私は妻を殺していない

今年の9月6日、私は第一子を授かり、翌日、妻を亡くした。

今年の9月6日、私は第一子を授かり、翌日、妻を亡くした。死因は、帝王切開後の大量出血。子宮出血から、血液が固まりにくくなる「播種性血管内凝固症候群(DIC)」が引き起こされ、体のあらゆる部分から出血が止まらない状態になった。33歳だった。

私たちは中東ヨルダンで暮らし、韓国人妻のスージンは国連職員で、私は主夫だった。仕事なんてなくても、スージンと一緒にさえいることができれば幸せな人生だった。そんな日々に突然、終止符が打たれ、当分、これについて文字化することはないだろうと思っていた。孤独とか悲哀とか、どんな言葉を用いても、今の自分の精神状態を的確に伝えられる自信がない。それでも、80日以上が経ち、どうしても伝えなければいけないことができ、ブログ再開に踏み切ることにした。

死後翌日、病院から2ページの報告書を受け取った。執筆者は、スージンの執刀医であり、院長でもあるK医師。そこには、「(9月7日)午前6時30分頃,彼女(スージン)は過敏(irritable)になり,彼女のバイタルサインを取ろうとしたところ,彼女の夫はアグレッシブ・非協力的で我々に退室するよう求めました。彼女の状態は急速に悪化し,ショック状態に陥りました。彼女は直ちに手術室に運ばれ,心肺停止状態に至りました」と記された。完全な事実無根である。午前6時半といえば、スージンが意識を失いかけたころ。顔は青ざめ、唇が白くなっていた。その時に、私が医師たちに退室を求めるということは、殺人に等しい行為だ。私はそのころ、看護師に「呼吸が変です!顔色が変わっています!どうか助けてください」と請願していた。

その他にも、報告書には事実と異なる箇所があった。9月1日、K医師が私と妻、両方に面会し、誘発分娩を薦めたとあるが、その日、私は病院に行っていない。さらに、9月5日午後11時、病院はスージンに入院を勧めたが、私たちが断ったとある。しかし、実際は、入院して誘発分娩をするか、自宅に戻って、陣痛がさらに強くなるのを待って病院に戻るか、2つの選択を与えられ、後者を選んだだけである。どちらの選択肢がより適切かの説明は病院からなかった。

報告書の大半は、病院側は誘発分娩を繰り返し薦め、私たちがそれを拒んだことに費やされた。しかし、それがスージンの死と、どう関係あるのか、明確な記載はなかった。

報告書と共に、病院が提出した膨大な資料を、日本の知り合いの産科医や小児科医、そして血液内科医にも見てもらった。そしたら、資料には、とても基本的な情報が欠けているということがわかった。例えば、日本であれば、患者の状態や検査の結果、それに対してどんな治療を行ったのか、いわゆるカルテというものに、医師はきちんと記載し記録を残すことになっている。しかし、このカルテ自体の提出が1ページもなかった。このため、そもそもスージンは、なぜ緊急に帝王切開術を受ける必要があったのか、その根拠となるデータは何一つ開示されなかった。さらに、彼女は帝王切開後、徐々に多くなった出血を止めるために計3回の緊急手術を受けた。この間のスージンの脈拍、心拍数や血圧などの基本的なデータも全くなかったため、時系列で、病院がスージンの病状をどう評価し、どういった対処をしたのかを読み取ることができないというのだ。血液の凝固度を測る検査はしたのか、輸血の量やタイミングが適切だったのか、子宮摘出のタイミングは適切だったのか、そして病院はスージンがいつ播種性血管内凝固症候群(DIC)に陥ったと判断したのか、たくさんの疑問が上げられた。

私はK医師宛に質問状を作った。主な要点は三つ。1. 報告書にある事実無根の内容を訂正してほしい。2. 心拍数や脈拍などのデータをすべて公開してほしい。3. スージンの病状の進行具合をどのように確認し、評価し、どうやって対処したのか、時系列で説明してほしい。10月5日、病院を訪れ、K医師に質問状を手渡し、10月12日までに回答をお願いした。

