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南相馬での初期研修を通して学んだ人と人との支え合いの大切さ

2015年09月27日 16時52分 JST | 更新 2015年09月27日 16時52分 JST

私は、南相馬市立総合病院の初期臨床研修医だ。平成26年度から開始された初期臨床研修プログラムの第2期生として、南相馬市立総合病院を中心に、内科や外科など、さまざまな診療科をローテート研修している。初期研修医は全国各地から集まっており、現在、2年次が2名、1年次が4名、合計6名在籍している。

そもそも私は福島県とは何の縁故もない。出身は静岡県、大学は東京都であり、南相馬市ともし関係があるとすれば、私の実家がある静岡県藤枝市が中部電力浜岡原子力発電所の30 km圏内に位置していることくらいであろうか。南相馬を初期研修先に選んだきっかけは、東日本大震災の被災地でのボランティア活動であった。岩手県の釜石市や大槌町に行き、仮設住宅で暮らす人々が置かれた過酷な状況を見て、研修医として一定期間、被災地で生活することを通して、地域住民の方々と交流し、継続的に支援できるのではないかと考えた。

福島県には10年前に東北観光で訪れた。当時、常磐線が通じていたため、友人と二人で青春18きっぷを利用して、上野駅を出発し、福島県浜通りを北上し、仙台駅に向かった。そのため、電車に乗って南相馬(当時は合併前)を通過したはずだが、ほとんど記憶していない。

2013年9月、私ははじめて南相馬にやってきた。被災後に南相馬に入り、研究活動を行っている大学院生の野村周平さんという知人がいた。彼のfacebookの投稿をたまたま眺めていたら、南相馬市立総合病院の藤岡将研修医(当時)が登場していた。医学科6年の夏だったので、研修先の病院はほぼ決まっていたのだが、私はとっさに南相馬で研修がしたいと思い、希望した。

そのような経緯があり、私は、南相馬に来ることとなった。南相馬に移り住んでから1年と数ヵ月が経過した。振り返ると、多少の語弊があるかもしれないが、研修病院としてだけでなく、いまの南相馬そのものが、「おもしろい場所」だった。都会で平常通り提供されている医療サービスの基準と比較して、満足できるものとはいえない状況に何度も直面した。つねに医療とは何かを考えさせられた。

南相馬での研修は、ある意味で他の病院での研修とは大きく異なっているといえる。研修医は、プログラムに則り、ただ与えられたことをこなすのではなく、自らが、病院経営を含めて地域医療にわずかなりとも貢献できることを考えなくてはいけない。そして、それをすぐに実践し、試すことが求められる。例を挙げると、私の同期の澤野豊明研修医は、金澤幸夫院長に申し出て、病院広報のfacebookページの編集担当となり、南相馬市立総合病院の魅力を彼の独自の感性で外部発信することを始めた。

そこで求められているのは、研修医としての役割の場合もあるし、地域づくりに取り組む住民としての場合もある。私は、平成26年度より開講された「南相馬みらい創造塾」に第1期生として参画し、桜井勝延市長や江口哲郎副市長をはじめ、多くの塾生たち(僧侶、科学教室主催者、支援団体関係者、市職員、TVディレクター、高専学生、等々と経歴はさまざま)と月1回、南相馬の復興やこれからについてディスカッションした。現在、第2期がスタートしており、塾生によるプロジェクト立案や事業化を目指して、白熱した議論が展開されている。医療に携わっている者として、地域づくりにどんなアドバイスができるかを考えている。

2015年7月25日(土)から27日(月)までの3日間、雲雀ヶ原祭場地と相馬三社(相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社)を中心に、国重要無形文化財である平成27年度相馬野馬追が開催された。本年は、国道6号線と常磐道が全線開通したこともあって、震災以降、観客数が最も多く、着実な復興を感じさせた。今回私は、大変光栄なことに、多くの方々からのご支援をいただき、中ノ郷から一般騎馬として出場した(正確には、いくさの備えのための訓練であるため、出陣という)。私はちょうど1年前、初めて相馬野馬追を観覧し、正真正銘、本物さながらの騎馬武者たちの行列を間近で見て、大きな衝撃を受けた。震災後、南相馬市立総合病院での診療に携わった原澤慶太郎医師、坪倉正治医師、小鷹昌明医師ら先輩が騎馬武者として出陣した経緯があり、自分もぜひ相馬野馬追に出てみたいと考えた。乗馬の経験は全くなかったが、半年間かけて土日を中心に乗馬クラブに通った。

総勢450騎のうちの1騎として行列に加わり、沿道からのたくさんの声におおいに励まされ、感動した。相馬野馬追に出陣したことで、より相双地方のことを理解できるようになった。古来より伝わる兜と鎧を身に着けた武者達に、相双地方独特の絆やプライドを感じた。野馬追という神事を通して、戦乱の世に人生を捧げた先人たちと、今を生きる私たち、そして、後世を生きる私たちの子孫が、タテヨコに連綿とつながっていくような印象を得た。千有余年の歴史がある相馬野馬追を通じ、現代に生きる私たちの生き方を考え直すことができるのではないかと思った。

大変多くのご縁に恵まれたことに感謝するとともに、金澤幸夫院長、及川友好副院長をはじめ、私個人の活動にご理解を示していただいた病院職員の皆様に深く感謝申し上げたい。

南相馬の復興状況は目まぐるしく変わっており、来年2016年で被災5年を迎える。この時期にこの場所に居たことは私の医師としてのキャリアにとって、おおいに意義があった。いまも、相双地方にはたくさんの課題が残されている。今後も南相馬の地域医療に関わり続けたい。