女性登用促進と政治家について考える――異端的論考(4)

女性の社会進出を積極的に推進するのは、本来、まずは政治の世界であり、それも、現在のような話題稼ぎではなく、定着が確実な制度の導入であるべきとする筆者の考えは、荒唐無稽か、それとも読者諸兄の賛同をいただけるであろうか。
時事通信社

今月12日から、安倍首相の肝いり(initiatives)で、国際会議「女性が輝く社会に向けた国際シンポジウム(略称:WAW! Tokyo 2014)」が開催される。「女性の力を成長の源泉に〜変化の時代に、競争力を高めるダイバーシティ〜」と題した初日開催の公開フォーラムには、基調講演ではクリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事(財務相時代の職権乱用容疑で正式捜査を受けているのが気がかりだが)、特別対談ではシェリー・ブレア元英首相夫人、ビデオメッセージながら、次期大統領選への出馬が確実視されているヒラリー・クリントン前米国務長官など、大物海外アーティストの興行も顔負けの錚々たる人物が名を連ねている。国民としては、安倍首相の女性登用の意気込みと人脈の凄さに感服(impressed)をしないといけない。

事実、野田聖子(野田総務会長の後任には当選3回の稲田朋美行政改革相抜擢の声が高い)や高市早苗の自民党三役への登用、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件の被害者となった村木厚子の厚生労働省事務次官への就任(もともと、事務次官候補ともささやかれていたので抜擢ではなかろう)、郵政官僚の山田真貴子を初の女性首相補佐官への登用、直近では、石破幹事長の後任に小渕優子の起用を検討する(幹事長ポストはハードルが高いが、少なくとも入閣の可能性は高い)など、政治への女性登用の本気度をアピールしている。

今日の政治家にとって、国民受けの良い話題提供型のパフォーマンス的政治活動は重要である。良い意味での支配エリート層も知識人も存在しないのでポピュリズムともいえない日本の大衆民主主義のなかでは、この傾向がより強いかもしれない。この傾向は、小泉劇場の時よりも、現在の安倍首相では、一層強くなっている。

安倍首相の勢いは政界と官界にとどまらず、昨年の11月には、女性の活躍を支援する企業を補助金や事業の入札(公共調達)などで優遇するため、各府省向けの初の政府指針をまとめている。スキーム的には、これは、行政による障害者雇用や犯罪歴者雇用の支援と同列とも受け取れなくもないのだが。

そして、今年の7月には、安倍首相は、企業や地方自治体に、女性の登用を増やす行動計画を作るよう求めることを柱とする女性の活躍を推進する新法を制定する方針を固め、秋の臨時国会での成立を目指すようである。「女性の活躍推進」を成長戦略の中心の一つに位置づけている首相は、「2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%にする」という数値目標(昨年11月には、2015年の中央省庁の国家公務員の女性採用の全体、総合職ともに30%以上に引き上げるようにという指示を通達したと報道されている。政治家とお役人は30%という数値がお好きなようである)を掲げている。この法律の狙いは、目標達成に向けて企業の取り組みを加速させることにあり、企業自らの手で女性登用に向けた目標を定めた行動計画を作ることに加え、有価証券報告書などで、女性がどの程度活躍しているかを対外的に開示することも求めると報道されている。

この民間企業に課すクオータまがいの安倍首相の政策の発端は、安倍政権の2013年4月19日、日本記者クラブで「女性の活躍は成長戦略の中核をなすもの」と語った成長戦略の第2弾についてスピーチの中での、「上場企業に女性役員を1人」(そのほかの「育児休業3年」と「待機児童を5年でゼロ」と合わせて、これも3本の矢であろうか)という政策案に端を発する。

安倍政権がかなり強引に進める女性の活躍で経済が大きく成長するかどうかは定かではないが、生産年齢人口(15歳以上65歳未満)の減少に歯止めがかからず、増加に転じる可能性が極めて低いという状況の中で、働き手の頭数の問題として、女性の積極的な労働参加は短期的には非常に重要である。そして、長期的には能力の活用として極めて重要であると言える。なぜなら、技術革新と産業構造の変化から、長期的には、付加価値は知識に収斂していき、日本における単純労働の需要は急激に減少に転じると考えられるので、能力が極めて重要になる。もはや、「男だから」と言ってどうにかなる次元の問題ではなくなるのであるから。

