ブログ

ハフポストの言論空間を作るブロガーより、新しい視点とリアルタイムの分析をお届けします

黒岩揺光 Headshot

人に助けを求めることは、その人に迷惑をかけることではなく、幸せを与える行為です

投稿日: 更新:
印刷

過労、介護、育児、いじめ、災害、失業。様々な理由で自らの命を絶つ人をメディアが取り上げる際、よく「見過ごされたSOSのサイン」という見出しの記事を見かける。一方、どうやって見過ごされないSOSを出せばいいのか、書かれたものは少ない。

私は、中東ヨルダンで妻を亡くした。9月6日に長男の千汪(せお)が生まれ、その翌日、大量出血で亡くなった。計り知れない精神的ダメージを被りながら、私は、3500グラムの新たな生命の存続を託された。当初、妻の母乳に頼るつもりだったため、粉ミルクの作り方すら知らなかった。

まず、生後5ヶ月の赤ちゃんがいるイギリス人の友人夫婦に電話をかけ、そこに泊めてもらい、要らなくなった赤ちゃんグッズをもらい、粉ミルクの作り方などを教えてもらった。そして、小さな子どもがいる日本人の友人に電話をし、「私のアパートに行って、赤ちゃんグッズがすべてあるのか確認し、ないものをすべて買い揃えてもらえませんか?」とお願いをした。

そしたら、その友人が「わかった。ありがとう」と言ったのだ。私は一瞬、自分の耳を疑った。なぜ、頼みごとをしている私が感謝されるのだろう。

次の日、日本から母と姉がやってきた。無論、千汪がいるため、私は空港へ向かえに行くことはできない。

別の日本の友人にお願いしたら、再び、「ありがとうございます!嬉しいです!」と言うのだ。私は迷惑をかけているはずなのに、なぜ感謝されなければならないのだろう。

その友人に聞くと、「こういう時って、どう声をかけたらいいのかもわからないじゃないですか。でも、何か役に立ちたい。だけどどうしたらいいのかわからない。そんな時に具体的なお願いされたから、『ああ、今、黒岩さんはこういう支援が必要なんだ』ってわかって、嬉しかったです」と言う。

「迷惑をかけるな」「他人様の時間を無駄にするな」そういう考えに縛られてきた社会で育った私にとって、人に助けを求めることが、喜びを与える行為になりうるということが、とても新鮮だった。

妻は国連職員で、妻の配偶者としてヨルダンにいた私は、新潟の実家へ戻ることにした。しかし、妻の葬儀や引越しの準備や病院とのやり取りなどのため、1ヶ月以上、ヨルダンで千汪と過ごさなければならなかった。新生児を抱えながら、様々な諸手続きを1人ですべてやることは、精神的にも肉体的にも不可能だ。

私はフェースブックで呼びかけた。

「私が日本へ発つまでの間、どなたか、ヨルダンに来て、住み込みで育児支援をしていただけませんか?ベビーシッターを雇うより、私の友人に世話してもらったほうが、妻も喜ぶと思います」。

そしたら、数日以内に、10人もの友人から承諾を得た。9月16-23日にアメリカから、23-27日にスイスから、27日ー10月2日にオランダから、2日ー8日にタイから、8日-11日にフランスから、11日ー18日にアゼルバイジャンから、18-23日にインドネシアから、それぞれリレー方式で友人が住み込み、育児と家事を手伝ってくれた。そして、彼らは口を揃えてこういった。「ここに来れて幸せ」と。

最も印象的だったのは、友人の一人が言ったこと「ヨルダンでの葬儀に行くことも考えたけど、葬儀でヨーコーと話す時間なんてないだろ。だったら、自分たちが一番必要とされている時にヨルダンに行こうと思った」。

ヨルダンにいる友人からも「何かできないか」とメッセージをたくさん頂き、私は「時間があれば、レストランから料理をテイクアウトして家に持って来て、私と一緒に食べてください」とお願いした。そしたら、毎晩のように、誰かが料理をもって来てくれた。

そのうち、私とテニスをしてくれる友人や、ボードゲームをしてくれる友人、要らなくなった家具を売りさばく友人などが現れ、支援の輪が広がっていった。

妻が亡くなって3ヶ月たつが、まだ一晩も、一つ屋根の下で千汪と2人だけで過ごしたことはない。

いまだに、一人で車を運転中に突然、涙が吹き出てきたりするが、ほとんどの時間、誰かが傍にいてくれるおかげで、何とか持ち直すことができている。ヨルダンから日本へ飛ぶ時も、母と友人が付き添ってくれ、千汪も私も、これまで一度も体調を崩していない。

「これだけ多くの人がヨルダンに来たのは、2人の人柄あってのことだよ」とたくさんの人から言われた。確かにそれも一因なのかもしれないが、私は、もっと大事な要素が二つあると思う。

第一に、人間関係の脳密度や人柄とは全く別の次元で、人間の情は突き動かされることがある。実際、駆けつけてくれた友人の中には、プライベートで数回お会いしただけの友人もいた。「私も出産のとき、大変な想いをしたから、どうしても何かしたかった」と、生後10ヶ月の息子をアゼルバイジャンに残し、ヨルダンに来てくれた友人は言った。

第二に、私が明確なSOSを発信したことだ。いくら私たちの人柄が良くても、私がどんな支援を必要としているのか伝えない限り、助けを得ることは難しい。

だから、皆さんにお伝えしたい。

困った時、「私を助けてくれる友人などいない」と決め付けず、「こうしてほしい」という具体的なSOSを出し続けてください。たった1度しかお会いしていない方が、あなたのメッセージに突き動かされ、救世主となって現れる可能性は十分にある。

もちろん、中には「そんなことくらい自分でやれよ」と冷ややかな目を向ける人もいるかもしれないけど、100人に発信して1人でも助けの手を差し伸べてくれるなら、それはあなたにとってだけでなく、相手にとっても、とても大きな財産になりうる。

多くの人がSOSを出せない中、なぜ私は出せたのか。

それは千汪がいてくれたということに尽きる。彼を守るためには、どうすれば良いのかを第一に考え、そのためには、まず自分が健康でなくてはいけないと言い聞かせた。

妻が命をかけて残してくれた最高のプレゼントのおかげで、人生最大の危機を私は生き延びることができた。妻から学ばせてもらったことを、一人でも多くの人に伝え続け、天国にいる妻を少しでも喜ばすことができたらと思う。