【シリーズ:象牙とアフリカゾウ】ワシントン条約とアフリカゾウ

「国内市場の閉鎖」というワシントン条約の新たな勧告

人類が古くから利用してきたゾウの牙、象牙。銃器や輸送技術の発達により、象牙のために狩られるゾウの数は増加の一途をたどってきました。狩猟や取引が規制されていなかった20世紀の初頭に、取引されていたと考えられる象牙の量は年間800トン。アフリカゾウ4万頭分に相当します。そうした中、野生生物の国際取引を規制する必要性が訴えられ、「ワシントン条約」が誕生しました。シリーズでお伝えしている象牙をめぐる問題。3回目は、過剰な取引からアフリカゾウを守る取り組みの一つとして、この条約に注目します。

野生生物の危機 認識が進んだ1960年代

かつて、人類にとって地球の自然環境は無限にも等しい、圧倒的なものでした。しかし産業革命後、科学技術の発達に支えられた人類は、自然を少しずつ、しかし確実に改変し、自分たちの世界を切り拓いてきました。

20世紀に入ると、その動きはさらに加速し、人は他の多くの野生生物や自然環境を、明らかに脅かすまでになりました。

地球規模の「環境問題」の始まりです。

1960年代は、この問題が世界で、また日本で大きく注目されるようになり始めた時代でした。

当時、森や海などの自然を損なう大きな原因となっていたのは、欧米諸国や日本の急激な経済成長に伴って行なわれた大規模な開発。

そして、この時代に大きく注目されるようになった、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害にも通じる汚染などです。

野生生物についてもさまざまな種について、個体数や生態、取引などの利用状況が、少しずつ明らかにされ始めた一方で、狩猟や密猟による減少、ひいては絶滅の危機が懸念されるようになってきました。

これを後押ししたのは、開発と同様、一部の豊かになった国々の人々によるスポーツハンティング(狩猟)などの娯楽や、象牙の利用といった贅沢品への志向です。

さらに、2度の世界大戦を経て、格段に性能が上がり、広く使用されるようになった銃器、そして自動車の拡散が、狩猟による野生生物の犠牲を激増。

これに、船や飛行機を使った輸送手段の多様化が加わり、大量の動植物、その牙や骨などが取引されるようになりました。

1960年代初頭、アフリカに10万頭いたといわれるクロサイが、その角を狙われ、10年足らずの間に2400頭まで減少した例は、その代表的なものです。

そうした中、1948年に設立されたIUCN(国際自然保護連合)は、1960年代初頭から、人々の利用による狩猟や密猟の増加と、それによる野生生物の危機を重要な問題として警鐘を鳴らしてきました。

また、1972年にスウェーデンのストックホルムで開催された「国連人間環境会議」でも、過剰な取引によって生じる野生生物の危機が指摘され、新たな取り決めの必要性が認められました。

これを受け、IUCN(国際自然保護連合)が中心となり、国際取引を規制することで、絶滅のおそれのある野生の動物・植物の種の保護を図ることを目的とした、国際条約の草案を作成。

1973年、アメリカのワシントンにおける会議で、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」、すなわち「ワシントン条約(CITES)」が調印されました。

ワシントン条約の役割

「ワシントン条約」は国と国との間で行なわれる野生生物の国際取引のルールを定めた、国際条約です。

この条約に加盟した国々は、2~3年に一度開かれる締約国会議(COP)での取り決めに従い、国家間での輸出入の規制を実施。

さらに各国内でも、野生生物の取引の規制や、違反時の罰則を定めた法律を作り、違法取引を締め出し、条約が求める「取引の規制を通じた保護」を実現する責務を負います。

1973年、80カ国の合意により採択された条約、40年以上を経た2017年9月現在の加盟国は183まで増加。

さらに、今では3万5,000種を超える野生の動物・植物種が、この条約の取り決めにより、取引規制の対象となっています。

ワシントン条約の附属書

ワシントン条約では取引を規制する野生の動物・植物種を「附属書I」「附属書II」「附属書III」という3つのカテゴリーに分けて附属書(Appendices)と呼ばれるリストに記載しています。ここに記載された野生動植物の取引は国ごとに記録を取り、報告することになっています。蓄積されるデータは、規制対象となっている種の取引の動向を把握し、規制の内容が適切かどうかの見直しをする際などに役立てられます。

陸上最大の動物であり、1970年代から象牙目的の密猟が問題視されてきたアフリカゾウも、このワシントン条約の対象とされる野生動物です。 深刻な違法取引と密猟の問題を抱え、多くの国が関わり、国際的な取り組みが必要とされる、まさに条約のシンボル的な存在といえるでしょう。

