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四国遍路の若者たちに光明を見る

2014年07月14日 16時11分 JST | 更新 2014年09月12日 18時12分 JST
時事通信社

6月23日放送のクローズアップ現代(NHK)のテーマは、「四国遍路1400キロ 増える若者たち」というものだった。年間十万人以上とも言われる四国遍路人口だが、ここ十年の間に、歩き遍路(八十八の札所をすべて徒歩で回ること)を選択する若者が、ぐんと増えているのだそうだ。私自身、数年前より区切り打ち(何回かの行程に分けて札所を回ること)にて歩き遍路に挑戦中だが、実際、四国では、10~30代前半と思しきお遍路さんの姿を非常によく見かける。(ちなみに著者は現在30歳である。)

なにゆえに四国を歩く若者が増えているのだろうか。

恐らくではあるが、旅に出る若者は、みな、自分自身を強めようとしているのではなかろうか。著者自身のことを考えても、本人がそれを意識するにしろしないにしろ、そこには必ず、それと似たような動機があるような気がしてならない。とくに、この不安定な時代においては。

そして、四国の歩き遍路は、自分というものを強めるという目的を持つ者にとって、非常に「ちょうどいい」修行の場なのだと思う。

第一に、ルールが分かりやすい。ただ、歩くだけ。右足と左足を交互に踏み出して、札所と札所を繋いでいくだけ。山あり谷あり、コースも起伏に富んでいる。かなり整備されているとは言え、肉体的には相当ハードな道のりだ。四国の大自然の中で、お遍路に挑戦する人々は、どうしたって自分の心身の限界と向き合うことになる。

お遍路は、実際、誰に強制されてするものでもない。やめようと思えばいつだってやめられる。なのに、痛む足を引きずり、流れ落ちる汗に顔をしかめながらも歩き続けるのはどうしてか。

結局は、自分がやりたいからなのだ。誰のせいにもできない。ただ、自分が「やりたくて」、自分で「選んで」やっているだけ。これはお遍路だけでなく、生活のすべてにもそのまま言えることだ。

この気づきは、なによりも自分というものを強めてくれる。すべての行動の軸を、自分というものの中に築き直すことができるからだ。

また、四国遍路には、その場でしか体験できない独特の風習がある。その筆頭にあるのが「お接待」だ。地元の方々が、食べ物や飲み物や少額の金銭やあたたかいお言葉などを、お遍路をする人々に対して供養してくださるのだ。

私も、お接待をはじめて受けたときには、本当にびっくりした。ただお遍路をしているというだけで、ほとんど無条件で受けいれられ、この上もなく親切にしていただける......。これは普段の生活の中では、そう滅多にあることではない。

お遍路をする人々は、お接待を受けることによって、四国遍路が地元の方の好意の上に成り立っているシステムなのだということを、深いところから理解するようになる。歩かせていただいていることに対する感謝が、ごくごく自然に湧いてくる。

これもまた、普段の自分の生活に、そのまま応用できる気づきである。たくさんの人の支えがあって、いま、自分が生かされているということを、旅から帰ってきた後のベタな生活の中でも、存分に感じられるようになるのだ。いや、その事実に対して目を向ける勇気が持てるようになる、と言うべきか......。

番組の中でも、「つながりの回復」というキーワードが繰り返し出てきた。肉体の限界に挑戦することによって気づく、自分自身の心と身体のつながり。お接待による地元の方々とのつながり。年齢や性別、時には国籍をも超えたお遍路さん同士のつながり。そして大自然とのつながり......。

1400キロを歩く中で、お遍路をする人々は、自分という存在が、仏教でいう「縁」というものの中に、どうしようもなく組み込まれているという事実に、幾度となく直面することになる。自分が決してひとりだけで生きているわけではないということを、身をもって知っていくのだ。

そして、それは決して恐ろしいことではなくて、むしろ、大きな安心感を自分自身にもたらしてくれる、尊い気づきなのである。安心感は、他者によって成り立つ「自分」というものを、それゆえに頼もしく、心強く思う力に結びついていく。それは存在の根源から尽きることなく湧き出してくる、いのちそのものの持つ、果てしない力である。

あらゆる意味で先行きの不安な現代、私たちがもっとも必要としているのは、まさしくそういった力なのではないだろうか。どんな局面におかれても「ぜったいに大丈夫」と思える力。それさえ持つことができれば(というか、自分にそもそも「それ」が備わっていたことに気づくことができれば)、いつだってどっしりと心と身体を落ち着けて、目の前の状況に取り組んでいくことができるだろう。

そういった態度を持ってはじめて、本当の意味での「生」というものがはじまっていくのではないだろうか。

日本には、それに気づかせるための「装置」が、1200年もの昔から設置されている。そして、それを自ら選んで利用する若者も増えている。それぞれの旅を終えた若者は、おのおのの持ち場で自らの「生」を存分に謳歌していくことによって、少しずつ周囲の人々を照らしはじめることだろう。すべての存在の根源に必ずある「力」を周囲の人々に思い出させる役割を、自ら担っていくことだろう。彼らに照らされた人々は、また周りの人たちを照らし出し、そのまた周りの人々が......。こうして「大丈夫」の連鎖がはじまっていく。

私はそこに、大きな希望を見出している。未来は決して暗くない。そんな風に思うのだ。

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