審査は長期間かかり、厳しいと言われている。

さて、日本人は日本語に対する寛容さは比較的あるように思える。テレビ番組で日本語が話せる外国人が人気でよく出演するし、上手くなくても日本語でコミュニケーションがとれる外国人を歓迎するきらいはある。私もボランティアで外国人に日本語を教えていたが、その多くは日本語が非常に上手く、感心したことを覚えている。ピーター・フランクルもその著書でそんな日本体験を面白おかしく記している。

問題は、外国人がいくら流暢に日本語が話せても、日本国籍を取得したとしても、日本人は彼らを日本人と認めない傾向があることだ。日本人であるなしを、外見のみで判断する人が多いのではないか。日本人ハーフの悩みもここに透けて見える。人種交配の歴史が浅い日本では、外見に関する寛容さは低いと言わざるをえない。

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オランダ人の寛容さのまとめ

これまで見てきたように、オランダ人の寛容は概ね本当のようだ。移民政策に加えて麻薬、売春、LGBT、安楽死など他にも様々な寛容が体現されている。日本も含め他の多くの国に比べれば数段寛容である。しかし、シャバン氏も指摘するように、近年の外国人移民の急増にともなって、有名なオランダの寛容にも無理が生じ始めてきているようだ。

その現象を象徴するのがウィルダース議員率いる自由党の台頭だ。個人的には数年前まで、ウィルダース議員を問題視するオランダ人を多く見てきたが、彼らが口にしなかったのは、自由党を支持するオランダ人についてである。

今回の選挙では、第一党には及ばなかったものの、議席数を8%から13%まで伸ばし、第二党に躍進した事実は変わらない。多くのオランダ人が支持している事実に彼らは目を瞑っていたのである。また、政権側もそうしたオランダ人支持者の声を無視できなくなりつつあり、政策転換に迫られている。

また、地理的条件と歴史的背景、そして商売気質に裏づくオランダの寛容さも、実は表面的なものだった可能性がある。表向きは多文化・多宗教・多様性を先駆的に実行し、評価されるべきだが、その現実的かつ効率的な政策は一方で、柱状化社会に代表される分離主義的な要素を含んでいたのかもしれない。

思うように進まなかった社会統合や、現在急増する移民がもたらす宗教や文化に対して、オランダ人が感じる違和感は、移民統合が根っこの部分では手付かずに放置されてきたことが原因なのではないだろうか。これに移民出身のテロリストの危険性が叫ばれ、拍車をかけている。今後オランダがどのような道を歩むのか興味はつきない。

最後に、二点だけ追加しておきたい。あるデータによると、オランダ人も自身について、いろいろと誤解しているかもしれないという。イスラム移民の人口を過大に見積もったり、性についての寛容度を過小評価しているとの報告もある。そして、寛容だけでなく、オランダという国やオランダ人について、面白おかしく知りたい人は、英語だが有名な本「The Undutchables」をお勧めしておく。オランダに住んだことがある人は間違いなく納得し、笑えるはずだ。

寛容の未来

何をもって寛容とするかは議論の的になるところである。また、それを実践するのも簡単ではない。今回はオランダ人の寛容さという「ステレオタイプ」についていろいろな観点から観察し、日本とも比較してみた。グローバル化によって、今後日本でも移民の増加は避けられないだろう。

だとしたら、移民の歴史が長いオランダから、寛容の良い部分や悪い部分を学ぶことができるはずである。ただ単に移民や多様性を受け入れることが寛容という単純な構造ではないことがわかるだろう。一方、トランプ大統領の「アメリカ第一」を筆頭に、自国中心主義が世界中ブームの様相である。「Think Globally, Act Locally」とは言っても、社会が極度に多様化・複雑化した現在、グローバルに考えるのは予想以上に難しい。インターネットなどの技術の高速な普及で情報だけは瞬時に入手でき、グローバルになった。

しかし情報を処理し、考えて行動する人間がその急速な変化についていけていないのではないか。また、急激な変化は反対も生みやすい。寛容になるためには、新しい環境に慣れていく時間も必要であろう。その意味では、議論が始まり、少しずつ社会が変わり始めてきたことは評価されるべきであろう。本稿は経験論が中心で、正確な実証をしたわけではない。また個々の詳細は議論できなかったが、総合的な論点はかじれたのではないかと思う。ささやかな本稿が読者に考える機会を与えられたとすれば、幸いである。