嘉悦朗氏(前編)~横浜F・マリノスを再生させた日産流改革手法とは~

2009年7月に成績不振と収益の悪化に苦しむ横浜F・マリノス(以下、マリノス)の社長に就任しました。嘉悦氏は名門復活のために何を行い、どんな成果を上げたのか。

経営危機に陥っていた名門・日産自動車をV字回復させた「日産流改革」はスポーツビジネスにも通用するのか。この命題に挑んでいるのがカルロス・ゴーン氏の下で日産改革の一翼を担った嘉悦朗氏です。2006年に日産の執行役員に就任した嘉悦氏は、2009年7月に成績不振と収益の悪化に苦しむ横浜F・マリノス(以下、マリノス)の社長に就任しました。嘉悦氏は名門復活のために何を行い、どんな成果を上げたのか。お話をお聞きしました。

嘉悦 朗(かえつ あきら)氏

横浜マリノス株式会社 代表取締役社長

マリノスの置かれた環境は日産と似ていた

ーまずはマリノス社長就任の経緯を教えていただけますか。

嘉悦:直接的なきっかけは2009年夏に前社長が体調を崩して、経営の執行が難しくなったことです。シーズンの途中でしたが、空席にしておくわけにはいかないので、至急後任をとなった時、日産のトップマネジメントの間ではすぐに結論が出たようです。「誰にする?」「嘉悦しかいないでしょ」と。というのも私は日産の役員の中では一番のサッカー好きで、ワールドカップの季節になると周りから「今回のワールドカップの見通しは?」「日本の入ったグループはどうなんだ?」と聞かれるくらい、「サッカーなら嘉悦」と見られていましたから。

さらに、私は日産のグローバル本社を銀座から横浜に移すプロジェクトを2004年から担当していて、2009年夏にはほぼ完了する見通しとなっていました。それで「仕事もひと区切りがつくし、嘉悦にやらせよう」となったようです。

ーサッカーがお好きな嘉悦さんにとっては希望されたお仕事ということなのでしょうが、それでも日産とマリノスでは随分とやっていることも違っています。その辺の不安はありませんでしたか。

嘉悦:日産はものづくり企業、マリノスはスポーツビジネスと、完全に業界が異なりますし、サッカーを1ファンとして見るのと、当事者として経営するのとではまるで違いますから、当然不安はありました。ただ、当時、マリノスの経営の詳細は知りませんでしたが、成績はパッとしないし、集客も苦戦しているということは知っていました。さらに言えば、当時のマリノスは、転落の一途をたどっていた1980年代から90年代の日産にとても似た状況だな、と感じていました。

ーマリノスが日産と似ていると感じたのでしょうか。

嘉悦:私が入社した頃の日産は、トップのトヨタと今ほど大きな差はありませんでした。トヨタが1位ですが、それでも1年のうち何回かは日産が販売台数で上回る月もあるなど、背中は見えていました。ところが、気が付くとトヨタの背中は遥か遠くになり、それどころか後ろにホンダが迫っていました。マリノスも日産より歴史は短いけれど、Jリーグ発足前からの長い歴史と伝統を持つ名門クラブだと思います。人気も実力もありましたし。それが、2003年、2004年のリーグ連覇を最後に成績は低迷し、集客も減り続けて、かつての輝かしい歴史も伝統も、完全に色あせていました。つまり日産もマリノスも、右肩下がりの負のスパイラルに陥っていたんですね。

そんな状態のクラブに私が行って、本当に再生できるのかという一抹の不安はありましたが、一方で、恐らくマリノスは、日産と同様に高い潜在能力を持っているはず。従って、私が日産で経験した改革のスキームを移植すれば、きっと日産と同じように再生できるだろうという確信めいたものはありました。また、私には日産リバイバルプランの経験と、本社移転プロジェクトの経験があります。この非常に難易度の高かった2つのプロジェクトを完遂した経験を生かせば、どんなハードルも乗り越えられるという自信もありました。

ーそれだけ日産リバイバルプランは嘉悦さんにとって大きな経験だったと思いますが、嘉悦さんは日産リバイバルプランでどのような役割を果たされたのでしょうか?