しかし、日本の社会の現実をみてみると、世界でも顰蹙をかったセクハラヤジを飛ばした安倍首相率いる自民党の都議会議員の処分もしなければ、その他の議員のヤジの調査もしないというお粗末さが、如何にも日本的政治のガラパゴス的世界であり、このコントラストは、安倍首相の女性活用のやる気度を際立たせる自己演出のようでもあり、安倍首相がセクハラだらけの政治家という現状を改善する行動を起こすこともない一方で、女性活用を叫べば叫ぶほど滑稽でもあり、失笑を買う感もある。

政治での女性抜擢は、象徴的行為として、決して悪いわけではないが、現状の安倍首相はそれをパフォーマンス化することで、民間に課そうとしている女性登用のクオータ化を政治にも課すべきという本来の議論を国民の目からそらす隠れ蓑にしているともいえる。女性登用に忙しく、一票の格差で違憲判決が下された中、国会議員の定数削減は喫緊の課題であるが、その話も影をひそめてしまった。まったく自分たちのことしか考えない救いがたい日本の政治家である。「末は博士か大臣か」が死語になって久しい今、大学の教員同様に、もはや優秀でも高潔でもなんでもない、ただの政治屋と化している日本の政治家に自分の首を切る大胆な議員定数の削減を期待するのはもともと無理な話ではあるのだが。

ここで、国会議員における女性議員の比率を見てみよう。現在(選挙執行時点の当選結果)、衆議院で、8.0%(475人中38人)、参議院で、16.1%(242人中39人)、合計で、10.7%(717人中77人)という一割を少し超えるという程度の比率である。

そもそも、政治家とは率先垂範をすべき存在であろう。つまり、国会議員にこそまず、クオータ制を導入するのが筋である。事実、ノルウェーには、どちらかの性が、候補者の40%を下回らないように政党に義務づける「クオータ(割り当て)制」がある。企業ごとに事情の異なる民間企業よりも、票集めに有名人を出馬させる政治の世界の方が、よほどクオータ制の導入は、容易なはずである。しかし、寡聞ながら、筆者は安部首相が国会議員へのクオータ制導入の話をしたと聞いたことはない。

それでは、日本の選挙制度において、クオータ制の導入は可能であろうか。衆議院と参議院の国会議員は、選挙区(衆議院は小選挙区)と比例代表から選出される。選挙区からの選出にクオータを導入するのは、地元との関係を主張して、大きな抵抗が起こることが容易に想像できるので、比例代表にクオータ制を導入すれば良い。衆議院では、475人の定員のうち180人、参議院では242人のうち96人の合計276人が比例代表から選出される。そのうちの半分を女性とすると、定員の717人のうち138人が女性となり、約19%が女性議員となる。これに、選挙区選出の女性議員(最新の選挙執行時で、衆議院で16人、参議院で19人の合計35人)を加えれば、24%となる。そして、喫緊の課題である議員定数の是正を、男性議員の比率の高い選挙区で行えば、安倍首相の念願の目標である30%に近くなるのではないか。

比例代表区で、クオータ制を導入するには、現在、参議院比例区で採用されている非拘束名簿方式を拘束名簿方式に戻すべきである。個人名投票を禁止する拘束名簿方式であれば、政党に投票するので、政党制の強化にもなり、タレント議員という政治とは無関係な人気投票の要素も軽減できる。そして、女性候補者と男性候補者の名簿の順位を交互にすればクオータ制となるので、女性議員の数を増やすことも容易となる。

女性の社会進出を積極的に推進するのは、本来、まずは政治の世界であり、それも、現在のような話題稼ぎではなく、定着が確実な制度の導入であるべきとする筆者の考えは、荒唐無稽か、それとも読者諸兄の賛同をいただけるであろうか。

注目記事