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あなたが困った時、日本人にはできないことを、外国人がしてくれるかもしれない

2017年04月05日 01時12分 JST | 更新 2017年04月05日 01時12分 JST

過去5年間に住居を探した在日外国人の27%が物件に「外国人お断り」と書かれているのを見て諦め、日本語ができても外国人という理由で就職を断られた人が25%もいる。8カ国(米国、オランダ、スウェーデン、スイス、タイ、ケニア、アゼルバイジャン、ヨルダン)で計17年で生活し、一度も「外国人だから」という理由で住居や仕事探しが困難になったことがない私にとって、先日の法務省の調査結果はショッキングだった。

学生時代にエストニアの友人と富士山近くの旅館に泊まろうとした際、「ここは日本式の旅館なので、外国の方はちょっと」と断られた時は、「これは例外中の例外」と友人をなだめたけど、案外そうでもないのかもしれない。

外国人の受け入れを擁護する人の多くは、「人口減による労働力不足を補うため」と言うけど、それはそうなんだけど、私の理由はもっと単純。私が瀕死の状態に陥った時、私が一番必要としている支援を提供してくれたのは、日本人ではなく、外国人だった。

昨年9月に中東ヨルダンで、長男出産後に妻が出血多量で亡くなった。国籍問わず、世界中から「何かできることはないか?」とたくさんのメッセージが届いた。その時、私にとって一番必要な支援は、私のアパートに泊り込んで、育児や家事を一緒にやってもらうことだった。

生後間もない長男と2人きりで、数日前まで妻と暮らしていた住居で過ごすことを想像しただけで、孤独感で背筋が凍りついた。すぐに日本から家族が飛んできてくれたが、滞在は数日に限られた。

妻を亡くし、日本に帰国することを決めた私は、ヨルダンに1月半くらい残って、引越しの準備などをしなければならず、私は「どなたかヨルダンに来て、私のアパートに泊まって、育児、家事を手伝ってくれませんか?」とフェースブックで呼びかけた

 

そしたら、アメリカ人、スペイン人、デンマーク人、ルーマニア人、オランダ人、リトアニア人、イギリス人、マレーシア人の友人らが交代でヨルダンにきて、泊り込んでくれた。

おかげで、一晩たりとも、長男と2人きりになることはなかった。昨年10月末に日本に帰国してからも、フランス人、韓国人、スイス人、イギリス人、マレーシア人らが、新潟の実家に数日間、泊まりこみで、助けに来てくれた。日本人の友人も2、3人来てくれたが、日帰りだったり、別の所に泊まったりと、外国人の様に数日間一緒にいてくれる人はいなかった。

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「海外生活が長いから外国の友人が多いだけなんじゃないか」と思われるかもしれないし、実際、そうなのかもしれない。「日本人の友人がこれだけいるんだ」という客観的指標を出すのは難しいが、昨年12月に東京で妻のお別れイベントを開催したら、140人が参加してくれた。妻が東京に住んだのは2年だけで、私は住んだことがなく、予想を超える人数だった。

会の実行委員6人全員日本人で、参加者の大部分も日本人。ヨルダン滞在中も、在ヨルダンの日本人の友人たちには食事の提供や車の運転、買い物など大変お世話になった。それでも、やはり、育児は大人の手があるだけ助かるので、アパートに数日間泊り込んでくれる外国人の友人の存在が一番ありがたかった。 

妻は韓国人のため、葬儀はソウルですることになった。しかし、生後間もない長男はヨルダンから韓国に行くことができない。長男を誰かに預けて妻の葬儀に出るか、長男と一緒にいることを優先して妻の葬儀を欠席するかの究極の選択を迫られた。

ヨルダン在住の日本人の友人は「赤ちゃんに何か起きたときに家族がいないのはありえない」とヨルダンに残ることを薦め、生後間もない子どもがいるイギリス人の友人夫婦は「私たちが預かるから韓国に行ってきなさい」と言ってくれた。

そのイギリス人宅にアメリカの友人が泊まりこんで長男をみてくれ、私は妻の葬儀に喪主として参加することができた。

様々な手助けは日本人も外国人も同様にやってくれるのに、私が一番必要としている泊り込みの育児支援となると、なぜすべて外国人の友人になるのか。理由はいろいろあるようだ。

「仕事の休みが取れない」

「かける言葉が見つからない」

「首の据わっていない赤ちゃんを触るのが怖い」

「女性の私が父子家庭の家に泊まりこむなんてできない」(泊り込んでくれた外国人の大部分は既婚女性)

「小さい赤ちゃんがいる家に泊まらせてもらうなんて逆に迷惑がかかる」

日本人の場合、「子どもは親が見るもの」というリスク回避意識、異性に対する意識的壁、「迷惑をかけない精神」などが作用するのに対し、外国人の場合、そういった文化などの枠組みを超え、私の「泊まりに来てください」という言葉をありのままに受け取ってくれる。日本人の友人らは「泊まりに行って、○○になったらどうしよう?」という、言葉の裏にある様々なリスクを考えてしまう。

あくまで私の個人的体験のみで、どれだけ一般化できるかわからないけど、複数の文化圏で暮らしたことがある在日外国人は、人助けする際にハードルになりえる文化規範みたいなものにとらわれにくい分、本当に困っている時に助けてくれる存在になりえるかもしれない。ヨルダンに駆けつけてくれたスペイン人の友人の言葉がとても印象的だった。

「葬式に出ることも考えたけど、葬式に行ったら、ヨウコウと話す時間なんてないだろ? 同じお金と時間を使うなら、ヨウコウが本当に必要としいることに費やしたかった」。文化規範にとらわれない彼の自由な発想のおかげで、私は助けられた。外国人の存在は、経済的効果や労働力不足を補う以上の効果がある。そんな人たちが住みやすい国になってほしいと願ってやまない。