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日本の国連加盟60周年記念シリーズ「国連を自分事に」(3)

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2016年、日本は国連加盟60周年を迎えます。

国連と日本のあゆみにおいて、それぞれの立場から国連の理念につながる活動や努力を積み重ねている方々が大勢います。重要な節目となる今年、国連広報センターでは、バラエティーに富んだ分野から国連を自分事と考えて行動している方々をご紹介します。

シリーズ第3回はパラリンピアンのマセソン美季さんです。

第3回 マセソン美季さん

スポーツで、障害を持つ人々にパワーを!

~2020年東京パラリンピック大会は、共生社会を築く~

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(提供 OHCHR_Danielle Kirby)

マセソン美季 さん

1973年生まれ、東京都出身。東京学芸大学卒。高校大学時代は柔道部に入部。体育教員を目指すも1年の時に交通事故で脊髄を損傷。下半身不随になり、車いす生活に。入院中に障害者スポーツに出会い、車椅子の陸上競技を始める。

その後アイススレッジスピードレースを始め、1998年の長野パラリンピックに出場。3つの金メダルと一つの銀メダルを獲得すると共に、世界新記録を更新。大学卒業後、障害のある選手への指導を学ぶためイリノイ州立大学に留学。2001年にパラリンピック・アイススレッジホッケー選手のショーンさんと結婚し、カナダへ移住。現在2児の母でオタワ在住。日本財団パラリンピックサポートセンター勤務。

聞き手:国連広報センター 妹尾

突然の事故、そしてスポーツを原動力に


Q. マセソンさんは学生時代に突然交通事故に遭われ、その後、障害者スポーツの実践者になり、さらにはパラリンピックに出場して素晴らしい功績を残して現在に至っていらっしゃいます。突然の事故は、人生最大の危機というべきとても落ち込むような経験だと思うのですが、マセソンさんはいつも前向きでいらっしゃいますね。その原動力は何なのでしょうか?

A. スポーツですよ、スポーツ。大学1年の時、大怪我をして自分の将来に大きな不安を抱きました。けれども障害があってもスポーツはできるとわかったとき、アスリートというアイデンティティーだけは持ち続けることができました。そのお蔭で、生活していく上のモチベーションや、幸せの感じ方などを維持することができたのだと思います。

スポーツをしているときは、できない事を考えるのではなくて、どうすればもっと速く、もっと強くなれるかと競技力の向上に考えを集中しました。障害のことも忘れられました。スポーツがなければ、「あぁ、私これが出来ない」とネガティブになっていたかもしれません。しかし、スポーツをしていたからこそ常に前向きになることができたのだと思います。

私自身はもう競技からは離れましたが、二人の子ども達のスポーツで毎日を忙しく過ごしています。冬場は家族でクロスカントリースキーをしています。

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北海道釧路市での合宿で練習するマセソンさん (提供 朝日新聞社,1999年1月27日)

Q. パラリンピック、障害者のスポーツについては以前からご存知だったのですか?

A. それまで全く知らなかったのですが、事故で入院しているときにお世話になったお医者様がたまたまパラリンピックについてよくご存知でした。病院で寝たきりとなり、脚が動かないことを宣告された私に、比較的早い時期に「まだスポーツができる」と教えてくださったのです。もともと水泳をやっていたので、初めて病院から外出許可が出たときにプールに連れて行ってもらったんですよ。

不安もありましたが、医師と一緒なら何かあっても大丈夫、という気持ちでした。その出会いに感謝しています。落ち込んでいる時期には「どうして私がこうなってしまったんだろう」と悩むこともありましたが、自分が集中できることを早い時期に見つけ出すことができたのは幸運でした。

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スポーツこそが私の原動力、と語るマセソンさん

Q. その後、障害のある選手へのコーチングを学ぼうと思ったきっかけは、何ですか?

A. 徐々に海外の大会に出ることが多くなり、ジュニアの選手が活躍する姿に心を打たれました。私は当時20代でしたが、日本では「若手の新人」と言われていたんですよ。

でも、外国ではもう10代の選手が出てきていて、ジュニアのための指導者層、選手層も厚かった。でも、残念ながら日本の状況はそうではありませんでした。ジュニアの選手を育てていかないことには、競技の将来もないと気付いたのです。そこで、「ジュニアを育てるために指導者が必要なのであれば、私が大学で勉強してみよう」と決意を固めました。

また、障害のある女性の参加で言えば、アスリートとしての参加率は世界で7%に留まっていると言われています。つまり、世界の93%の障害を持つ女性はスポーツに参加していないのです。私を含めスポーツができる者は、本当に恵まれています。日本でも競技人口はまだまだ少ないです。

Q. この6月に国連のジュネーブ本部でスピーチされていましたが、その感触はいかがでしたか?

A. 私にとって、ジュネーブの国連での時間はとても有意義でした。国連の人権というと、対立している国々が向き合っているという堅苦しいイメージがありました。ところが、人権というテーマの下でスポーツは意見の異なる人々や国々を一つにまとめる力があると感じました。オリンピックやパラリンピックを上手に活用すれば、人々の間の共通理解を向上させる助けになる ― そんなスポーツの力を実感しました。