アフリカゾウは牙である象牙はもちろん、皮や肉も取引、利用されている上、生息国が多く、国ごとの生息状況、取引事情も異なっています。

とりわけ象牙の取引問題は複雑をきわめ、条約設立当時から多くの議論の的となってきました。

アフリカゾウをめぐるワシントン条約の議論

アフリカゾウは「ワシントン条約」が定める取引規制の取り決めにおいて、特別な施策が取られています。

その特徴とは、「生息する地域ごとに、記載されている附属書が違う」という点です。

通常、条約の附属書への記載は「種ごと」に行なわれます。

ジャイアントパンダならば附属書Ⅰ、ケープペンギンならば附属書Ⅱという具合に、種ごとに記載の附属書が定まっています。

しかし、地域ごとに事情が異なるアフリカゾウのようなケースでは、国単位で地域を分けた個体群として、その個体群ごとに附属書の記載を分けて、規制内容を分けるという方法が取られることがあります。

アフリカゾウはもともと1種で一つの附属書に記載されていました。

しかし現在は、ほとんどの地域のアフリカゾウは商業目的の取引が禁止となる「附属書Ⅰ」に記載されている一方、南部地域の4カ国、ボツワナ、ナミビア、ジンバブエ、南アフリカ共和国だけは、許可書があれば取引が可能な「附属書Ⅱ」に記載されています。

なぜこのような形になっているのか。

その理由はワシントン条約会議における象牙をめぐる議論の経緯と関係があります。

密猟の嵐の中で

1970年代から80年代にかけて、東アフリカを中心に象牙を目的としたゾウの密猟の嵐が吹き荒れた時。該当地域の各国政府は、自国のアフリカゾウが激減したことを受け、世界にその危機を訴えました。

1987年にはIUCNが「世界で取引されている象牙の4分の3が密猟由来である」という衝撃的な見解を発表。

さらに調査から、取引されている象牙の大きさが小さいこと、つまり成獣の個体が減少し若い個体までもが犠牲になっていることも明らかになりました。

こうした状況を受け、東アフリカ諸国はアフリカ全土のアフリカゾウを、それまで記載されていた「附属書Ⅱ」から「附属書Ⅰ」に格上げし、象牙の商業取引を全面禁止するよう求めたのです。

さらに、WWFも参加して行なった調査の中で、アフリカゾウの繁殖力を上回る速度でゾウの捕獲・密猟が行なわれていること、また母親のいない子ゾウの死亡率が高いことなどが明らかになりました。そのままのペースでゾウが殺され続ければ、10年程で個体数が半減してしまうとの試算が出され、WWF、IUCN、WCI(現WCS:Wildlife Conservation Society)からも、象牙取引を世界規模で禁止する必要性を訴えました。

そして、1989年に開かれた第7回ワシントン条約締約国会議(COP7)で、これらの声が受け止められ、全てのアフリカゾウの象牙の商業取引は、禁止されることが決まりました。

アフリカ南部諸国の訴え

ところが、この取り決めに異議を唱え、反対した国々がありました。ボツワナ、ナミビア、ジンバブエといった、アフリカ南部の諸国です。

密猟がさほど生じなかったこれらの国々は、自国に生息するアフリカゾウが「附属書I」の掲載基準を満たしていない、と主張。象牙の商業取引を継続したい、という希望を強く述べました。

この主張は決して間違ったものではなく、アフリカ南部の個体数や生息密度、密猟や違法取引の状況から客観的に判断すれば「附属書Ⅰ」への移行は、確かに特殊な事態でした。

しかし当時、東アフリカを中心に各地で起きていた密猟の現状は深刻で、一部でも象牙の取引を残すことを認めれば、密猟と違法取引が抑えられなくなるおそれがありました。

そのため、会議の場ではアフリカ南部諸国の主張を認め、将来的には取引再開に配慮することを合意した上で、「全てのアフリカゾウ」の附属書Iへの掲載が採択されたのです。

この取引禁止の効果は確かにありました。

10年余りにわたって続いた東アフリカでのアフリカゾウの密猟は減少し、他の地域でも大規模な密猟が頻発する例が明らかに減ったのです。

ワシントン条約が「国際取引を規制し、その圧力から野生生物を守る」というその目的を果たした一例となりました。

しかし、同時にゾウが減るどころか、個体数が増加していたアフリカ南部の3カ国、ボツワナ、ナミビア、ジンバブエでは、農業への被害や人との遭遇事故が発生。

また象牙やゾウの皮、肉などの国際取引で得ていた収入を失い、経済的な打撃も受けることになりました。

ゾウ保護に必要な資金や、取引の再開に向けて保管していた、密猟に拠らない象牙(自然死したゾウや人の安全を守るために捕殺されたゾウによるもの)の管理の費用も、大きな負担になっていました。

