『日本人は、なぜ議論できないのか』 第6回:閑話(1)

白票を有効化する試みを一度でも行ってみれば、政治家と役人は、如何に自分たちが、現実からずれているかを理解するのではないか。厚顔な政治家もこの結果を無視はできまい...

前回までの「議論はどこでもギロン?」で、ダイアローグと意見の多様性を前提に置く欧米的な「私」の「ギロン」と、モノローグ的であり、思いの斉一を所与とする日本的な「我々」の「ギロン」との本質的な違いについての理解は頂けたと思う。そして、不可逆かつ加速化する、多様性を前提に置くグローバル化という環境の中で今後生きていく選択をする日本人にとって、日本的なギロンは、その前提からして機能しないことも明白ではないであろうか。

前回の連載で予告した「私が容易に我々になる日本社会」は、次回に回すこととして、今回は、夏休みの閑話かつ実践を兼ねて、ダイアローグと意見の多様性を前提とするギロンを誘発したい。ギロンのタネはdrastic(過激)な方がよかろう。たとえば、国民国家という存在は絶対か、国民は憲法第九条に対して決意を持っているのか、民主主義は無謬か、日本の持続的経済成長は本当に可能なのか、といった大きなテーマが面白い。今回は、先月に参議員選挙がおこなわれたので、日本における選挙についてギロンしたい。

今回の第23回参議院選挙の投票率(選挙区)の全国平均は52.61%で、前回2010年の57.92%を5.31ポイント下回り、過去3番目の低さであった。今回からインターネットを使った選挙運動が解禁されたが、投票率の向上には結び付かなかったようだ。当然、高齢者と地方(地方の高齢者比率は高い)での投票率が高く、若年層と都会での投票率が低い傾向は変わらない。投票率の低い若者に対する投票への啓発活動と称して、たとえAKB48を使おうが、インターネットを使おうが、若年層の投票率が上がると思っている読者はいないのではないか。そもそも、問題の本質がずれている。若年層と都市部での投票率の低さは、啓発で片付く問題ではなかろう。

選挙に熱心なのは、権益が関わる地方と高齢者という分かりやすい構図である。一般的にいって、地方選挙区の方が、高齢者比率が高く

http://www.stat.go.jp/data/chiri/map/c_koku/nenrei/pdf/2010-4.pdf)、一票の価値が重い(http://www.ippyo.org/pdf/20130130001.pdf)。 昨年2012年末の自民党が大勝した衆議院選挙では、自民党当選議員の3割近くが世襲議員であると言われており、この多くが地方の選挙区選出の議員であることを考えると、利権の話は分かりやすい。地方の有権者にとって、利権構造が重要であれば、政治家を家業とする世襲議員を選ぶのが良いに決まっている。事実、今回の参議院の改選1の一人区(基本的に地方である)での世襲議員の多い自民党の29勝2敗(岩手と沖縄)という圧勝が、この構図を如実に示してはいないか。つまり、少子超高齢化が進む中で、政治家が望むように現行の一票の格差是正を最低限として、選挙全体が低投票率であればあるほど、中央との利権に依存する地方と高齢者が永田町に多くの代弁者を送り込めると言う構造である。これが、日本の民主主義を支える選挙の現実である。事実、2012年の衆議院議員選挙で、自民党は480議席中の294議席を獲得(61.3%)し、国民の圧倒的支持を得たごとき振る舞いをしているが、この選挙での自民党の得票率(27.66%)と投票率(59.31%)から国民の中ではっきりと「自民党支持」と言った有権者の比率を計算すると16.4%にしかならない。現行の選挙制度がもたらすこの歪みを国民は真剣に考えるべきであろう。

周知の通り、選挙は民主主義の根幹をなすものであり、日本国憲法では選挙について、以下の原則を定めている。

① 普通選挙:選挙権は、一定の年齢に達した全ての日本国民に与えられる。

② 平等選挙:一人に一票が与えられ、性別・財産・学歴などの差別はない。

③ 秘密投票:誰が誰に投票したか分からない方法で、選挙が行われる。

④ 自由選挙:選挙人の自由な意思によって行われる。

⑤ 直接選挙:選挙人が直接代表者を選ぶ。

②については、衆議院であれ参議院であれ、一票の格差が大きな問題となっている。格差の是正に向けて、改善のポーズをとりつつ、牛歩戦術をとり、自ら果断な改革をすることのない政治家にかわって、ついに裁判所が、2012年の衆議院選挙について起こされた16件の訴訟に関して、16件全件について違憲の判決を言い渡した。16件の違憲判決のうち、12件は「格差は違憲、しかし、選挙は有効」、2件は「違憲状態」、2件は「違憲かつ無効」の判決を言い渡した。16件全てについて「格差は違憲」の判決をくだし、そのうち2件は、これまでの慣例である「違憲だが選挙は有効」ではなく「選挙も無効(広島高裁は、2013年11月26日までの猶予を設ける「将来効」の条件付きで無効を言い渡したのに対して、岡山支部は猶予を設けず、判決確定で無効になるとしている)」という画期的な判決を下した。最高裁大法廷は、上告を受け、年内にも統一判断を示すとみられている。裁判官さえも、最早、政治家に一票の格差の解消や議員定数の是正は、とてもできないと思っているのであろう。いずれにせよ、今回の統一判断では、司法の番人としての最高裁の真価が問われる。