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国連ジュネーブ本部で開催されたパネルディスカッション 「スポーツとオリンピック精神 - 障害を持つ人々を含むすべての人々の人権のために」に参加。ザイド・フセイン国連人権高等弁務官(左)と(提供 OHCHR_Danielle Kirby、2016年6月28日)


2020年東京パラリンピック大会の成功をめざして、私のできること


Q. 現在のお仕事について伺います。日本財団パラリンピックサポートセンターに勤めていらっしゃいますね。どのようなところなのですか?

A. 日本財団パラリンピックサポートセンターは、2020年東京パラリンピック大会の成功を目指し、パラリンピックの普及、パラリンピックムーブメントを推進できるよう、2015年に設立されました。場所は日本財団ビル4階にあります。

パラリンピック競技団体の共同オフィスとしての場の提供のほか、学校や企業を対象とした教育事業、障害のある人もない人も一緒に参加できるイベントの実施などを行っています。ユニバーサルデザインの画期的なオフィスで、素晴らしい職場環境です。

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G7伊勢志摩サミットの関連イベントとして行われた「パラスポーツ体験イベント」で、安倍昭恵首相夫人をはじめとするファーストレディの方々と。(提供 日本財団パラリンピックサポートセンター,2016年5月27日)

Q. そのパラリンピックサポートセンターでは、具体的にどのようなお仕事をしていらっしゃるのですか?

A. 日本国内外におけるパラリンピックムーブメントの推進事業やパラリンピックを通じた国際貢献事業を担当するほか、日本国内でのパラリンピック教育の教材作りを国際パラリンピック委員会と一緒に進めています。2012年のロンドン大会では開催の4年前から「ゲット・セット(Get Set、準備しよう! という意味)」という教育プログラムが実施され、子ども達のパラリンピックへの関心を高め、知識を増すよう様々な工夫がされました。

「ロンドンのパラリンピック会場はこの教育プログラムのおかげで満員になった」とも言われているほど、「ゲット・セット」には大きな影響力があったのです。これを受けて、2020年東京パラリンピック大会に向けては、国内におけるパラリンピック教育を、日本パラリンピック委員会と日本財団パラリンピックサポートセンターが中心となって進めていくことになりました。

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日本体育大学での特別プログラムにコーチング・スペシャリストとして参加。プログラムには世界各国からコーチが参加し、選手の実力を引き出す指導法について議論が行われた (2016年7月11日)



Q. この開発中の教育プログラムの特徴は何ですか?

A. パラリンピックを身近に感じ、興味関心を寄せてもらえるように、また、先生方が使いやすい教材にできるよう、現場の声を反映させながら作っています。宿題に親を巻き込むような問いかけを意図的に盛り込み、子どもが習ったことを自分の言葉で家庭でも伝え、父母や祖父母にも学んでもらう「リバース・エデュケーション」という方法も盛り込んでいます。

小学生など小さい時に、障害のある人に接し、そのような方々のことを身近に学ぶことで、差別や先入観を持たない子どもに育ってほしいという思いが根底にあり、同時に知らず知らずのうちに親たちも巻き込むという形です。ロンドンパラリンピックの際、約270万枚売れたチケットのうち75%は家族連れでした。「ゲット・セット」のおかげで、子ども達が会場に足を運びたくなる。

そうすると兄弟も親もついて行くのでチケットの売り上げ枚数も大きく伸びたと言われています。私も教育プログラムの効果に大きな期待をしています。パラリンピック教育を通じて、パラリンピックのファンを増やすだけでなく、多様性あふれる共生社会が日本でも広がれば、と願ってこの仕事に関わっています。

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子ども記者にパラリンピックについて説明するマセソンさん (提供 日本財団パラリンピックサポートセンター)


障害者スポーツと日本


Q. 日本での障害者とスポーツの現状について教えて下さい。

A. まず、日本では障害者が簡単にスポーツに親しめる環境が、北米と比べて整っていないように感じます。例えば体育館を使おうとしても、「車椅子の方は危ないので使わないでください」、「前例がないので」、「安全が確保できないので他のところでお願いします」、と言って断られることが未だにあります。

北米ではスポーツをする権利は広く認知され、いつでもどこでもみんなと同じように楽しむ権利が与えられており、障害のある人が当たり前にコーチする姿も見られます。日本では、インフラ整備や受け入れ体制に限らず、社会の仕組みや管理をしている人々の考え方も様々で、障害があることがネックになってスポーツをしたくても簡単に出来ないという状況もあると感じます。

