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『日本人は、なぜ議論できないのか』 第7回:『私』が容易に『我々』になる日本社会

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今回は、衆議一決という予定調和的結果としての全会一致を暗黙の原則、言いかえれば、独白(モノローグ)の連鎖の展開の結果、各自の意見や考えは、"自ずと"あるしかるべき点に収斂してくる現象を特徴とする日本的なギロンが示す、「私」が容易に「我々」になるブラックボックスとも言える過程について取り上げることとする。

欧米社会では、衆議一決(全会一致)では、社会心理学でいう斉一性(uniformity)の原理が働いていると言われるであろう。斉一性の原理とは、ある集団内において、反論や異論などの存在を許容せずに、ある特定の方向に集団として収斂していく状況を示す。斉一性の原理は、少数意見の存在を認める多数決の原則で意思決定を行う場には起こらず、全会一致を志向する意思決定の過程において発生するとされ、ファシズム(≒全体主義)に通じるものとして、民主主義社会において、回避するべきものとして認識されている。
 
しかし、日本の社会では、日常的に行われていることなので、読者もそれほどの問題か、と思うかもしれない。最近の国レベルでの極めつけの例としては、日銀の政策委員会の不思議がある。この3月に日銀の総裁が、異次元金融緩和で一躍時の人となった元財務省財務官・前アジア開発銀行総裁の黒田氏に、岩田・中曽両副総裁とともに交代した。しかし、日銀の最高意思決定機関である政策委員会を構成する残りの6名のメンバーは、白川前総裁の時とかわっていない。それにもかかわらず、新総裁へと代わった初めての金融政策決定会合で、新総裁が白川前総裁の時とは次元の違う金融緩和と呼ばれる『超リフレ政策』を打ち出すと、全員あっという間に一転して賛成したのである。『超リフレ政策』というのは、金融の量的緩和を一気に進めて、今後2年の間に物価水準を2%引き上げるという政策的なインフレ追求である。お金(日銀からの資金供給量であるマネタリーベースであり、市場に出回る通貨総量であるマネタリーサプライではない)を潤沢に溢れさせて、デフレから脱却するというわけである。これは、白川前総裁の時代とは原理を異にし、次元の異なる量的・質的金融緩和であると主張している(故に異次元という表現を総裁自ら多用している)にもかかわらず、一転して、白川前総裁時代からいる委員全員が、この異次元政策に対して、手のひらを返すように賛成に回ったのである(但し、一人の委員がインフレの達成時期について異論を出したと報道されているが)。これほど見事に、集団内において、もともとある反論や異論などの存在を許容せずに、雪崩現象のように、ある特定の方向に集団として収斂していく状況を示す例も珍しいのではないか。

委員は、任期があるからと言っても、専門家であるので、専門家としての自分の信念を簡単に翻すぐらいであれば、普通は辞任をしそうなものであるが、誰一人として辞任をしていない。これを、新参の上司である総裁と副総裁の言うことをきいたという委員の単なるサラリーマン的自己保身行為であるとして、片付けて良いのであろうか。流石にそれは、委員に失礼かもしれない。

日本の大手マスコミの多くが、この手のひら返しを問題として取り上げないのは、大政翼賛会的性格を強める、彼等としては、挙国一致的美談と捉えているからであろう。しかし、読者は、これを日本的美談の衆議一決として、違和感なく受け入れられるであろうか、それとも、違和感があるであろうか。間違いなく、欧米人の目から見れば、かなり気持ちが悪いといっても過言ではなかろう。
 
すこし、立ち入って状況を見てみよう。このような斉一性の原理が働く状況を欧米的な視点で捉えると、必ず「自薦の用心棒(self-appointed mind-guards)」が現れる。「自薦の用心棒」とは、社会心理学の集団思考の研究領域において指摘される事象のひとつで、社会の影響や集団心理の結果して成立した規範(自明なマジョリティ)を、擁護しようとする行為者または存在を意味する。具体的に、「自薦の用心棒」は、反論や異論を封殺するためにマイノリティである発言者を貶めるネガティブ・キャンペーン等を行い、反論や異論の影響力を極力弱めようとする存在である。つまり、欧米的には個人に還元できる「自薦の用心棒」という明確な対象が存在する。
 
しかし、日銀の政策委員会の不思議では、「自薦の用心棒」は果たしていたであろうか。むしろ、外部から見ると、この転向は自発的に見える。また、そもそも、異次元金融緩和派は政策委員会の中でマジョリティではなかろう。政策委員会では、むしろ、黒田新総裁派の方がマイノリティではなかったか。そこでの斉一性の原理の起動のメカニズムは、欧米とは異なりそうである。この「自発的に見える」ことに糸口があるのではないか。

