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「貧しいのに贅沢なんて」と言わず、貧しいからこそ贅沢したい人への理解を

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NHKの子どもの貧困特集で取り上げられた女子高生と報道に疑問を呈した政治家へのバッシングがやむ気配がない。私にはこの二つのバッシングが問題の本質を突いているとはどうしても思えない。

まず、政治家へのバッシング。今回の問題の根幹はNHKの報道の仕方にあるのに、それに対して疑問を呈する政治家を、支援者や活動家は「貧しい人の敵」に仕立て、「高い給料もらっている政治家に貧しい人の気持ちはわからない」などと感情論を先行させた。「貧困」の報道はとても複雑で難しく、視聴者が「自己責任論」を追及する余地は常にある。

にもかかわらず、NHKは、「希望の進学先にいけない」、「エアコンがない」、「パソコンの代わりにキーボード」、「アルバイトの母親との母子家庭」という曖昧な指標で、女子高生の「貧困度」を示した。母親の具体的な職業や月収や家賃など、収入と支出を数字で出すなど、より客観的にできる方法はいくらでもあった。

女子高生がその開示を拒むのなら、初めから取材するべきでない。これによって、ネットで彼女のプライベートが暴露され、彼女を危険にさらしたNHKの責任はあまりにも重い。

次は「貧しいはずなのに、1000円以上のランチや映画や舞台鑑賞などの贅沢をしている」と女子高生をバッシングする人たち。この日本全体に漂う「貧しいのに贅沢なんて」という雰囲気は、理解しがたいものがある。逆に「貧しいからこそ贅沢したい」という発想があってもいいのではないか。

私は、20歳の時、旧ユーゴスラビアを放浪し難民支援に関心を抱き、「贅沢」する人は人類の敵だと思うようになった。これだけ貧しい人が世界にはいるのに、贅沢なんかする金があるなら寄付すべきだと。だから、ビーチリゾートや高級レストランに行く友人を、心の中で見下していた。

そんな倹約家だった私が、贅沢をするようになったきっかけは、他でもない「難民」だった。私は、2010年から約3年間、ケニアのダダーブ難民キャンプで働いた。そこには、隣国ソマリアの紛争を逃れた約40万人の難民が暮らしていた。20年以上キャンプの中で暮らし、就職口も限られる中、難民たちは国連からの食料配給などで暮らしていた。

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そんな難民キャンプの中にも、一食200円する「高級レストラン」や映画鑑賞室、ネットカフェなどがあった。国連で働く難民の給料が一月6000円であることを考えれば、1食に200円かけるなんて、とても贅沢だ。このレストランに来る難民全員の食料配給(日本でいう生活保護)はストップすべきだと思うかもしれない。無論、食糧配給にかかるお金の一部分は日本政府の国連への拠出金であり、皆さんの税金だ。

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友人の難民たちはこう言う。「来月生きているのか死んでいるのかもわからない人生。今を楽しまずに、いつ楽しむのか」。貯金をすべてはたいてDVDプレイヤーとテレビを購入し、それで、「映画鑑賞室」を始め、各入場者から10円の入場料を取って生活費を稼ぐ難民もいた。「食糧配給受けているのに、DVDプレイヤーを買うなんて」と言われたら、この難民は一生、貧困から抜け出すチャンスはなく、返って、より多くの税金が投入されなければならないだろう。

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難民キャンプの治安は悪く、頻繁に爆弾や拉致事件が起こり、援助機関で働く私の友人も拉致された。前日まで一緒に食事をしていた友人が突如、消えてしまう現実に、「私だっていつ死んでもおかしくないんだ」と思うようになり、貯蓄は気にせず、休みの度に高級リゾートホテルに泊まり、高級レストランで美味しいものを食べ、「今」をエンジョイするようになった。

人は、健康な家族や安定した仕事や、それに伴う名声など「長期的に守る」ものがあるとき、先を見越して「倹約」する。でも、それをすべて失ったとき、その日をどうやって楽しむかを第一に考える。

生活保護者がパチンコすべきでないという議論もあったが、生活保護でパチンコするのが駄目なら、食糧配給を受けながら高級レストランに行くのも駄目だろう。パチンコする人に生活保護を配る自治体を批判するなら、難民キャンプを支援する国連や外務省も一緒に批判してはどうか。

パチンコがだめなら、お酒やタバコはどうなのか。どこで誰が線を引くのか。そして誰が監視するのか。「パチンコに出かける」という、人生を楽しみ、社会との接点を持とうとする気力があることを、逆に私たちは応援すべきではないのか。

報道機関の怠慢な報道姿勢に疑問を抱く政治家や、その被害者となった女子高生のバッシングに時間を割くのはやめ、どうすれば「貧困」という複雑な現象を多面的に報道し、国全体でこの問題に立ち向かっていけるのか建設的な議論を望むばかりだ。