「ゾウの楽園」は守られた!中央アフリカ共和国からの報告

2014年7月1日、ザンガ・サンガ保護地域は1年半近い閉鎖を解かれ、海外からのツアー客の受け入れを再開。今、ふたたび野生動物の楽園として、歩みはじめています。

2013年3月、中央アフリカ共和国でくすぶっていた政情不安が、とうとうクーデターに発展。首都バンギに厳戒体制が敷かれ、混乱が極みに達した5月、同国南西部のザンガ・サンガ保護地域で、北から侵入した反乱軍による大規模なゾウの密猟が発生しました。しかしその後は、2014年年明けまで続いた争乱の中、現地の森林省レンジャーたちの命がけの努力や、WWFスタッフによる暫定政府への働きかけのおかげで、保護地域は事なきを得ました。そして、2014年7月1日、ザンガ・サンガ保護地域は1年半近い閉鎖を解かれ、海外からのツアー客の受け入れを再開。今、ふたたび野生動物の楽園として、歩みはじめています。

コンゴ盆地の最奥部、世界遺産「サンガ・トゥリナショナル」の一角、ザンガ・サンガ

2013年5月6日、中央アフリカ共和国南西部のザンガ・サンガ保護地域内にあるザンガ・バイ(水草の多い開けた湿地帯)に、高性能の銃器で武装した密猟団が侵入し、数日の内に26頭ものゾウを殺し、象牙を切り取って逃走しました。

このバイは、1970年代から30年以上にわたり、WWFが同国の政府森林省と協力し、マルミミゾウやゴリラ、チンパンジーといった大型野生動物の保護を進めてきた重要地域です。

また、1990年代に、ゴリラの人づけに成功してからは、アフリカ中部では数少ない、野生のゴリラを観察できるスポットとして、人気を集めてきました。

この地域のバイには、ゆったりとジャングルを流れるコンゴ河の支流と、水草を求めて広く歩き回るマルミミゾウの相乗効果でつくられたといわれる、ミネラル豊かな泥土がたっぷり溜まっています。

中でもザンガ・バイは、コンゴ盆地でもっとも深いといわれるジャングルの懐に抱かれ、動物たちも安心して泥浴びと食事を楽しめるのでしょう。中央アフリカ共和国の1960年の独立以降も、頻繁に繰り返されてきたクーデターと政治的混乱にもかかわらず、一度に200頭ものゾウが集う場所として、話題を呼んでいました。

しかし、ここ10年の急激な象牙の需要増により、このようなバイが密猟団の標的となった結果、アフリカ中部に棲むマルミミゾウの個体数は、60%以上も失われてしまいました。

そしてザンガ・サンガの最後の「ゾウの楽園」であったザンガ・バイにも、とうとう魔の手が伸びてしまったのです。

バヤンガ、そしてザンガ・サンガ、運命の日

2013年3月のクーデター発生に至る混乱は、2012年の終わりにはすでに始まっていました。

北から攻め込んだ反政府勢力「セレカ(SELEKA)」の民兵団は首都バンギを制圧。WWFの事務所も襲撃され、スタッフは自宅待機のまま、ザンガ・サンガ保護地域への支援を続けることを余儀なくされました。

2013年1月の中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)の仲介も空しく、3月にはクーデターが勃発。

戦火が南西部に及ぶのは時間の問題と見られる中、WWFも保護地域のレンジャーたちもあらゆる手を尽くしましたが、4月にはザンカ・サンガ保護地域の活動拠点であるバヤンガの町がセレカの手に落ち、WWFのバヤンガ・ステーションも2度にわたる襲撃で、根こそぎ略奪されました。

WWF中央アフリカ共和国代表のジャン・ベルナール・ヤリセムは、この時の有り様について次のように語りました。

「セレカに襲われた時は、恐怖に凍りつきました。彼らはWWFの代表である私を狙い撃ちにしたのです。着のみ着のままで森へ逃げ込み、水も食糧もないまま丸1日隠れていました。同僚はてっきり、私が死んだものと思ったそうです」

WWFスタッフはここでも撤退を余儀なくされましたが、レンジャー(エコガード)たちがバイの見回りを続けられるよう、資金と資材提供の支援は続けられました。

しかし運命の5月6日、スーダンから侵入した、カラシニコフ自動小銃(AK47)や、ランチャーまで備えた17人の組織的な密猟団が、ザンガ・バイに到達。

5月8日の夕刻までの、たった48時間に、26頭ものマルミミゾウを殺戮しました。そして、象牙をトラックに満載して保護地域を後にしたのです。

ヤリセムはこの時、苦渋の決断をせざるを得ませんでした。「ゾウのために、人の命を犠牲にするわけにはいかなかった。私たちは武装密猟団の侵入を聞いて、直ちにレンジャーたちを保護地域から避難させたのです」。

密猟団が去った後、真っ先に保護地域のパトロールに復帰したレンジャーたちは、ザンガ・バイに残る、まだ血の滴るゾウたちの亡骸を目の当たりにしました。

その時のレンジャーの一人、フラヴィアン・パニーは、当時をこう回顧します。

「当然のことですが、出発の朝、妻は『危険すぎる』と言って私を止めようとしました。でも説得したんです。我々の任務はバイに平和を取り戻すことなんだ、と。それが間違っていなかったことを、思い知らされました」

