核兵器は政治的生き物 韓国紙の「原爆は神による懲罰」

原爆投下、核兵器というものは極めて政治的な生き物だ。歴史的背景、外交的関係や人々の好感度でどのようにでも姿を変える。やっかいなものだ。

核兵器を客観的、というか科学的に見れば、TNT爆薬に換算してどれぐらいの破壊力だとか、放射能や熱放射による被害はどれほどであるかと定義することができる。ただ、それはあくまでも物理学的なことであって、実際のところ核兵器は極めて政治的、社会的な存在である。

言い換えれば、核兵器というものは政治的に都合よく解釈され、利用される。

前のブログでも書いたが、核兵器は外交ゲームの駒、もしくは強烈な手札であることは現状では認めざるを得ない。このことは、アメリカが1945年に原爆の開発に成功した時から、広島に原爆を落とす前から、当時のトルーマン大統領をはじめバーンズ国務長官らが確信し利用した事実だ。原爆は対ソ連外交の「ロイヤルストレートフラッシュ」だった。

韓国主要紙である『中央日報』が「日本に原爆が投下されたのは神の懲罰だ」とする記事を掲載したことは残念というより広島の人間として悲しい。しかし、歴史的、そして現在の日韓外交関係からは、不愉快ながらも認めざるを得ない政治的解釈の一つだ。

原爆を「神による懲罰」「天罰」とみなしている国は(もちろん、国民の総意というわけではないが)韓国だけではない。中国もほぼ同じだといえる。私の行った原爆投下を伝える両国の新聞論調・表現の分析結果が根拠である。

ただし、中韓のように原爆投下を「天罰」と言い放つマスメディアは、わたしの知る限りこれら両国だけといっていい。

ここで、「天罰」という政治的解釈の出処を探ってみる。大戦中に占領下におかれたという「恨み」に起因するのなら、他の東南アジア諸国も原爆投下を「天罰」と言い放つはずである。だが、そんな国はない。

つまり、現在の日本との外交関係、日本に対する国民感情が影響している。

中韓両国以外の世界各国で行われる世論調査が示しているが、世界で最も好感度の高い国の一つは日本である。逆に中韓にとって日本は(少なくとも世論調査結果は)最も嫌いな国の一つである。

原爆投下を政治的に天罰とみなすことと、日本を嫌う傾向は見事に相関している。外交関係もしかりである。

では他国はどうだろう。第二次世界大戦に基づく歴史的背景からすれば、アメリカを筆頭とする戦勝国と、ドイツ、イタリアの敗戦国では、原爆に対する見方が異なりそうである。戦勝国は原爆を正当化し、敗戦国は(負けた者同士であるから)否定する。実は、そう単純ではない。戦勝国で核保有国のフランスは原爆投下を肯定しないどころか、むしろ、虐殺とするむきもある。

たとえばフランスを代表するリベラル系高級紙『ルモンド』は、原爆投下を「非人道的行為」「民間人虐殺」と繰り返し批判している。2000年代の反米感情が大きく影響していると思う。戦勝国のイギリスも、2000年代に入ってから核兵器のみならず原爆投下に対する意見は肯定から否定に逆転したようだ。英主要紙『ガーディアン』は、「原爆投下は戦争犯罪である」という記事を掲載している。

敗戦国同士のドイツは、原爆投下をナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)に例えることが多い。原爆投下は「神による懲罰」どころか、悪魔の行為であるホロコーストなのである。

最後になったが、原爆投下当事国のアメリカでは、戦争終結を早めた結果日米両国民の命を救った「救世主」であるが、「天罰」ではない。

このように、原爆投下、核兵器というものは極めて政治的な生き物だ。歴史的背景、外交的関係や人々の好感度でどのようにでも姿を変える。やっかいなものだ。

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