日本におけるギロンでは、各自の意見や考えが、"自ずと"あるしかるべき点に収斂されていく「力」が働く中で、専門家たる委員である「私」は、気がつけば、「我々」政策委員会へと変容したのである。この「力」は、「自薦の用心棒」のような個人ではない。それでは、この「力」とはなにかである。当人に聞けば、それは、総裁でも副総裁でもなく、簡単に言ってしまえば、流れにあがなえないその「場」の雰囲気(「空気」)であると答えるであろう。「場」(最近は「空気」)とは、日本人が多用し、日本の意思決定プロセスにおいて最も重要視する言葉かもしれない。
 
それでは、この「場」と「空気」を突き詰めるとなにか。それは、「間主観性(Intersubjektivität)」に対する個人の捉え方の問題に行きつくと言える。御存じの読者もいると思うが、「間主観性」は、現象学で高名な哲学者であるフッサールが用いた概念であるので、日本出自の概念ではない。簡単に言えば、「間主観性」とは、複数の個の主観の共同化≒相互主体性を意味すると言えよう。見方によっては、この「間主観性」は、西欧のキリスト教世界において、個人の中で超越的存在であった神のポジションを、近代を通して、自己に置き換えることで、個の主観の超越的主体性(「相互独立的自己構造」)を確立してきたという歴史が存在することを考えると、かなり過激な概念であったかもしれない。何処まで行っても主体としての個の主観の超越性が勝る西洋では、この「間主観性」は、公園のように、その存在やそのルールが明示的な「個別化ができない公的な間主観性」として存在し、個人は、この「個別化ができない公的な間主観性」に従うことを潔しとはしない。故に、西洋人は、「個別化ができない公的な間主観性」の存在を「peer pressure(同僚からの圧力)」などと表現する。彼らにとって「間主観性」の存在とは、同僚などの個人に還元される存在によりもたらされる負の圧力であり、彼等は、この「間主観性」自体の自発性≒一人称性を認めない傾向が強い。
 
果たして、日本ではどうか。「相互独立的自己構造」が優位な欧米人と異なり、過度に「相互協調的自己構造」という相対的自己構造が優位な日本人(1) にとって、この「間主観性」は、裏庭のように、部外者には、その存在やルールが捉えられない「個別化ができない私的な間主観性」として存在し、それが根源的な自発性、つまり、一人称性を持つかのように認識される(2) 。日本人は、これを「場」とか「空気」と表現するのである。そして、この「個別化ができない私的な間主観性」に従うことにまるで抵抗がない。また、日本人は、「個別化ができない私的な間主観性」の存在を『思いの共有化』と表現し、正の意味で理解し、かつ、あたかも自分と同列の主体であるかのように「個別化ができない私的な間主観性」自体の自発性を認める傾向が強いと言える。この意味で、日本における「個」の概念は、英語の「individuality」とは、同意ではないといえよう。
 
この「個別化ができない私的な間主観性」が根源的自発性を形成する過程で、個人が流れに反論ができない状況が訪れた時が、「私」から「我々」への不可逆な転換点である。これに慣れ親しんでいる日本人は、『我々』を多用し、英語でも、『We』を使うことが多いのではないか。読者は、どうであろう。日本人の悪い癖といわれる『黙る(面倒じゃ)』、『考えない(考えたくない)』、『わかったと思う/思いこむ(目をつむる)』の背景にも、この「私」から「我々」への不可逆の転換があるのではないか。そして、「私」から「我々」への不可逆な転換の持つ、異論を封殺し、建設的で自由な議論を阻む情緒的な負の側面も十分に認識する必要があろう (3)。
 
今回の日銀の政策委員会の不思議の背後では、このような極めて日本的な状況が起こったのではないか。また、その背景には、異次元というキャッチコピーに踊ったマスコミと国民が作り上げた世論と言う名の庶民感情という、反対を許さない日本的な斉一性の原理が働いていたことも見逃すべきではない。そして、それは、「世論」と言う名の庶民感情であって、「輿論」という公衆の意見ではないことを認識する必要があろう (4)。

(1) 『木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか』(リチャード・E・ニスベット ダイヤモンド社 2004年)を参照。
(2) 『時間と自己』(木村 敏 中公新書 1982年)を参照。
(3) 『瓦礫の中から言葉を―わたしの<死者>へ 』(辺見 庸 NHK出版新書 2012年)を
参照。
(4) 『輿論と世論―日本的民意の系譜学』(佐藤 卓己 新潮選書 2008年)を参照。