この後、ザンガ・サンガ保護地域では、レンジャーが再び組織され、ザンガ・バイを初めとする重要地のパトロールが本格的に再開されました。 WWFも、隣国カメルーンのロベケ国立公園で活動していたスタッフを急遽、現地の技術支援に派遣。

しばらくは虐殺の起きたバイを嫌って姿を現さなかったゾウたちも、10日後には数十頭の群れで戻ってくるようになり、保護地域に平穏が訪れました。

首都バンギからの後方支援

一方、WWF中央アフリカ共和国代表のヤリセムは、ザンガ・サンガ保護への支援を取り付けるため、混乱の続く首都のバンギを走り回り、WWFのパートナーである他のNGOのみならず、世界遺産の本部であるUNESCO、そして、クーデター後に組織された暫定政府にまで陳情を申し入れました。

さらに彼は、さんざん怖い思いをさせられたセレカの各部隊を訪ね、国立公園と保護地域の重要さを説いて回り、理解と協力を取りつけたのです。「私たちは、反乱軍の武装した民兵たちを相手に、何度も説明しなければなりませんでした。私やレンジャーたちが部隊を組織する目的は、戦闘員を派遣することではなく、あなたたち自身の子供たちに、貴重な自然遺産を遺すための取り締まりを続けるためなのだ、ということを」

この後2013年8月に、中央アフリカ共和国では初となる、イスラム教徒の暫定大統領が就任。9月にはクーデターの立役者だったセレカ部隊の解散が行なわれましたが、首都バンギでは暫定政府の待遇に不満を募らせるセレカの民兵たちが相変わらず徒党を組み、略奪や一般市民への弾圧を繰り返すなど、政情はなかなか落ち着きを見せませんでした。

また前大統領に近いキリスト教系住民が「アンチ・バラカ(Anti-Balaka)」と名乗る武装自警団を組織し、事態は宗教抗争にまで発展してしまいます。

そんな状況の下、暫定政府はザンガ・サンガ保護地域の入り口であるバヤンガを、軍事地域に指定すると発表。WWFはこの新たな公式見解を足掛かりに、暫定政府や地方政府にザンガ・サンガ保護地域の安定と保護を公約するよう、交渉を続けました。

そして、2013年11月末、ついに保護地域事務所と軍事地域管理事務所、WWFとの間で、公約についての覚書が交わされました。この公約が新たに配備された軍事地域当局に承認され、発効したのは、12月5日。5月に起きたゾウ虐殺以来、バヤンガに駐在し、ザンカ・サンガを警備していたセレカの部隊が引き上げた後のことです。

2014年7月、待ちに待ったエコツーリズムが再開

しかし、同日の12月5日、首都バンギでは前大統領が率いるアンチ・バラカによる襲撃があり、戦闘が勃発。700人以上の犠牲が出る混乱が再燃していました。

8月の暫定大統領の就任以来、18カ月をかけて準備が進められるべき、次期大統領選や憲法制定のプロセスを置き去りにした挙句の紛争です。

とうとう国際社会の介入が避けられない事態となり、アフリカ連合が組織したアフリカ主導中央アフリカ国際支援ミッション(MISCA)と、フランス軍が出動。そしてイスラム教徒の暫定大統領は、2014年1月10日に退陣に追い込まれました。

2月、暫定政府評議会により後任に選ばれたのは首都バンギの市長で、再び国のトップがキリスト教徒に入れ替わりました。初めての女性大統領である彼女は、国内の融和を図るためセレカとアンチ・バラカに対話を呼びかけ、宗教間の対立の解消に乗り出します。

さらに、事態を重く見た国際社会は、国連安全保障理事会の決議を通じて、同国の政情安定のため、11,800人規模の平和維持活動部隊(PKO)を派遣することを決定しました。

このような内外からの働きかけで平和構築が進められ、7月にはセレカとアンチ・バラカのあいだに停戦協定が結ばれました。この間、ザンカ・サンガでは、散発的に3頭のマルミミゾウが犠牲になりましたが、再度の大きな密猟が生じる事態は避けられました。

そして停戦協定と時を同じくする2014年7月1日、バカンスに入ったヨーロッパからのツーリストが増えるシーズンに、ザンガ・バイをはじめとする保護地域は、再び観光客に開放されたのです。観光客たちが訪れた日、バイの上は朝ぼらけの霞が流れ、優に100頭を数えるゾウたちが、水を浴び、草をはみ、それぞれ想い想いの時間を過ごしていました。

まだ訪問する客の数はわずかですが、国中が困難だった時期を耐えて、ここまでこぎつけた現地スタッフたちの喜びはひとしおです。

再開したザンガ・バイへと案内役を務める、レンジャーのフラヴィアンは言います。「耐え難い受難の時を忍び、大自然がふたたびその美しい姿を見せてくれました。この光景を見れば、なぜ全身全霊をなげうってでも、ここを守らなければならないか、理屈は必要ないでしょう」

中央アフリカ共和国の政情は、現在は国際社会の監視により安定を見ています。しかし、セレカとアンチ・バラカの小競り合いは日常茶飯事で、PKOが引き上げた後の情勢は、まだ予断を許しません。それでも、ようやく訪れた平和の中で、ザンガ・サンガの自然は今、世界の人々のかけがえのない遺産である、数多くの野生動物をはぐくんでいます。

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