膵臓がんと告知されたお母さんの日記(第17話:「がんを笑った息子」)

「あんなことしたら、息が止まって肺がんになるやん!」 爆笑する息子。固まる私。

不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平です。妻と小学生のこどもを持つ、一般的な37歳男性です。「ステージ4のがん」であることを除いては。

がんだと宣告されたときに、おぼえた孤独感。仲間がいない。家族のこと、仕事のこと、お金のこと......相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。

それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を、2016年4月に立ち上げました。

こどももいて、地元には親もいる。仕事やお金...... 心配は尽きません。 そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、副作用と付き合いながら、仕事と並行して、地道に活動を続けています。

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西口洋平

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*****************膵臓がんのナオさん。

2015年6月にがん告知を受け、手術や抗がん剤治療を経験。2016年に再発し、抗がん剤、放射線など様々な治療を行うものの、現在は無治療で生活。小学校一年生の息子さんと旦那さんの三人暮らし。

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ナオさんがキャンサーペアレンツに登録したのは、2016年9月。

発信するのは苦手とのことで、キャンサーペアレンツに登録するまではブログや日記などを書いたこともなく。そんなナオさんの日記を、ご本人の了承のもと、これから一つずつご紹介をさせていただきます。

※キャンサーペアレンツは、子育て世代・就労世代のがん患者のコミュニティであり、様々な社会的な接点の中で生きています。こども、家族、仕事、地域、普段の生活、将来への不安。がん患者への偏見や誤解など、まだまだ「がんと生きる」ということに対する理解が乏しいというのが実態です。キャンサーペアレンツでは、ここに集う方々の意見を『声』として広く世の中に発信し、がんに対する理解を広げ、がんになっても生きていきやすい社会を実現すべく活動を行っています。

■投稿日

2017年6月13日(火)

■タイトル

がんを笑った息子

■本文

「あんなことしたら、息が止まって肺がんになるやん!」

爆笑する息子。固まる私。

事件は、夕方、習い事の送迎の道端で起こりました。

冒頭の言葉は、、、

飼い主にストライキを起こし、引っ張っても動かない犬がいました。

飼い主は犬が浮かび上がるくらい上にリードを無理やり引っ張り、犬の首が締まりそうになっている、という場面を目撃した時の、息子の言葉です。

冗談の一部に『がん』という文言を使った息子。

私はショックで何も考えられませんでした。

ショックすぎて瞬間怒ることもできなくて、息子がサッカーをしている間も、帰り道も、頭が真っ白。

夫も一緒におり、「ナオちゃんが頑張ってるのは息子も理解している。がんという言葉とナオちゃんの闘病生活がちゃんと結びついていないだけ。俺があとでちゃんと話すから」と言ってくれましたが、帰宅した頃にはショックが怒りに変わり。

息子に「いつからあんな冗談言ってるの」と問いつめると

「学校の友達と、、ちょっと前から何回か、、」

「がんって言ったら、面白いかなと思って、、」

その言葉で頭に血が上り、初めて、思い切りビンタしてしまいました。

私も声を上げてわんわん泣いてしまい。

今まで私が息子に教えてきたことは何?

息子は今まで私の何を見てきたの?

私の教え方がいけなかった?

息子、全然、なんにもわかってへんやん。

息子も過呼吸になるくらい泣き、謝りましたが、すぐには許せませんでした。

息子のためにと頑張ってきた自分が情けなかった。

私のまわりの、がんと闘っている仲間たちにも申し訳なかった。

息子の言葉で初めて『がん』を知った同級生もいるのではないか。

息子への怒り、自分の子育ての甘さへの怒り。

夫が冷静に息子と話をしてくれました。

自分の母親が『がん』という病気であること。

治すため、抗がん剤や放射線など、つらい治療を頑張っていること。

『がん』は死んでしまうこともある、重い病気であること。

ここまでは理解できている。

しかし、世の中にもたくさん『がん』という病気と闘っている人がいて、つらい思いをしている患者さんや、その家族がいる。

病気になりたくてなる人は誰もいない。

自分が『がん』になって、そんなふうに冗談にして笑われたらどう思うか。

悪気があろうとなかろうと、言っていいことと悪いことがある。

ということに関しては、そのとき初めて理解した様子でした。

私としては伝えてきたつもりでいました。

何がダメだったんだろう。

小さい頃からから『がん』という言葉だけに慣れすぎているのか。

もっと重いこととして教えるべきだったのか。

普段は男の子にしては比較的おとなしく、やっていいことと悪いことの分別はついている子なので、余計に見えづらく、また、ショックでした。

今回このことを偶然知らなければ、親のいないところで他の子に、そうした言葉を軽々しく使い続けていたかと思うと恐ろしいです。

また今回、『がん』という言葉が、私の中で『神聖な言葉』になりすぎているということにも気づかされました。

がんを子供に告知する、ということに含まれる、24時間テレビ的(?)な要素に期待しすぎていたのではないかと。

小さな子供にとってみれば、『がん』と、他の病気には差がないのです。

実際、病気にランクなんかないのに。

甲状腺の病気でツラいと言っていた人を、心の中で、「死なないんだからいいじゃないか」と軽んじていた自分にハッとしたり。

もっと言うと、「親ががんであること」と、「親が離婚していること」とか、「朝ごはんを食べさせてもらえない」とか、「放課後は公園でひとりぼっち」とか、小学生くらいの子にしてみれば全部似たことなのかもしれない、と思いました。

子供にがんを教えることの難しさ。

また、教える側ももっともっと考えないといけない、そう痛感しました。

お母さんががんである、大変な病気らしい、死なないで、そこまでは簡単に教えられる。

その先が、とても難しい。。。

よし。本腰入れて、死ぬまでに、息子の『がん教育』をしよう。

勝手に告知して、勝手に抗がん剤で苦しんでるとこ見せて、「頑張ってお母さん」という息子の言葉に勝手に酔いしれて、(息子を嘔吐恐怖症にして)うちの子はダイジョーブ、と勝手に思っていた自分に喝です。

がんについて、子育てについて、とてもとてもとても考えさせられた、ショックな出来事でした。

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(第18話へつづく)

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