嘉悦:カルロス・ゴーンが日産に来たのは1999年ですから、私が日産に入社してちょうど20年目です。それまで私はずっと人事にいて、当時は人事企画課長でした。最初にゴーンが着手したのは9つのCFT(Cross Functional Team:機能横断型チーム)の発足でした。これは、日産再生のために設定された9つの課題それぞれに関係するすべての部門からメンバーを選び、彼らの多様な視点とアイデアから、革新的な提案を作り上げていくプロジェクトチームです。各CFTは、課長クラスを中心に10名前後のメンバーで構成され、パイロットという実質的なリーダーが彼らを束ねるのですが、私は9番目のCFTのパイロットに選ばれました。私に与えられたテーマは組織と意思決定プロセスの変革です。

当時の日産は組織間のコミュニケーションや協業があまりうまくいかず、ともすると部分最適に陥りがちな企業風土になっていました。決して悪意があるわけではありませんが、結果として自分の部門にとって都合の良い案を実行したがるし、それを他部門の人たちと徹底的に議論して、より良いもの、みんなが納得するものにしようとする努力が不足していました。典型的な大企業病の症状ですよ。そういった組織の壁を打ち破り、日常のオペレーションも、意思決定も、関係するすべての人たちが徹底的に議論し、全体最適の確率を高められるようなスキームを目指すというのが私たちのテーマでした。実は、このコンセプトはCFTのコンセプトとまったく同じなんです。革新的で全体最適につながる提案を導き出す仕組みがCFTですが、これを通常の組織にも当てはめたということです。

確実な実行には実行プランの質の高さと検討するメンバーの質が重要になる

ーどこの企業も抱えている悩みですね。

嘉悦:家族旅行を考えるとよく分かるのですが、例えばお父さんの希望は山で、お母さんの希望が海、子供たちの希望が遊園地だという場合、お父さんの意見を無理に通すと、他の家族は不満を持ち、せっかくの旅行が台無しになりますよね。逆に、みんなの意見を集約してよくよく検討すると、家族全員の希望をほぼほぼ叶えられる場所が見つかるかもしれません。例えば山が近くてプールも遊園地もある複合リゾート施設のようなものですね。要は全体最適、WIN-WINの解をいかに追求するかということです。同じように企業の場合も、各組織がそれぞれの立場だけで課題を解決しようとすると、部分最適のリスクがありますが、そこに利害関係者を入れ、横断的なディスカッションをすることによって、部分最適から全体最適へと解決策の質が上がるということです。

ー理屈では分かるのですが、本当に良い提案が出てくるのか、あるいはその提案が実行に移されるのか、そのあたりが難しそうですね。

嘉悦:まず、CFTに話を戻して説明します。彼らの提案をちゃんと実行につなげるためには「これは実行する価値がある提案だな」という確信を関係者に持たせることが重要です。そのためにも、関係者の代表が初めからチームに入って議論していることは納得性をもたらしますし、そのメンバー全員がほぼ満足するアイデアができれば、それは自動的に筋の良い、高いクオリティの提案になっている、あるいはその確率が高いということです。同じく、確信や納得性という観点では、メンバーの選び方が大事です。「え?あいつが?」と疑問符がつくような人ではなく「あいつなら!」と誰もが納得するメンバーを選ぶ。うちの部門のエースが参加し、議論を尽くして決めた案なら良い案に違いない、と思えるメンバー構成であることはとても大事です。提案の質の高さは検討するメンバーの構成で決まるし、それは同時に周りの納得感を高める。これがポイントだと思います。

次に、私が提案した組織と意思決定プロセスについて説明しますと、要は、このCFTのコンセプトをそのまま通常組織や主要な意思決定のプロセスにも応用したということです。ポイントは厚かった部門の壁を打ち破り、何人(なんぴと)たりとも意思決定を単独ではできない仕組みにすること。その解はマトリックス組織にありました。部門という軸に他の異なる軸、例えば地域軸や商品軸を加えることで、すべての交点に立つマネジメント層は、部門のことだけでなく、地域のことも商品のことも同時に考えなければなりません。そうすることでみんなが縦・横・斜めの議論に参加し、結果として全体最適を志向していくことを狙いました。これがきっかけとなって組織間のコミュニケーションが劇的に変わり、質の高い事業計画や効果的な改善策が出てくるようになって、日産の再生に貢献できたのではないかと思っています。

ー日産の再生はゴーンさん1人の力で進められたように誤解している人もいますが、実際にはこうしたアイデアの積み重ねがあったのですね

嘉悦:日産の再生の過程でゴーンの存在が大きかったのはたしかです。例えばCFTの立ち上げにあたって、彼が私たちに与えたインパクトはとてつもなく大きいものでした。

ーでは、それは中編で詳しくお聞かせください。

(インタビュー=松尾慎司 文=桑原晃弥)

中編に続く

注目記事