映画『母と暮らせば』を通じて、長崎から平和について考える

日本の国連加盟60周年の今年は、いつにも増して国連と日本の歩みの「これまで」と「これから」について思いをめぐらせています。

国連広報センター所長の根本です。日本の国連加盟60周年の今年は、いつにも増して国連と日本の歩みの「これまで」と「これから」について思いをめぐらせています。

国連総会が1946年に採択した第1号決議は、広島・長崎への原爆投下によってもたらされた惨禍を受けて、原爆を含む大量破壊兵器の廃絶を目指すものでした。以来、核軍縮は国連の重要課題であり続け、日本は1956年の国連加盟以降、3人もの軍縮担当の国連事務次長を輩出し、国連軍縮会議を1989年からほぼ毎年日本でホストし、今回で26回、長崎での開催は3回目となります。

長崎原爆資料館に足を運ぶ海外からの国連軍縮会議参加者。長崎で実際に起きた被爆の惨状を肌で感じる。(外務省提供)

今年の国連軍縮会議は、核兵器禁止条約の交渉と2020年のNPT再検討会議にむけたプロセスが来年から始まるのを前に12月12日から長崎で開催されました。11日にはそのプレイベントとしてユースをまじえたスペシャルなイベントがあり、私も出席しました。

日米露のユース非核特使による声明と提言(外務省提供)

日米露のユース非核特使による提言の発表と活動報告、さらには長崎の原爆投下で一つ一つの家族にどんな悲しみが生まれてしまったかを描いた映画『母と暮らせば』の上映という盛りだくさんのプログラムで、上映のあとには、本作を監督した山田洋次さん、主演の吉永小百合さん、日米のユース代表、映画のストーリーを形作る上で自身の証言を提供した土山元長崎大学学長、武井外務大臣政務官、キム国連軍縮担当上級代表という、世代と国境を越えた豪華な顔ぶれでのパネルディスカッションを行い、その進行役を務めました。会場となった長崎大学では、原爆投下で900人近い学生や職員が亡くなっています。

パネルディスカッションの様子(左から根本かおる国連広報センター所長、山田洋次監督、女優吉永小百合、土山元長崎大学学長、武井外務大臣政務官、キム国連軍縮担当上級代表)国連アジア太平洋平和軍縮センター(UNRCPD)提供

1945年8月9日午前11時2分、主人公の長崎医科大学に通う福原浩二(二宮和也)は長崎の原爆で跡形もなく被爆死。それから3年後、その助産婦を営む母・伸子(吉永小百合)のもとに原爆で被爆死したはずの浩二が亡霊となって現れる...というストーリーです。丁度一年前、原爆投下から70年の昨年12月12日に封切りになった『母と暮らせば』。東京で見ていましたが、舞台となった長崎で観賞し、ひときわ胸に迫るものがありました。

パネルディスカッションでは、まずユースから感想を語ってもらいました。登壇した長崎大学の河野さん(ユース非核特使経験者)は「息子の浩二が長崎大学で夢を追いかけるために勉強しているのが自分と同じ立場、その中で家族が支えてくれて愛する人がいる。71年前も今も同じ世界で生きていたと感じました。その世界が、1つの核兵器によって一瞬でなくしたことは、核兵器はいかに愚かなものかと感じました。モンゴル、中国、韓国を訪問して若者に非核を伝えてきました」、アメリカのキンバリーさん(ユース非核特使)は「間違った兵器を正しく使える、ということはありません。非人道性、核兵器廃絶は大きいテーマだけど、1人1人の問題とするとシンプルに感じました」と振り返りました。

長崎大学の河野さん(右)とアメリカのキンバリーさん(左)が映画の感想を述べる(外務省提供)

これを受けて、山田監督は「長崎大学の学生の浩二が死んでしまった話ですが、こういう悲劇が第2次大戦中、何百万どころでない犠牲者1人ひとりにあったのだと想像してもらいたかったからです」と映画制作の動機を語りました。さらに、「愛する人と暮らして子供を作るということが、ついえてしまった。それは世界中の人にとって共通の悲劇です。僕ら戦争を経験した世代は、それを伝えていくのが責務だと思います」と自らの気持ちを強調しました。

国内外で原爆詩の朗読を行っている吉永さんは、「核兵器を廃絶するため、もっと声を出して世界に向かってアピールしなくてはいけないと撮影中に感じていました。海外での朗読詩の活動は、これまでオックスフォードやシアトルでもやったことがあり、今年5月にバンクーバーでも行いました。そこで彼らが本気で考えてくれていることが伝わり、胸が熱くなりました」と思いを語るとともに、核兵器の廃絶にむけた動きに関係国の間に大きな溝があることについて「核の廃絶に意見が一致しないのが悲しいが、あきらめないで声をだして、核のない世界にしようと言い続ければ、きっと実現すると願っています。小さな力だけど行動したいです」とも述べました。

山田監督(左)と主演の吉永小百合(右)が本作と核兵器廃絶に対する思いを語る(外務省提供)

外務省の武井政務官は「戦後70年、伝えることができにくくなっています。語り部が10年後どうなっているかと思うと映画に残してもらえてありがたいですし、伝えていかねばなりません。こういう時だから日本から唯一の被爆国として世界に訴える重要性を考えています」、キム国連軍縮担当上級代表は「若い世代が核兵器を作ったのではありません。核兵器は古い世代により作られたもので、若い世代にこそ廃絶にむけたリーダーシップをとってほしい。我々は核兵器を廃絶させる責務を負っています。そこに行き着く道筋が難しいですが、来年から新たな交渉をします。多くのプロセスがありますが、各国と話し、理解し敬意を払い目標に向かいたい。誰でも、どの国でも話し合いで解決しないことはないと思います」と述べました。

当時長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)の学生だった土山元学長は、「核兵器廃絶には理論と感性の両方が大切で、理論が難しくなったときには、感性に訴えるということが有効で、見終わってしみじみと原爆の非人間性、戦争の不条理を考えさせられました」と語りました。

武井政務官(左)とキム国連軍縮担当上級代表(右)が映画を受けて感想を述べる(外務省提供)

締めくくりには、吉永さん、山田監督からそれぞれ「若者のつながりについても心強い。白熱して話し合って、世界の若者が心つないで、1日も早く核廃絶がきてほしいです。ぜひお願いします!」「「絶望するのは簡単。若者が情熱的に議論したと聞いて、希望を抱きます。ぜひがんばって」と若者へのエールが送られました。

パネルディスカッションという場を通じて世代を越えてバトンが渡される瞬間に立ち会えた - 司会をしながらそう手ごたえを感じました!

ユース代表とパネルディスカッション登壇者による写真撮影(外務省提供)

イベント後、興奮さめやらぬ中、キム国連軍縮担当上級代表(左)と山田監督(真ん中)と写真を撮る根本かおる所長(右)(外務省提供)

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