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横山禎徳氏(前編)~教養とは何なのか?求められているのは課題設定型リーダーシップ~

2014年12月17日 15時28分 JST | 更新 2015年02月14日 19時12分 JST

日本社会が直面する課題は数多くありますが、一向に解決の糸口が見えてきません。こうした中、日本の次世代を担うリーダーに求められるものとはいったい何なのでしょうか。東京大学、ハーバード大学デザイン大学院、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了後、マッキンゼーの東京支社長などを経て、現在、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)の企画・推進責任者をつとめる横山禎徳氏は「求められているのは課題設定型リーダーシップだ」と説きます。

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横山 禎徳(よこやま よしのり) 氏

東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)特任教授

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戦略の本質は自分の強さに立脚すること

―2008年に東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(以下、EMP)を立ち上げられました。その背景について教えていただけますでしょうか。

横山:国立大学が独立行政法人化されるなかで、東京大学の第28代総長である小宮山宏さんから、「財界からビジネススクールをつくれと言われているが、どうだろう」という相談を受けました。

私は即座に「それはダメだ」と思いました。理由の一つは、ビジネススクールそのものが当時、ソウルサーチング(「鋭い自己反省」という意味)に入っていて、「これでいいのだろうか?」「自分たちのやっていることは正しいのだろうか?」「存在価値はあるのか?」と考え始めているのに、今さら遅れて同じようなものを東大がつくるのは意味がないからです。

仮に東大がつくるとすれば超一流でなければならないのですが、残念ながら東大にはビジネスのことを教えられる先生がいません。では、世界から先生を連れてくるかというと、英語で教えるのならアメリカの学校の方が当然有利だし、教える先生にとっても東大より中国の北京大学や清華大学に行く方がはるかに魅力的なはずです。

ビジネススクールというのは行かないよりは行った方がいいかもしれませんが、それだけで今後のビジネスにとって重要な能力を十分身に着けられる時代でもありません。そんなものを今さら東大がつくる意味があるのか、というのが反対の理由でした。

―たしかにEMPはビジネススクールではないとはっきりおっしゃっていますね。

横山:戦略の本質は「自分の強さに立脚する」ことです。そういう目で東大を眺めてみれば、あそこまでの総合大学は世界にはありません。

ヨーロッパの大学のスタートは神学と法学であり、ドイツも大学と技術高等学校は別です。工学部を世界で最初につくったのは東大で、こんなにありとあらゆる学問分野をもっているのは世界の大学の中における東大の強さであり、その強さを活用しようと考えた結果できたのがEMPなのです。

求められているのは「課題設定型リーダーシップ」

―ビジネススクールでないとすると、ビジネスマンに必要な"教養"を身につける場を想像してしまうのですが、それも違うとおっしゃっていますね。

横山:「教養」というのはあくまで結果であって、教養を追いかけ、身につければ立派なビジネスパーソンになれるのかというと、それは違います。EMPで教えようとしているのは"課題を設定する能力"であり、思考能力です。その結果として教養が身につくことはあるが、教養は決して目的にはなりません。

今の時代、求められているのは「課題設定型リーダーシップ」です。日本はこれまで世界が設定した課題をしっかりと解決してきた国ですが、他に先駆けて課題を設定して、世界をリードしてきた経験はないのです。

たとえば今の中国で問題になっている公害問題や大気汚染の問題は日本でも60年代から70年代にかけて日本各地で起きていましたが、日本はこれらを適切な課題として理解し、最適な対策をとったことで解決しています。環境汚染は世界が設定した課題ですが、日本が一番うまく解決したものの一つでしょう。

このように、与えられた課題を解決することに日本は長けていますが、グローバリゼーションも地球温暖化も日本が最初に課題として設定したわけではありません。むしろ日本は課題設定を他より先にちゃんとやったことがないと言ってもいいくらいです。

たとえば、日本人は日本が抱える課題として「少子高齢化」という言い方をします。これは単に現象を言っているだけであって実は課題設定をしているわけではないのですが、日本人は決まり文句のように「少子高齢化」と言ってしまいます。

そもそも少子化と高齢化はまったく別の問題です。出生率の高いアメリカには少子化はないのですが、高齢化は日本と同じように存在しています。

人は誰でも年を取ります。自然の摂理なので、高齢化は"生物学的現象"ですから施策を打っても逆転できませんが、少子化は"社会学的課題"ですから施策によっては改善することができます。このように違うものを安易にひとくくりにしてしまうから解決策も見えてこないのです。

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課題がきちんと定義できれば、半分解けたようなものです。逆に課題をしっかりと定義できなければ、議論は混乱して解決などできません。少子化と高齢化は別物であるとして、課題をしっかりと設定する。課題設定能力の大切さを理解し、強化するのがEMPです。

先進国の中で少子化対策に成功した国としてフランスが挙げられます。フランスがなぜ少子化対策を行おうとしたのか、そして少子化対策にどうやって成功したのか知っていますか?

