PRESENTED BY エン・ジャパン

がむしゃら勤務からノー残業。出産で週4時短に。ライフスタイルに合わせて選ぶ働き方

「子供の笑顔がないと、仕事で全力だせない」

今回ご紹介するのは、エン・ジャパンで派遣のお仕事探しサイト「エン派遣」の営業として活躍中の峰田。派遣会社のパートナーとして、登録する派遣スタッフの採用支援を行っています。

2003年に新卒で入社してから、「目標の売上を達成しなかったことがない」ほど常に高い成果を上げ続けてきた彼女が歩んできたのは、ほかの誰とも似つかない唯一無二のキャリア。

二度の出産、子育て中に二度の異動、一度の退職を経て、現在はちょっと変わった勤務形態(*)で働いています。

*...火・金曜日は9:15~13:15、月・水・木曜日は9:15~16:15の時短勤務。

なぜ、このような働き方を選んだのか? ライフステージと共に変化してきた彼女のキャリアを追ってみたいと思います。

<Profile> 2003年、新卒でエン・ジャパンに入社。派遣会社を支援する部署の法人営業としてキャリアをスタート。2009年、人事部へ異動し中途採用を担当。一度目の出産・復帰後は労務担当となり勤怠管理や子会社の給与計算などを行なう。二度目の出産・復帰後は再び派遣会社支援の部署へ戻り、営業として活躍中。2人の男の子をこよなく愛するママ。
<Profile> 2003年、新卒でエン・ジャパンに入社。派遣会社を支援する部署の法人営業としてキャリアをスタート。2009年、人事部へ異動し中途採用を担当。一度目の出産・復帰後は労務担当となり勤怠管理や子会社の給与計算などを行なう。二度目の出産・復帰後は再び派遣会社支援の部署へ戻り、営業として活躍中。2人の男の子をこよなく愛するママ。

―本題に入る前に、エン・ジャパンに入社した頃のことを教えてください。

2003年に営業として入社して、立ち上がったばかりの派遣会社支援事業部(※)へ配属されました。事業責任者・リーダー・メンバーの3名しかいない小さな組織。そこに私を含め新入社員が3名配属されたんです。

※派遣会社の事業支援を行なう部署。派遣会社に登録する派遣スタッフを増やしたいと考える派遣会社が主な取引先。登録者を集める手段として、「エン派遣」のサイトに求人広告を掲載する提案を行なう。また派遣法改正に関する情報提供など包括的な支援を行い、派遣会社の良きパートナーとなることを目指している。

―エン派遣(当時:[en]派遣のお仕事情報)が、サービス開始から3年目の頃ですよね。

そうです。派遣会社に電話をしても、全然認知してもらえていなくて。「え?聞いたことないけど...」と言われてしまう。

そんな状態で新規のお客さんを開拓していました。また、営業メンバーが少なかったので、すでに取引のあるクライアントもいきなり新入社員に引き継がれて。5月頃にはすでに30社以上担当している状態でした。

入社後の研修ではずっと転職サイトについて教わっていたので、派遣業界やサイトの基礎知識なんて全然なくて。リソースも足りないから「現場で学べ!」という感じ。きつかったけど、とにかく与えられたことをしっかりやろうと思って、めちゃくちゃ頑張りました。

―立ち上げフェーズの事業での働き方って気になります。

とにかくがむしゃらに働いただけです(笑)。24時間平等に与えられていて、就業時間も決まっている。どうせ同じ時間を費やすなら、絶対楽しい方がいいし、成績も残したいし、評価やお金ももらいたいじゃないですか。

でも、休日は絶対に仕事をしたくなかった。だから、必ず時間内にやり切る!と決めていて。トイレに行く暇も惜しむほど集中して働いたら、お腹の中がおかしくなって倒れたことが2~3回あります(笑)。さすがにやり過ぎだけど、とにかく時間内で集中してやり切って、スパっと帰るし、休日には絶対やらない。そういう働き方をしていました。

―ストイックですね...。悩んだり、「もう嫌だ!」と思ったことはないんですか?

同期にはそういう子もいたかな。新規電話をかけたくないから、天気予報ダイヤルに電話して架空の会話をしていたり...! 嫌だなって思う気持ちはもちろん私にもあったけど、逃げていてもいつかやらなきゃいけないわけで。

―峰田さんの仕事観の軸ってなんでしょう?

