PRESENTED BY エン・ジャパン

「自分にしかできない仕事」は、組織にとって足かせになる

「自分じゃなくてもできる仕事」こそ、マネジメントする最良の方法だ

ビジネスシーンで語られることの多い「脱・属人化」。エン・ジャパンにも、その重要性を身をもって体験した社員がいます。彼女の名前は、瀧本恵美。入社5年目から営業マネージャーを任され、女性活躍のパイオニア的存在として活躍している人材です。「自分にしかできない仕事じゃないと意味がない」と考えていた彼女を変えた、ある出来事とは?

2004年に新卒でエン・ジャパン入社。大阪配属。企業の中途採用を支援する部署で求人広告の法人営業として、キャリアをスタート。2007年に営業マネージャー着任後、2008年に東京へ異動。2010年に人材活躍支援事業部へ異動して、新規サービスの立ち上げを経験。現在は、入社後活躍支援のコンサルタントとして多くの大手企業から依頼を受けている。

|頼られること=価値だと思っていた

2007年。瀧本は、大阪拠点 求人広告部門で流通業界担当の女性マネージャーとして活躍していました。

入社当初は小心者で石橋を叩いて "渡らない" タイプ。

しかし、朝礼で「自分の失敗体験を赤裸々にさらけだす」というプレゼンが上司や同僚にウケたことをきっかけに自信が生まれ、営業活動にも反映されていったのでした。その結果、流通業界のクライアントを中心に信頼を勝ち取り、同期よりいち早くリーダーやマネージャーといったポストに昇格。まさに順風満帆でした。

「当時は、流通業界のことなら部長陣からも相談されたし、『女性マネージャーといえば瀧本』 みたいな社内イメージも定着していった。"瀧本帝国" なんて呼ばれながらも、業界のことや女性メンバーのことで頼られるのは価値だと思ったし、何より心地よかったんです」

さらに、担当クライアントに対しては「手厚いフォロー」と「これまでにない切り口での求人広告の提案」の2つを徹底。何度も足を運んで、さまざまな視点から自社のことを理解して表現しようとする瀧本は、クライアントにとって間違いなく必要不可欠な存在でした。

「手前味噌ですが、クライアントにとっては信頼できる営業だったと思います。私自身、クライアントから頼られることを目標に頑張っていましたし。"自分にしかできない仕事"をしないと意味がないと思って、毎日営業していました」

その結果、「瀧本さんだからお願いしたい」というクライアントを多く支援することに。瀧本自身が理想とするスタイルが、カタチになりつつありました。

|"瀧本帝国" は、砂上の楼閣だった

そんな瀧本に、転機が訪れます。東京への異動。これまで心血を注いできたクライアントを同僚へと引き継ぎ、大阪を離れることになりました。

東京で働き始めたある日、彼女は部長やマネージャーとの会議で思いもよらぬ一言を耳にします。

「 "大阪は機能していないよね" って言われたんです。ショックというよりも驚きで」

部長やマネージャーの言葉を証明するかのように、徐々にほころびが見え始めてきたのはその数日後。大阪で担当していた企業から、瀧本へ直接電話がかかってきてしまったのです。

「後任の●●さん、大丈夫...?」。

瀧本は、このとき初めて自分が大きなミスをしてしまっていたことに気づきます。

「ノウハウはちゃんと残してきたつもりだったんですが、無意識のうちに自分がいないと回らない仕組みをつくりあげてしまっていたんです。瀧本が同行しないと受注ができない、瀧本にしか理解できない業績達成ロジック... 自分たちで考えて行動する思考を奪ってしまっていたのかもしれません。

他にも私が実践していた "手厚いフォロー" も後任の業務負荷になったり、求人の効果が出ないとクライアントから不満が出たり......最もショッキングだったのは、大阪で一緒に頑張っていた仲間が辞めてしまったこと。ナレッジはブラックボックス化し、瀧本帝国は砂上の楼閣だったということに気づかされました」

それでも、3ヶ月~半年で業績は回復します。瀧本の後任が努力の末、穴を埋めてくれたからです。しかし、「穴をつくった」ということを、瀧本はひとり猛省していました。

|"自分にしかできない仕事" は、キャリアの足かせになる

この出来事は、瀧本の考え方を大きく変えました。「自分じゃないと」から「自分じゃなくても」へ。つまり一般化や汎用化を意識したスタイルへと大きく様変わりしたのです。

「 "私じゃないとできない" というマネジメントや営業スタイルでは、自分が新しいミッションにチャレンジできない。 "自分にしかできない仕事" が足かせになるんです」

しかし、これまで属人的に進めてきた瀧本。どのようにして一般化、汎用化を進めていったのでしょうか。

「良くも悪くもプライドはへし折られましたよね。東京で部下になったリーダーたちは、自分より年上で経験値のある男性社員。 "これってこうだよね?" と聞いても、 "いや、違いますよ" という答えが返ってくることは日常茶飯事。得意だと思っていた流通業界に関することも、東京のほうが企業数が多いので社員の知識も豊富で......今までのやり方が全く通用しなくなったんです」

普通だったらこれで心が折れてしまうところを、瀧本は違いました。役職問わず営業に同行し、現場を知るところから始めたのです。とにかくクライアントの状況を把握すること。すると意外な発見がありました。

「特にリーダーのような役職者に関してなんですが、自分の知識や経験に基づいた提案が多かったんですよね。"業界では▲▲なので、御社も★★が課題だと思うんですけど、どうですか?" って。

一方メンバーたちのほうが、先入観を持たずに真摯にクライアントの声に耳を傾けて、提案しているんですよ。私たちの仕事って、クライアントの声が起点になるんですね。このまま属人的なやり方が浸透してしまうと大阪での "帝国時代" の二の舞になりかねない、と」

それから瀧本は、エン・ジャパンの営業にとって原点である「ちゃんと聞く」、「いい提案をする」の2つの重要性を浸透させることに力を注ぎました。この2点を意識することで、経験や知識が浅いメンバーでも「自分でもできる」と思えるように。変化のスピードが早い環境下、経験から学んでもすでに通用しない。だからこそ、根底にある考え方を伝えられるようにしたのです。

|"帝国" ではなく、"組織" をつくれたとき

現在の部署の仲間たちと。

「 "帝国" ではなく "組織" をつくれたのかな、と思います」

自分のなかだけで確立されているような勘やセンスだけでなんとなく指示するのではなく、言語化し、メンバーの力量に合わせてわかりやすく伝えていく。それによって、メンバーからアイデアが上がってくることも増えたそう。瀧本が初めて"組織"をマネジメントした瞬間でした。

「当時の上長からも "瀧本のところはみんなすごく楽しそう" と言われたのは、それまでとは違う嬉しさがありましたね」

数年の時を経て、瀧本は大手企業に対する入社後活躍支援を手がけています。採用要件を定義したり、組織分析をしたり...と、活躍ぶりはまさにコンサルタント。前例のないミッションに対して、ポジティブに取り組む姿がそこにはありました。

瀧本は最後に「よく爪痕を残したいって言うじゃないですか。でも、爪痕って目立つことじゃなくて、サービスや思想が残り続けることだと思うんですよね」と締めくくりました。「自分にしかできない仕事」から「自分じゃなくてもできる仕事」へ。彼女は今日もクライアントやメンバーたちと向き合い続けます。より大きな爪痕を残すために。

[取材・文]田中嘉人(@yositotanaka

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