膵臓がんと告知されたお母さんの日記(第6話:「角膜提供の話」)

死んだあと目玉がないとどうなるんやろ......?という、今考えても仕方のないことを考えてみたり。笑

不定期でブログを投稿させていただきます、西口洋平と申します。

妻と小学生のこどもを持つ、一般的な37歳男性です。

「ステージ4のがん」であることを除いては。

がんだと宣告されたときに、おぼえた孤独感。仲間がいない。家族のこと、仕事のこと、お金のこと...... 相談できる相手がいない。同じ境遇の人が周りにいない。ほんとにいなかった。

それなら自分で仲間を募るサービスをつくろうと、ネット上のピア(仲間)サポートサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を、2016年4月に立ち上げました。

子どももいて、地元には親もいる。仕事やお金...... 心配は尽きません。

そんな僕みたいな働き盛り世代で、がんと闘う人たちをサポートしたい。そんな思いから、抗がん剤による治療、副作用と付き合いながら、仕事と並行して、地道に活動を続けています。

キャンサーペアレンツのFacebookページで活動情報をアップしていきますので、「いいね」をお願いします。

取材記事

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膵臓がんのナオさん。

2015年6月にがん告知を受け、手術や抗がん剤治療を経験。2016年に再発し、抗がん剤、放射線など様々な治療を行うものの、現在は無治療で生活。小学校一年生の息子さんと旦那さんの三人暮らし。

ナオさんがキャンサーペアレンツに登録したのは、2016年9月。

発信するのは苦手とのことで、キャンサーペアレンツに登録するまではブログや日記などを書いたこともなく。そんなナオさんの日記を、ご本人の了承のもと、これから一つずつご紹介をさせていただきます。

第1話はコチラから

第2話はコチラから

第3話はコチラから

第4話はコチラから

第5話はコチラから

※キャンサーペアレンツは、子育て世代・就労世代のがん患者のコミュニティであり、様々な社会的な接点の中で生きています。こども、家族、仕事、地域、普段の生活、将来への不安。がん患者への偏見や誤解など、まだまだ「がんと生きる」ということに対する理解が乏しいというのが実態です。キャンサーペアレンツでは、ここに集う方々の意見を『声』として広く世の中に発信し、がんに対する理解を広げ、がんになっても生きていきやすい社会を実現すべく活動を行っています。

■投稿日

2016年11月15日(火)

■タイトル

角膜提供の話

■本文

さて、タイトルの通り。

角膜提供をするかどうか悩んでいます。

資料は取り寄せ、ほぼ心は決まっているのですが、登録にはまだ至っていません(登録していなくても提供する方法はあります)。

死んだあと目玉がないとどうなるんやろ......?という、今考えても仕方のないことを考えてみたり。笑

今日、眼球提供したい(=死亡をアイバンクに知らせる)ということは、病院ではなく家族がアイバンクに連絡して伝えねばなりません。最後に誰かの役に立てればそれ以上素晴らしいことはないと私は思いますが、それを私を亡くしてすぐの家族に強いることは、つらいことだろうか?

また、もらう側も一度角膜提供を受ければ一生OKというものでもないらしく(移植なので合う合わないもあるようです。このへんは詳しくないので話半分で)、ブログなどで「何度も角膜提供を受けているので、正直感謝の気持ち薄れてきた」「早く手術受けたい=誰かの死を待っているワタシ」的なものを

いくつか拝見してしまったこともあり、うーんと迷っております。

みんなそうじゃないと思うし、私が勝手にあげるだけなので感謝してほしいわけじゃないけど、でも、そういう人にはあげたくないぞ。笑

子供さんに提供してあげたいと思ったりもしますが、そういう希望ももちろん聞いていただけませんし、悩むところ(親族への優先提供はあります)。

私は固形癌なので臓器提供はできませんし、献体は考えていないので、病気と闘うどこかの誰かのためにできることは角膜提供くらい。

けれど家族の気持ちを考えると、どうなんかな〜って悩みます。

そう思うと事故や突然死で角膜提供を申し出られるご家族って、すごいなぁ。。日頃からそういうことを考えておられたのでしょうね。私は癌になるまでそんなこと考えたこともなかったです。

闘病中のみなさんは、角膜提供や臓器提供をされる予定ありますか?

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こういう話を友人知人にすると、「生きることを諦めるな」と怒られることがあります。

健康な奴に簡単に諦めるなって言われたくねーよ(゜ロ゜; とイラッとしてしまいます。

諦めないってどういうことだろう。

できる治療をやり尽くすこと?

治験や先進医療にチャレンジすること?

死ぬ準備をしないこと?

ずっと、全然、そのことがわからないままでいます。

私はもう、あまり頑張りたくありません。

死にたいわけじゃなくて、生きたいけど、生きるために生きるのは嫌なのです。

すべてを病気に費やすのは嫌なのです。

死に方って生き方の集大成でもあります。

けど私はまだ35歳。通常であれば、人生の折り返し地点にも辿り着いていない年齢。

思い残すこと、心配なことだらけです。

でも事実は事実として受け入れるしかない。

そうしてなんとか折り合いをつけようとしている人に、簡単に「諦めるな」と言うのは、残酷ではないでしょうか?

角膜提供から話が脱線しましたけれども。笑

そういうことも最近、思います。

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(第7話へつづく)

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