フランスが少子化対策に着手したのが1870年で、実に1世紀以上にわたって取り組んでいることになります。1870年というのはフランスとプロイセン王国(のちのドイツ)が戦った普仏戦争の年で、戦争に敗れたフランスは50億フランの賠償金とアルザス・ロレーヌ地方を失っています。このとき、領土を奪われ、人口も減少したフランスは、国力の基盤は人口だということを痛感し、それ以降、人口を増やす対策を次々と打ち出すことになりました。

そうしたなかで大きな効果を発揮したものの一つが1999年に認められた"民事連帯契約"です。これは異性あるいは同性の成人二人による、共同生活を結ぶために締結される契約で、婚姻よりも規則が緩く、同棲よりも法的権利などを享受できる新しい家族組織です。二人の間に生まれた子どもは、通常の夫婦間に生まれた子どもとまったく同じように国の援助を受けることができます。今やフランスにおける生まれる子どもの半分は法律婚にとらわれない婚外子であり、嫡出子と非嫡出子という用語そのものが民法から削除されています。

どんな援助があるかというと、たとえば出産費用はすべて無料になるし、2子以上を養育する家庭には20歳になるまで家族手当が支給されるほか、3人以上の子どもを育てている世帯には大幅な所得税減税が行われるなど、まさに「産めば産むほど有利になる」のがフランスの社会制度です。

一方、日本はどうかと言えば、分娩は病気ではないということで健康保険の対象外です。分娩費用は80万円くらいすることもありますが、一旦支払ったあと半分程度しか返金されません。だから事前に高額な費用を用意する必要があるうえ、妊婦さんの医療費も高い。子ども手当も児童手当に名前が戻ったりと、迷走しましたが、少子化に対する施策でも何でもないことが大きな問題です。

とはいえ、日本がフランスのやったことをそのまま真似すればいいというわけではありません。課題もその設定も解決も「ある状況に特定のものである」ということを忘れてはなりません。課題とは、常に「今」「ここ」「この人」「この状況」「この場合」といった特定の状況に基づいて設定されるべきものであり、ある状況でうまくいったからといってそれをそのまま他のことに使うことはできないのです。

実際、こうした課題設定が適切になされないから、結果的に出生率が一向に回復しないままに少子化が進んでいるのがこの国の現状なのです。

日本は課題を解決できる国だが、課題を設定して世界に受け入れられたことはない

―何が課題かを考えることなしに、何となくこの言葉を使っていました。

横山:みんな常套句やお題目で考えていて、しっかりと課題設定ができていないから、課題解決ができない。少子化と高齢化は別物であるにもかかわらず、「少子高齢化」と言ってしまう。「安全安心」もそう。安全は客観的、定量的に基準をつくることができるが、安心は主観だからそういうわけにはいきません。「放射能が心配だ」と言っている人にいくら数値を示し、世界は安全だといっているといっても「これで安心だ」とはなりません。

あるいは、ビジネスの世界で「P-D-C-Aサイクルを回す」という言い方があります。元々は「P-D-S (Plan-Do-See)」だったのに、いつの間にか「P-D-C-A」になってしまった。じゃあ、「D(Do)」と「A(Action)」は何がどう違うのでしょうか?

わざわざ使い分ける意味はないのです。なぜこんな言い方をするようになったかというと、戦後、日本にQC(品質管理)を持ち込んだエドワーズ・デミング博士が言い出したからで、日本人はデミング博士が大好きだから、「デミング博士が言っているから」と使っているだけです。「P-D-C-Aのサイクルを回す」というお題目をいって思考停止をしているように思います。本気で何度も回しているのでしょうか。

日本が"課題"を解決できる国であることは過去の事例からも証明されています。公害や大気汚染の問題もそうだし、欧米先進諸国に「追いつけ追い越せ」でも既に実績がありますが、他に先駆けて課題を設定して、世界に受け入れさせたことはまだないのです。

しかし、これからの時代は、世界で起きている複雑な事象をつかみ、その中で自ら課題を設定する能力が不可欠です。そのためにもよく考えもしないで、お題目的に「課題」らしきことを口にしているようではいけません。これまでのようにアメリカに課題を設定してもらって、それを解決するのではなく、深く多面的にものごとを考えて、自らの頭で課題を設定することが求められるのです。

―どうもありがとうございました。次回は思考能力についてお話をお伺いできればと思います。

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(インタビュー=松尾慎司 文=桑原晃弥)

(2014年11月14日公開)