「努力なしでは何も得られない」ってことですね。

陸上をやっていた小学生の頃。初めて大会に出たとき、同い年の子に負けたことがすごく悔しかったんです。そこからの1年間は、みんなよりも1時間早く練習に行くようにしました。その結果、ハードルで市内1位になれた。

努力は裏切らない、努力をしていれば勝てるんだという原体験がある。だから、嫌だなと思うことがあっても、努力は必ずするんですよね。

天才肌な人っているけど、私は全然そういうタイプじゃないし、機転もきかない。だから準備をものすごく念入りにします。

たとえば商談準備。新人の頃は自分とお客さんとのやり取りを予想して、会話形式ですべて書き出していました。そうしておかないと、予想していなかったことを聞かれてもとっさに答えられないから。うまく切り返せる自信がないから、しっかり台本を作るんですよね。

結婚して、プライベートでは朝ご飯もお弁当も夕ご飯も、1ヶ月分の献立を全部考えています(笑)。

子どもがパン給食の日は朝食をご飯にするなど、細かく計画された献立表。いつも手帳に入れて持ち歩いている。
子どもがパン給食の日は朝食をご飯にするなど、細かく計画された献立表。いつも手帳に入れて持ち歩いている。

―えー!そこまで準備するなんて、すごいですね。

考える作業を1回で済ませれば、ぼけっと朝起きても、すぐにご飯の用意ができる。起きてから考える時間なんてないんですよね。夕ご飯も、その日の気分で変えられるほどレパートリーもないから。

過去に子どもが食べて美味しいって言ってくれたものをメモしておいて、次月の献立に組み込んだり。機転がきくタイプではないことを自分で分かっているので、努力でカバーしています。全力で走るために、入念な準備は欠かせません。

―営業として高い成果を上げ、リーダーになり、社長賞(*)を受賞。輝かしいキャリアを歩んでいる中で、「辞めたい」と思った時期があったそうですね。

*...四半期に一度、シンボリックな活躍をした社員に与えられる賞。峰田は、入社3年目で「ベストリーダー賞」を獲得した。

はい。入社5年目のときに結婚をして、子どもがすごく欲しかったんです。でも、なかなか授かることができなくて。流産を繰り返していたので、もうこのまま仕事を続けるのは無理だなと思って、「辞めたいです」と上司に話をしました。

そうしたら、「うちの会社が好きなんだったら、辞めるんじゃなくて、他の部署に行くという選択肢もあるよ」と言ってくれて、他部署への異動を掛けあってくれたんです。それで、当時あった「限定正社員」として人事に異動しました。

異動後は、9~18時で勤務し、残業なしで帰るという働き方に。給与はかなり減りましたが、とにかく子どもが欲しかったので、仕事の負荷を減らしたくて。異動して2年後にようやく念願かなって子どもができたときは、本当に嬉しかったですね。

長男出産から2年後に次男を出産。産休から復帰するタイミングで再びエン派遣の営業に戻り、週4日の時短勤務という働き方を選択しました。

優しくて頼りになる長男(左)と、お兄ちゃん大好き、ひょうきんな次男(右)。
優しくて頼りになる長男(左)と、お兄ちゃん大好き、ひょうきんな次男(右)。

―なぜ、その働き方を選んだのですか?

次男が市から医療証が出るほどの喘息で。毎日朝と夜に吸入をしないといけないほど酷かったんです。

週5日フルで保育園に行かせると体調を崩すから、1日ゆっくり休ませる日をつくりたい。だから週4日で働きたいんです、と会社の復帰面談のときに正直に相談をしました。

週5日勤務なのに「結局峰田さんは週4日しか来ていないよね」となるのが嫌だったんですよ。だったら、週4日できちんと勤務したくて。

会社としては、一旦持ち帰らせてください、ということになって。後日、「契約社員かつ営業職」であれば週4日でも働けると言ってもらいました。

3年以内にまた正社員に戻り、週5日勤務してくださいね、という約束つきで。3年あれば次男の喘息も良くなるだろうからという理由でした。それでまた、エン派遣の営業になりました。

―復帰のタイミングでの異動に、抵抗はなかったのでしょうか?

なかったですね。私の中では週4日というのが絶対条件だったので。それ以外のことに関しては「これじゃないと嫌」というのはなくて。

週4日という条件さえ認めてもらえるなら、エン・ジャパンで働き続けたいと思っていました。

―なぜ、そこまでエン・ジャパンが良いのでしょう?

エンの人と商品が大好きだから、ですね。

これまでお世話になった上司や、一緒に働いてきた人たちみんなが大好きです。足の引っ張り合いなんて全くないし、良いものを共有し合う文化がある。

たとえば、「こんな風に提案してみたら上手くいった」とか。これって素晴らしい文化ですよね。

それに、エンの商品はどれも自信を持って提案できるものばかり。私はエン派遣を主に扱ってきましたが、心からお客さんに薦めたくなる商品なんです。営業として、これほど幸せなことはないと思いますね。

―復職されてからの2年間、常に高い成果を上げられていましたよね。そんな峰田さんが半年間お休みされたときは少し驚きました。

きっかけは、長男の小学校入学でした。

長男を保育園に入れるとき、家から遠いところにしか入れなかったんです。だから、その保育園から同じ小学校に行く子が一人もいなくて。近所にも友達がいない中で、一人で入学をして、一人で学童に行くっていうのは、彼にとってきつすぎるだろうと思ったんですよね。

何事もスタートってすごく大事で、そこがダメだと全てが崩れていく。だから絶対一緒に見守りたくて。もしもうまくいかなかったら、すぐにサポートしてあげたい。そう思って会社に相談し、半年後に復帰する前提で一旦退職をしました。

―長男のために、退職の決断を。半年間だけと決めていたのですか?

