相撲界での暴力事件をなくしたいのなら、他のスポーツ選手による暴力事件も同じように熱く報道しましょう

相撲界での暴力事件をなくしたいのなら、他のスポーツ選手による暴力事件も同じように熱く報道しましょう
引退記者会見をする横綱日馬富士関(手前から2人目)。手前は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)=29日、福岡県太宰府市
引退記者会見をする横綱日馬富士関(手前から2人目)。手前は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)=29日、福岡県太宰府市
時事通信社

日馬富士の暴行事件を受け、相撲協会の八角理事長が十両以上の力士に対し「暴力問題を二度と起こさない」と宣言したという。本当に暴力根絶を目指すのなら、私たち一人一人が、今回の事件についての報道の過熱ぶりと、他の力士やスポーツ選手による暴行事件の報道を比較し、問題の本質を分析する必要がある。

まず、今回の事件で、ワイドショーでは多くの時間を、被害を受けた貴ノ岩がなぜ日馬富士を怒らせたのかに費やされた。貴ノ岩が「これからは俺たちの時代だ」と言ったとか、「俺は●●に勝った」と言ったとか、話し中にスマホをいじったとか、私にとってはどうでもいいことを、有名人たちが真剣な表情で議論している姿は滑稽でさえあった。貴ノ岩が何を言ったにせよ、あれだけのケガを負わせることは許される行為ではない。もし、コメンテーターたちが本気で「暴力問題を二度と起こさない」と思うのなら、貴ノ岩の言動について議論することは、間接的に暴力を容認することにつながりかねないということを認識してもらいたい。

さらに、凶器はビール瓶だったのかリモコンだったのか、殴った回数は10回なのか40回なのか、日馬富士はその後何をしたのか、白鵬が千秋楽でなぜ万歳をしたのかまで、恐ろしいレベルまで報道が過熱した。スポーツ選手による暴力事件でここまで報道が過熱したことがあっただろうか?3か月前に、巨人の主力選手が暴行事件を起こし、書類送検されていることを知っている読者がどれくらいいるだろうか?あの時、ここまで報道は過熱しなかった。この選手は一般人に対し暴力を振るい、ケガを負わせているにも関わらず、選手生命を絶たれていない。

中には「モンゴルでは上下関係が厳しいから、背景にはモンゴル文化の影響もあったのでは」と言うコメンテーターまでいた。このコメンテーターは2007年に私の故郷、新潟出身力士が稽古中に命を落とした事件を忘れたのだろう。入門したばかりの当時17歳の力士が稽古の厳しさから部屋を脱走後、親方の指示で他の力士から集団暴行にあい、亡くなったのだ。問題は、亡くなった二日後に遺族が解剖を要請し、その結果が出るまで、力士が所属していた部屋は組織ぐるみで事件を隠蔽しようとしていた点だ。

今回の日馬富士の件、事件の現場にいた白鵬や、報告を遅らせた貴乃花親方らの責任を問う声もあるが、上記の傷害致死事件で処分を受けたのは、実際に暴行を加えた親方と兄弟子3人だけだった。部屋に所属していた他の10人以上の力士たちは、何の罰則を受けることもなく、土俵に立ち続けた。力士が亡くなって、事件が明るみになるまでの数日間、部屋に所属する力士全員、「暴力的な親方がいる部屋で、稽古の厳しさから部屋を脱走し、その親方を怒らせた力士が稽古中に亡くなった」という事実を知らないはずがないにも関わらずだ。どのメディアも、親方の責任にばかり集中し、他の力士たちが口を塞いでいたことに関してはほとんど問題視しなかった。それどころか、当時、この事件と同じくらい、メディアをにぎわせていたのは、横綱朝青龍が病気休養中にモンゴルでサッカーをしていたことだった。確かに横綱がずる休みをするのは悪いけど、傷害致死事件を見過ごしたわけではないのだ。朝青龍は二場所出場停止処分を受け、傷害致死事件を起こした部屋の力士たちは土俵に立ち続けた。

こういった一連の流れを見ると、今回の傷害事件がここまでの報道合戦に至ったのは、日馬富士がモンゴル人だということと関係があるのではないかと思ってしまう。長年日本人横綱が不在でモンゴル人の独壇場であった相撲界で、その先頭を走る力士による不祥事を大きく扱うことで、長年溜まった鬱憤を晴らそうとしているようにしか思えない。

「日本人か外国人かは関係ない。日馬富士が横綱だからだ」と言う方もいるだろう。確かに横綱による傷害事件は大きなニュースだ。しかし、2012年、プロ野球界の「横綱」的存在である巨人の阿部選手が、試合中に後輩選手の頭を叩いたにも関わらず、何の処分も受けなかった。誰がどう見ても立派な暴行事件である。もし、暴力根絶を目指すのなら、なぜ、阿部選手の行為を問題視することができなかったのか。阿部選手の行為を生中継で報じていたテレビのアナウンサーが放った一言が今でも忘れられない。「ああ、(二人は)大学の先輩と後輩ではありますが」。先輩と後輩だったら数万人の前での暴力が許されるとでも言いたいのだろうか?

日本社会には「後輩が先輩にたてついたら、ある程度の暴力的制裁が下されるのは仕方ない」という考えが染みついている。じゃなければ、今回の件で貴ノ岩の言動についてあそこまで詳細に報道はしないだろう。でも、八角理事長が宣言した「暴力根絶」を本当に目指すのなら、この考え自体を改める必要があるのではないか。

外国人が絡んだ暴行事件だけ熱い報道合戦をするようでは、暴力根絶どころか、「外国人いじめ」というメッセージしか放つことにならず、新たな暴力の連鎖を生みかねない。最後に読者に聞きたい。もし、プロ野球の外国人選手が試合中、マウンドに行って日本人投手の頭を叩いたら、どう思うだろう?この選手に何らかの処分が下されるべきだと思うだろうか?もしその答えがイエスなら、なぜ阿部選手は何の処分も受けなかったのか、考えてみませんか。そこにこそ、今回の問題の本質があるように思えてならない。

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