カナダで、常に特別な受け入れ態勢があるという訳ではないですが、逆に特別扱いもされません。でも、臨機応変な対応にはあらゆる場面で感心させられます。

Q. パラリンピックを目指し、障害者スポーツの育成強化をしていく上で日本では特にどこに重きを置いているのですか。

A. 最近は「タレント発掘プログラム」が積極的に行われています。日本体育大学の辻沙絵選手がパラリンピックの代表に決まりましたが、彼女はもともと日体大でハンドボールをしていました。パラリンピックで適した競技がないかと適性検査を受けたところ、彼女は短距離により適しているということで、短距離に転向し、それでリオ出場に決定しました。

やりたいと思った競技が自分の適性に合っているのかを評価してくれる人は今までいませんでしたが、このようにデータを解析して「あなたなら、きっとこっちが向いているだろう」という新しいアプローチが、2020年の東京パラリンピックをきっかけに増えてきています。

冬季の競技から夏の競技に転向してみるといった競技間の移動も徐々に出てきているようです。

バリアがあってもバリアを感じない社会へ


Q. 日本では「共生社会の実現」によって障害者の方々とのインクルーシブな社会を目指しています。一方で、まだまだ課題はあるようでが、マセソンさんから見て障害者の方々にとって住みよい社会という点で、何かご提案などありますか。カナダとの比較でもよいですが。

A. バリアフリーについては、こんなことがありました。日本で会議に参加していて車いすでも利用出来るトイレの場所を聞いたら、「地下に降りて隣のビルに通路で渡ったところにあります」と。5分や10分の休憩時間で戻って来られない距離だと感じました。インフラ整備に関しては、実際に使う人のことをもっと考えていただければ、と思うこともあります。

同じお金をかけるのであれば最初から当事者の声をくみ取っていただければよかったのに、という残念なケースがあります。エレベーターやスロープの設置の際、最初に当事者の意見を聞いてくれれば、「この向きが使いやすい」と提案できるのですが、出来上がった後に直すことは難しいですよね。

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マセソンさん、家族と。日本財団パラリンピックサポートセンターにて。(2016年 夏)

Q. 住んでいらっしゃるカナダと比べてもいかがですか。カナダに学ぶべきところも多いでしょうか?

A. そうですね。カナダもインフラ整備が100%できている訳ではありません。違う点は、インフラが整備されてないところでも周りにいる人たちが助けてくれるので、バリアがあっても私はバリアを感じないんですよ。

日本だと、例えば私が電車に乗るとき、大抵は自分で乗れるのですが、ほんの少し段差が高すぎて自分ではどうすることもできないことがあります。すると、そこにいる人たちに助けを求めると、駅員さんを呼んできますと言われることがありました。特別なスキルなんていらないし、ちょっと手を貸してくれればいいのに「どうしていいかわからない」、「私にはスキルがないから助けることができない」と感じてしまうからでしょうか。

また、私が日本に一時帰国して違和感を覚えることがあります。こんなに人口が多いのに町に障害者がいない、ということです。どこの国でも障害者の比率はだいたい同じです。カナダでは車椅子に乗っている方や歩行器を使っている方はあちこちにいらっしゃいます。それが日本では、人は驚くほどいるのに車椅子に乗っている方にはほとんど会わないので違和感があります。

日常生活の中で、障害のある人を見たり接する機会が少ないので、障害のある人への接し方に慣れていないのではないかという印象を受けます。だからこそ、私自身、感じたことを言葉にして伝えることの大切さ、言うべき立場の者がきちんと伝えていかないといけないという使命を強く感じています。

息子達の学校にも、車椅子に乗っているお友達がいます。先生に言われたからやるのではなく、お友達のためにドアを開けたり、下に置いてある靴を移動させたり、子ども自身で状況を見て判断して行動しているようです。障害のある人間を見たことがない、慣れていない状態で教科書だけで教えても「共生する社会」は浸透しにくいと思いますので、やはり経験が必要なのでしょう。

Q. ところで、マセソンさんが日本に出張しているときは、どなたがお二人のお子さんの面倒を見ていらっしゃるんですか?

A. 夫です。毎日お弁当を作ってくれています。この仕事をお引き受けする際、やってみたい仕事ではあったものの、海外出張で家を不在にすることも増えるので、果たして自分にできるのか、母親業と兼業できるのかが一番の悩みでした。

そのため「やりたいけど無理だろうな」と思っていたのですが、夫が「いや、僕が競技をしていたときは何も文句言わずに支えてくれたじゃないか。今は君の番なんだから、家の事は気にしないで、いい仕事をしておいでよ」と背中を押してくれました。家族の協力があってこそ今こうして仕事をすることができます。

Q. 最後になりましたが、日本の若者に、期待も込めてメッセージをいただけますか?

A. 人に何か言われたから、ではなくて、自分で考えて行動できる勇気を大事に大人になってほしいと思います。世間体などを気にしないで、分からないことを素直に聞く勇気、やりたいことを素直に行動に移せる勇気があったらものすごく変わると思います。そのような一人ひとりの心の持ち方で、誰にとっても住みよい社会ができるのだと思います。

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日本体育大学の玄関で。オリンピックの制服を着たライオンを囲んで国連広報センターのスタッフおよびインターンのJenny Hollowayと。