今回問題にしたいのは、⑤の直接選挙に関わることである。無党派層が拡大し、その取り込みが、特に都市部においては、選挙結果を左右すると言われて久しい。これは、政党が、俗にいう浮動票といわれる無党派層をどう取り組むかという観点でかたられる。つまり、これまでの政党は、歴史的にイギリスにはじまるコーカスといわれる地方の名士からなる地方幹部会組織や、労働組合などの支持母体、または党員といった硬い支持基盤を前提としてきたわけである。その支持基盤が弱体化をしてきたことが、政党にとっての浮動票といわれる無党派層の重要性につながっている。一方、衆議院で小選挙区制を導入した際に声高に叫ばれた、日本における二大政党制の確立は、風前の灯の民主党を見ればわかるように、絵空事である。残ったのは、政治家が短視眼的かつ有権者へのリップサービスに始終せざるを得ない小選挙区制の悪弊であろう。

何を言いたいかといえば、このように、最早、既存の政党政治が機能していない状況にあり、かつ、政党によるご都合主義的な立候補者選定では、投票をしたい政党のみならず、候補者もいないという状況が、都市部かつ若年の選挙民の偽らざる心境ではないか。つまり、投票したい政党や候補者ではなく、より投票したくない政党や候補者を避けると言う、まさに、積極的支持ではなく、最悪を避けたいという消極的な支持でしかない政党や候補者に投票をするのである。これでは、投票率が上がらないのは無理もないであろう。そもそも、投票は国民の権利であるのだから、投票率が一定の率、例えば6割を割ったら、選挙を無効とし、再選挙を行うべきであろう。現在の有効得票数(衆参の比例代表には適用されない)をもとにした法定得票数による再選挙は、投票率とは関係がない。

そもそも、投票したくもない政党と候補者の中から選ばなければならない選挙とは正しい制度であろうか。硬い支持基盤が前提の政党政治の時代であるならいざしらず、無党派層が多数を占める現状において、今の選挙のあり方は、選挙民の意思を正確に反映する仕組みでは、最早ないのではないだろうか。

選挙民の立場に立てば、現在の選挙制度は、現実に合っていないが、その意思を示す方法がないのである。あるとすれば、選挙を棄権するくらいであろう。これを、政治家と役人は、権利である選挙権を行使しない意識の低い国民とみなすわけである。決して、自分たちの方が現実からずれているとは思わないのである。実際、選挙にいかないことが、本当に、意識の低い国民であることを意味するかは分からない。筆者は都市部や若年の選挙民の意識が低いとは思っていない。現状では、白票は無効票であるので、消極的ではあるが、棄権以外に意思表示をする方法はない。

ここで、荒唐無稽な一案を提示したい。無党派時代における選挙での積極的な白票の意味合いを高く評価すべきであるということである。白票を有効にする仕組みをつくればよいのである。たとえば、白戸家のお父さんを小選挙区・選挙区と比例代表に立候補させ、白戸家のお父さんへの投票は、有効な白票とする。もし、白戸家のお父さんが当選した場合、その議席は空席となる。複数人数区であれば、1人分の議席が空席になってもあまり問題はなかろう。もし、白戸家のお父さんがトップ当選した場合は、その小選挙区・選挙区での落選者は、一定期間,その小選挙区・選挙区からの立候補を停止(候補者への不信任)すれば良いかもしれない。有権者からみれば、議席が一つ減るわけであり、有権者も痛みを伴うはずであるので、白戸家のお父さんに投票するには、それなりの覚悟がいるはずである。1人区であれば、その小選挙区・選挙区の議席は空席になるが、これはあまりおこらないと言えよう。むしろ、1人区は地方が多く、都市部との比較において、世襲の議員(主に自民党)が当選することの意味あいがよりはっきりするのではないか。これで、現在の政治システムの問題の所在も明確になるのではないか。

比例代表でも白票をカウントする。これは、かなりのインパクトがある。まず、既存政党への不信任の明確化である。また、定数削減にも寄与するのではないか。つまり、白票分で獲得した議席は削減すれば良い。そもそも小選挙区・選挙区に地盤をもたない有名人か、小選挙区・選挙区ではもはや勝てない重鎮用のバックアップに使う比例代表制の意味あいは、弱小政党からの非難が聞えるが、定数削減に使うくらいにしかないのではないか。

この白票を有効化する試みを一度でも行ってみれば、政治家と役人は、如何に自分たちが、現実からずれているかを理解するのではないか。厚顔な政治家もこの結果を無視はできまい。今の日本の政治システムに自浄機能は期待できないので、このくらい過激なことをしなければ、政治は変わらないであろう。

これを戯言と思うか、ギロンに足ると考えるかは、読者各位に任せたい。

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