はい。4月~9月の半年間があれば、夏休みまでカバーできるから。

彼のネットワークをきちんと把握しておきたかったんです。どういうお友達と遊んでいて、どういうママがいて。困ったときはこのママに連絡すれば何かしら情報が得られるとか。

保育園のときと違って、小学校に入ると行動範囲も一気に広がるので。そういうことを知っておかないと、何かあったときに連絡がつけられないですよね。

実際、長男が小学校に入ると、「あ、家にいるお母さんもいるんだ」っていうことを知るんですよね。家に帰れる子がいるんだ、でも僕は学童に行くんだ。それはママが働いてるからか...みたいな。

だんだん自分の意志も出て来るじゃないですか。その意志はむげに出来ない。

今までは結構、私の都合に合わせて一心同体で動いていたけど、彼にも個としての主張が出て来る。それをすべてではなくても、話し合ってある程度尊重してあげないと、今度は彼の生活が成り立たなくなる。

そういう背景があって、復帰後の現在は、火・金曜日は9:15~13:15、月・水・木曜日は9:15~16:15の時短勤務で働いています。

―キャリア選択の軸は、常にお子さんなんですね。

はい。その軸は絶対にブレません。

今までの人生は、すべてを努力でカバーしてきたんですよね。でも、努力では得られないのが子どもだったんです。

子どもって授かりものだから、すぐに出来る人もいれば、私のようになかなか出来ない人もいる。

やっと出来た!という感じだったので、家庭優先というよりも、「子ども優先」という気持ちが強くて。仕事優先か子ども優先かと聞かれたら、間違いなく子ども。

もちろん、仕事のときは全力でやります。ただ、子どもの笑顔がないと仕事で全力が出せないんですよ。だから、子どもの笑顔を優先せざるを得ないというか。子どもを泣かせてまで仕事をしても、絶対に仕事に集中できない。仕事に全力で取り組むためにも、子どもを優先しています。

―優先というのは、具体的にはどういうことですか?

たとえば、仕事は家に持ち帰らない。そのために、就業時間内に死ぬ気でやりきる。子どもが熱を出したときには、初診は必ず私が小児科へ連れていく、とか。

辛いときこそ、そばにいる。子どもも、辛いときには安心できる人のそばにいたいはずだから。

―子どもを優先するために、完全に家庭に入るという選択肢もあったのではないかと思います。なぜ、働き続けるのでしょうか?

辞めるのは別にいつだってできるから。まずはチャレンジしてみないと分からないよね、っていうスタンスなんです。

私の母親もバリバリ働いていたんですが、私が高校生くらいのときに、色々なことが重なって「やっぱり辞めようかな」と言ったみたいで。

そのとき私が「辞めるのはいつでも出来るから、とりあえず続けてみたら?」と言ったらしいんですよ。私は全然覚えていないんだけど(笑)。

―すごい。

今でも母親が、「あなたが私に言ったみたいに、辞めるのはいつでもできるし、あのとき辞めなくてよかったなって思うよ」と言っていて。だから、とりあえずやってみて、ダメだったらそのとき考えようと思いながら働き続けています。

とはいえ、ずっと同じ形で働き続けるのはやっぱり難しかった。だからその都度相談をして、働き方を変えさせてもらってきました。

私の働き方って、傍から見たら「なんて自由な人だろう」と思われるだろうけど(笑)。やってきたのはシンプルに、とにかく、やれるときに全力でやって成果を出す。そうすると必ず誰かが見てくれている。精一杯、ストイックに働く時期って必要だと思うんです。

でも、自分のライフスタイルが変わったときには、素直に正直に、包み隠さず相談をする。

「今自分はこういう状況で、こんな問題に直面していて、すごく困っている。でも、こういう勤務形態だったら乗り越えられると思っている。それって可能でしょうか?」って。

そうすると、助けてくれる人がたくさんいて。私は救われつづけているんですよね。当時相談をした方々には、今でも気にかけてもらっていて。本当に感謝しています。

―成果を出していたからこそ、周囲も協力的だったのでしょうね。

そんなにすごい成果は出していないけど...。でも、今「子どもを優先します」って言い切れるのも、それまでに全力で仕事をしていたから。

もう本当に、死ぬ気でやったので(笑)。そこで燃え尽きてなかったら、「まだやれる」って思い続けて、シフト出来なかっただろうなと思います。

私のように、ライフステージの変化を迎えたときに働き方に悩む女性って多いと思うんです。みんな、そうなったら一人で解決しようとするというか...。会社に相談をせずに、退職する決断をしている人も多いのかなと思います。

でも、素直に相談したら、助けてくれる人がいるよ!って。一応言ってみればいいのに!って思いますね。

がむしゃらに働き、困ったときには、諦めずに相談をする。それが良い気がします。どう?だめかな?(笑)

―ライフステージの変化があっても、働くことを諦めなかった峰田さん。「がむしゃらに働く時期を経験すること」「一人で抱え込まずに相談をすること」が大切なのだと分かりました。貴重なお話を、ありがとうございました!

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