アフリカ南部個体群を「附属書Ⅱ」に

アフリカ南部の3カ国は、1989年のアフリカゾウ「附属書Ⅰ」決議以降も、取引の再開を求め、「附属書Ⅱ」への降格(ダウンリスティング)を提案し続けました。

一方で、アフリカゾウの数がまだ十分回復しておらず、再び密猟が深刻化することを恐れた他のアフリカの国々と、それを支援してきた欧米などの国々は、多くがこれに反対。

議論は平行線のまま数年が過ぎました。

これは、アフリカゾウの保護と未来を考える上で、根本的な解決が実現できていない現状を物語るものでした。

もし、これらアフリカ南部の国々のような訴えを持つ国が、その主張が受け容れられないことを理由に、ワシントン条約から脱退するようなことになればどうなるか。

条約の規制に縛られずに輸出される象牙が急増して需要を刺激し、違法な市場さえも拡大させて、新たな密猟を呼ぶことになるかもしれません。

実際に各国内の市場に流れ込んだ象牙が、合法か違法かを見分けることは難しく、「ワシントン条約」という一つのルールの中で管理できなくなることは、致命的な問題です。

そうした中で、アフリカ南部の国々の意見を尊重する必要性は、もはや誰の目にも明らかな状態になっていました。

そこで、解決策を見出すために、象牙取引に賛否の両論を持つゾウの生息国の代表が集まって話し合う「アフリカゾウ生息国対話会議」が開かれることになりました。

そして、その会議の結果を受け、1997年の第10回ワシントン条約締約国会議(COP10)で、ボツワナ、ナミビア、ジンバブエに生息するアフリカゾウの個体群のみを、「附属書II」に降格(他地域のアフリカゾウは附属書Ⅰのまま)とすることが決まったのです。

その後、南アフリカ共和国もこれに追随。アフリカゾウに認められた「個体群」ごとの附属書の記載は、この時に始まりました。

再開された象牙の輸出

1997年の決議で、附属書Ⅱに降格したアフリカ南部の「個体群」は、再び取引できる対象になりました。

しかし、そこには慎重を期したさまざまな条件や安全措置が設けられました。

取引できる対象は、皮や皮製品、生きたゾウ、おみやげ品として現地で作られた彫刻品などに限定。

象牙の取引は、複数の国と随時行なうのではなく、条約事務局の監視の下、回数を限り、特定の国にのみ輸出することが決まりました。

つまり、通常「附属書Ⅱ」に掲載された野生動植物は、許可書があれば取引ができるのですが、象牙については「附属書Ⅱ」であっても、事実上取引ができない状態に置かれたのです。

また、取引を認められた象牙には印が付けられ、輸入国側の、国内の象牙管理体制も審査。そのための条約事務局による専門家パネル(検証チーム)も結成されました。

そして、1999年に日本へ1回、2008年に日本と中国へ1回ずつ、ボツワナ、ナミビア、ジンバブエ、南アフリカ共和国(2008年のみ)の南部アフリカ4カ国から象牙が輸出されたのです。

さらにこの時、世界の象牙の違法取引の動向を把握するための「ETIS」※と、アフリカゾウの密猟の動向を監視する「MIKE」※、2つの情報収集・分析システムの設計・開発も決定。

※象牙の違法取引の情報を収集し傾向を分析しているETIS(Elephant Trade Information System)「ゾウ取引情報システム」:トラフィックが活用していた1989年以降の象牙の押収・没収の記録(BIDS)をベースに構築された

※モニタリングサイトでのゾウの違法捕殺の動向を監視し分析しているMIKE(Monitoring the Illegal Killing of Elephants)「ゾウ違法捕殺監視システム」:1997年、南部のアフリカゾウが附属書Ⅱに移行された時から開発がはじめられ構築された