10月12日午後5時ごろ、K医師からメールが届いた。「これまで提出した書類がすべてを説明しています」と書かれていた。私が「もう一度、質問状をよく読んで、一つ一つに答えを書いてください」とメールを送信したら、今度は「9月1日にあなたと面会していない部分以外、報告書に書かれてあることはすべてが事実です。残りの質問に関してはあと一週間ほどください」と返答が来た。しかし、12月4日現在、病院から返答はない。

さらに信じがたいことが起きた。10月7日、司法解剖の結果が出た。解剖を担当した医師による4ページの手書きの文章の半分は、私に手渡されたK医師の報告書がそのまま一字一句書き写されていた。無論、私が医師たちに退室を求めたこともだ。さらに、肝心の子宮が解剖の対象外になっていた。死因は、帝王切開後の子宮出血であり、子宮の状態がわからなければ、詳しい死因は知りえない。病院は、私に事前相談も事後報告もなく、勝手にスージンの子宮を摘出し、さらに、解剖にも出さなかった。

中東地域の産科医で、K医師を知らない者はいない。ヨルダンの皇室メンバーも出産の際はK医師に頼り、他の中東諸国からも、多くの人がこの病院で出産するためにヨルダンへやってくる。ヨルダン在住の欧米の外交官たちも、本国へ帰らず、この病院で出産する。つまり、K医師は、この業界の神様的存在なのだ。

それは、K医師の報告書の最後の一文に象徴されている。「病院側には全く過失もなく遅延もなかったことを強調したいと思います」。本来、司法が判断すべき「過失」の有無を、執刀した医師が自らが判断しているのだ。こんなことを正々堂々とできてしまうことが信じられない。

中東の名医に対し、外国人である私ができることはあまりにも限られている。頼れる機関があるとしたら、ヨルダンにある韓国大使館と日本大使館くらいだ。情報が公開されていない状況などを説明し、K医師宛に書いた質問状を手渡す際、両大使館に同行してもらえないか尋ねた。

しかし、韓国大使館は「病院に医学的な質問をすることは大使館の業務ではない」と言い、日本大使館は「この件に関して、大使館は当事者ではないため、司法プロセスを含め、ヨルダン国内の紛争解決システム内でやっていただくことがベスト」と、断られた。

私は、何も、医学的な質問をしてほしいとか、病院を訴えたいから支援してくれと言いたいのではない。妻がなぜ死ななければならなかったのか真実を知りたいだけだ。大使館の主な業務の一つが、その国出身者の保護なら、事故の真相を突き止めることも「保護」の定義に入らないのだろうか。

私に残された手段は一つしかなかった。スージンの配偶者としてヨルダンに滞在していた私は、在留許可を取るすべをなくし、10月末に日本へ帰国。そして、11月29日、ヨルダンへ飛び、友人に紹介されたヨルダン人弁護士の力を借り、病院とK医師を相手に業務上過失致死罪で刑事告訴した。11月30日、担当の検事と面会し、事情を説明。検事は病院にすべての資料を開示させると約束してくれた。そして、関係者から事情を聴き、専門家の意見を踏まえ、起訴するかどうかを判断する。

しかし、病院とK医師が、検察の捜査に協力するかはなはだ疑問だ。これまでの対応を見る限り、カルテの改ざんを含め、病院側が証拠隠滅を図る可能性は大きい。韓国と日本の両大使館を含め、すべての関係機関に、お願いしたい。検察の捜査に協力するよう、病院に要請してほしい。

息子の名前は「千汪(せお)」と名付けた。「汪」は涙が溢れる状態を意味する。1000人以上の涙でこの世に迎えられた千汪には、スージンの様に、他の人の涙に共感できる人間になってもらいたい。そして、病院とK医師には、たくさん流された涙に真摯に向き合ってほしい。

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