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広林依子 Headshot

余命1ヶ月を宣告されて、人生に一切の迷いがなくなるまで。

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デザイナーの広林依子と申します。私は現在29歳の、ごく普通の女性で、独身です。友達とカフェでワイワイ話したり、おしゃれを楽しんだり、ときには海外旅行に出かけたりしている普通の生活を送っています。他の人と違うのは、3年前の26歳のときに乳がんを宣告され、そのときすでに骨に転移しており、それからステージ4のがん患者人生を送っていることです。

このブログでは、デザイナーの私が考えた、【ステージ4のがん患者のライフデザイン】の1例を紹介していきます。今回は、余命を宣告されてからの生き方ついて書いてみます。

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・余命1ヶ月の宣告、大人しくしていたがんが突然暴れだす


私は乳がんが発覚したとき、すでにステージ4だったので手術はしませんでしたが、すぐに半年間の抗がん剤の治療をしました。その後、がんの進行スピードが遅くなり、体調的には安定を保っていました。手術をしなかったため、結果として体力や免疫力があまり落ちず、幸い身体のパフォーマンスは良かったのです。

ステージ4のがんを治療する上で、私はずっと「生きる長さ」ではなく、「生きる質」(QOL)を大切にしてきました。残念ながら、長さと質の両方をとることはできません。だから、出来る限り副作用が少ない治療法を選択し、出来る限り「生きる質」を保つことを優先したのです。

がんの転移などの症状が現れたときは、その都度、対症療法をするかたちでがんと付き合ってきました。例えば、肺に転移したときは副作用の軽い飲む抗がん剤を服用し、背骨を圧迫骨折したときは、放射線治療をして下半身麻痺の危機をギリギリのところで回避しました。皮膚転移や、最初にがんを発症した胸の皮膚からがん腫瘍が露出して出血したときにも、放射線治療で抑えました。

こう書くと色んな症状が起きていて大変じゃないかと驚くかもしれませんが、進行する症状をなんとか抑えながらも普通の生活を送ってきたのです。服を着て化粧すれば、見た目には全く普通の人と変わりません。一人暮らしをして、みなさんと同じようにお出かけを楽しんでいました。

しかし、最近になって状況は一変しました。

肺の「癌性リンパ管症」を発症したのです。がん細胞がリンパ管に入り込み増殖し、リンパ管がふさがれてリンパの流れが妨げられている状態で、胸水が溜まったり、呼吸が苦しくなったりする症状が表れます。

この症状が起きた場合の平均的な余命は3〜6ヶ月といわれています。

発症後も1ヶ月ほどは今まで通りの生活をしていましたが、ある日を境に急に体調が悪くなりました。疲れやすくなり、すぐに息切れをするようになりました。次第に食欲も落ちて咳が止まらなくなり、「このままだと数日後に倒れる」と感じてタクシーで病院へ。主治医の見解は「このままのスピードで進行すると、余命は1ヶ月ほどしかもたない」というものでした。

そう言われた瞬間、最初に思い浮かんだのは「時間がない!」でした。「癌性リンパ管症」の症状は理解していて、「スピード感をもって生活しないといけないかも」とは思っていましたが、さすがに1ヶ月と聞いて、私の心はざわつきました。

しかし、不思議とすぐ冷静になれました。

そして、私の中に、【静寂】が流れました。

・自分の余命を宣告されて、【静寂】を感じられた理由


自分の余命を宣告されたのに、私が感じたのは【静けさ】でした。不思議と焦りや悲しみは湧いてこなかったのです。なぜでしょうか。

それはもしかしたら......、もうすでに今まで身に起きた現実や限りある命と向き合い、とことん生きる術を考え、自分の中で生きる目的のようなものを見出してきたから。自分なりに納得感のある日々を送ってきたからかもしれません。

今死んだら、楽しい人生だったなって思える。今後の人生がなくなっても、それはそれで、自分自身は楽になると思える。自然にそう思えたのです。

29年間、人生における酸いも甘いも一通り経験できた。とくにこの3年間には、厳しい現実も辛い治療もうれしい瞬間もたのしい経験も、ぎゅっと濃縮されていました。

余命宣告されるという状況は、前から想定していたことでもありました。もう余命が1ヶ月しかないなら、頑張ったご褒美として、もう静かな時間を自分に与えてもいいんじゃないのかと思えました。

だから、緩和ケアの先生に「今の心境は?」と聞かれた時、自然と「静かな時間が流れています。川のせせらぎのように、とても穏やかです」と答えられたのです。

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それどころか、もう困難に立ち向かわなくていいんだと思うと、「だったら私の大切な【生産活動】に専念したい!」とチャレンジ精神まで湧いてきました。1日後には、こんな楽観的な考えが浮かんできたほどです。

・緩和ケアか、抗がん剤治療か。自分の生き方に徹底的に向き合う


それでも、「最後のお願いだから、積極的な抗がん剤治療を受けてほしい。」と、色んな人が言ってくれました。

余命1ヶ月の宣告を受けた後であっても、幸い私にはまだ治療の選択肢がありました。同じ立場で治療法がない人もいます。私の場合は、抗がん剤治療は使える薬の数が限られているので、いざという時のために薬のカードを残していたのです。抗がん剤治療か、緩和ケアか。私は最後まで悩みました。

余命宣告から2日後、ついに「もうこの日までに決めないと緩和ケア一択になります」と主治医に言われた最後の日が来ました。「このまま緩和ケアで辛さを取り除きながら死ぬのも悪くない」とも本気で思いましたし、一方「積極的に生き続けることは、新たな可能性に出会えることにもつながる」とも思いました。

最後の最後まで非常に悩みました。徹底的に自分と向き合い、最後の瞬間を決めるまで悩みました。

最終的に、私はまた抗がん剤治療を始めました。「生を延長したい」という人間の本来が持つ生存本能が勝ったのです。

私は今、晴れやかな気持ちで治療を受けています。それどころか、余命宣告をされて川のせせらぎのようだった静寂の時間に、光がキラキラとまばゆく当たったような、そんな心境になっています。こうしてブログを書くことで、さらに今後の生き方に迷いが無くなりました。

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「もっと自分に自信を持って、やりたいことをやっていいんだ!」「自分をもっと表現していいんだ!」。今は前よりもさらに前向きに思えるほどです。生きていることは、それだけで凄いことなんだと再確認できたように思います。

26歳でステージ4の乳がんが見つかってから、私はあらゆる幸運や奇跡の上に、この3年間生き続けて来られました。余命宣告をされてなお、私は「生を延長」することを選びました。この決断で、私は一切の迷いがなくなりました。これからは残された時間で、自分の生を延長させるために、精いっぱい【生産活動】をしたいと思います。いま私にとって、生きることは【生産活動】そのものなのです。