地域ごとの事情を考慮したアフリカゾウの保護は、新たな一歩を踏み出したかに見えました。

アジアの経済発展の影響

ところが、2000年以降、アフリカゾウの保護は、新たな脅威に直面することになりました。

問題の発生源は、アフリカではなくアジア。中国・香港やタイをはじめ、象牙とその製品の一大消費国が集中する地域です。

急激な経済発展を遂げてきたこれらの地域の国々では、豊かな暮らしを手にする一方、そのゆとりを贅沢品や嗜好品の消費に振り向けるようになりました。

そうした品の一つが「象牙」でした。

1989年以降、象牙の国際取引がほぼ全面禁止されてきた中で、この新たな需要をまかなったのは、闇で行なわれる違法な取引でした。

こうした違法に取引される象牙については、政府により管理された記録が存在するわけではないので、どれくらいの量が取引されたのか、正確なことは分かりません。

しかし、アジア諸国経済の成長に伴う消費の増大のスピードが、象牙の需要と、違法な取引を急増させたことは確かです。

実際、ETISとMIKEのデータによっても、その傾向は明らかに示されました。

さらに、経済が進む一方で政治が追いつかず、違法取引の取り締まりや、そのための法整備などが置き去りになったことも、これらの国々に違法象牙を大量に流入させる一因になったと考えられます。

引かれた密猟の「引き金」

こうした過剰な取引の問題は、アフリカゾウの密猟を再び増加させる引き金となりました。

かつて1970年代から80年代、経済成長の真っただ中にあった日本は、年間300トン以上の象牙を輸入する、世界屈指の輸入・消費国でしたが、時を同じくして、東アフリカでは大規模なアフリカゾウの密猟が起きていました。

この時の日本と同じことが他のアジア諸国で、そして再びアフリカ諸国でも起き始めたのです。

2000年代の後半からこの傾向は如実に表れるようになり、2010年代に入ると、密猟で殺されるアフリカゾウの数は、大きく増加し始めました。

今回大きな打撃を受けたのは、もともと生息数の少ない中央アフリカ、そして西アフリカのゾウ。

東アフリカでも再び密猟が多発し、タンザニア政府は自国のゾウが「2010~2015年の5年間で6割減少し、その大部分が密猟の犠牲になった」と発表しました。

拡大するアフリカとアジア双方の闇市場の背景にあったのは、国境を越えてアフリカ諸国に入り込む、アジアの資本や人の流れ。

さらに、象牙の密輸で得られた資金が、武力闘争で使われる武器などの購入に回されていることも指摘され、他の国際的な犯罪とも深く関与していることが明らかになってきました。

この野生生物をめぐる犯罪規模の深刻化については、2012年11月、当時アメリカの国務長官であったヒラリー・クリントン氏も言及。

これをきっかけに、2015年7月の国連での決議「野生生物の違法取引への取り組み(Tackling illicit trafficking in wildlife)」が採択されるなど、さまざまな国際会議の場でも、この問題が議題として取り上げられ、その撲滅を求めるメッセージが発せられるようになりました。

「国内市場の閉鎖」というワシントン条約の新たな勧告

そうした中、2016年のワシントン条約の第17回締約国会議でも、加盟する国々が新たな対策に合意しました。

ゾウの保全において、各国の国内の取引が密猟や違法取引を助長することがないように、それぞれの国において取引規制や違法行為の取り締まりの実施を求める、条約の公式文書「決議10.10」。

その中に、「ゾウの密猟や、象牙の違法取引に関与している国内市場については、閉鎖(つまり国内の商業取引を停止する)を求める」という勧告が追加さたのです。

これは、一見当たり前のことのように思われるかもしれませんが、ワシントン条約はあくまでも、国と国との間での野生生物取引を規制する条約です。

それが、問題のある各国内の象牙市場の「閉鎖」を求める、という、強い言及を行なった事実は、深刻化、複雑化する密猟と違法取引への対処には、これまで以上の対策が必要だ、という認識が強まったことの証といえます。

この「決議10.10」の改正は、繰り返す密猟に終止符を打ちアフリカゾウの危機を何としても阻止するのだという、締約国の強い意志を示すものとなりました。

現在、世界の野生生物の違法取引は、年間2兆円にのぼる規模と言われています。

アフリカゾウの密猟と、象牙の違法な取引が、その一端を占めていることは、言うまでもありません。

その中で、ワシントン条約の掲げる、「過剰な取引」という脅威から野生生物を守る、という目的は、ますますその重要さを増しています。

次回は、象牙の違法取引撲滅へ向けたワシントン条約の枠組みのひとつで、違法取引への関与レベルが高い国に求められる「国内象牙行動計画(National Ivory Action Plans)」と、11月に開催されるワシントン条約常設委員会の動向、また、日本には今、何が求められるのかについて、トラフィックの新たな調査から明らかになってきた日本の市場と取引の実態と合わせて、踏み込んでゆきます。

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