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自分の足で歩くということ

2014年06月09日 16時14分 JST | 更新 2014年08月08日 18時12分 JST

生後間もなく、彼の母親は彼を置いたまま家を出ていき、

父とその祖母と、祖母の姉(妹)にムンクは育てられました。

そういう幼なじみがボクにはいます。

小学1年生の授業参観の日。

クラスの子が彼に、

「お母さん、今日来んの?」と

いじわるな質問をしました。

それはわざとね。

彼は顔面をこわばらせて、

「来ると思うな」といつも嘘をつきました。

そのこわばった顔をみんな見たくて、

「ほんとに来るの? どんな服着てくるの?」

と聞きました。

もちろん。

お母さんは来るはずもなく、代わりに祖母が来た。

祖母は洋服の若い母親たちに混ざり、

浅葱色の和装で来て、頭もひときわ大きく結っていた。

子供ながらにボクは「まずい」と思いました。

だって、その目立った老婆が、彼の祖母だということは明らかだったから。

老婆の顔立ちはムンクをそのまま老婆にしたままで、

笑っちゃうほどのそっくりだったから。

彼は祖母のことを小声で「グランマ」と呼びました。

なにもかもが子供の目には好奇の対象でした。

いつしか。

彼は成長につれ、成績優秀の秀才になりました。

ただその振る舞いは相変わらずオイオイだったので、

いつまでたっても、いじ(め)られてた。

すぐにテンパると、とてつもなく悲しい顔をする。

ただでさえ色白なのに、その顔から血の気が引くと、

真っ青になり、また成長してますます彫りの深くなった顔は、

まるでムンクの1枚のようであることから、

あだ名は「ムンク」となりました。

ムンクは運動もオンチだったし、

とにかく、彼のすべては個性的で、印象に残る友人でした。

***

そのムンクから、ボクに突然連絡が来たのは、

カフェを始めてしばらくした頃です。

ムンクは大企業に入った後、成果主義に合わずに退職し、

公認会計士になっていました。

「今度キミのカフェに行ってもいいかい?」

ボクはもちろんと答え、ムンクを店で待っていました。

相変わらず色白で彫りの深い顔をしていました。

ただ随分とたくましく筋肉質になっていて、

「趣味で、トライアスロンをやってるんだよ」と言いました。

「それより、どうした? 突然」

「うん、実はオヤジと喧嘩して、家を飛び出したんだ。

ここ数年、あのオヤジとは、うん、ソリが合わなかったからね。

それで。

その時。

なにを思ったか戸籍を持って飛び出したんだ」

「戸籍?」

ここの珈琲はとても美味しいね、とムンクは褒めてくれました。

「それで戸籍をたどってみたんだ。

そうしたら、オレの母親の住所がわかったんだ。

九州だったよ。

そして、うん、意を決して行ってみたんだよ」

「・・・」

「そしたらね、ハハハ、爺さんがいて、ここにはいないと言われたよ。

それにしても、相変わらずキミはセンスが良いね。

この店はオレには少し眩しすぎる」

なんと言っていいかわかりませんでした。

「残念だったね。

まぁ、いまさら母親に会うというのも、

どうなんだろうね。気持ちはわかるけど、

会えなくて正解だったかもね」

「いや、それは違う。

やっぱりオレは、母親をこの目で確かめたいんだよ。

オヤジやグランマには、

『おまえの母親は鬼なんだよ』 

そう言われて育ってきたからね。

本当に鬼かどうか、確かめたいんだ。

実はここからが相談なんだけど、

来週、母親と会うんだ、それもキミのこの店で」

ムンクの母は彼を産んだあと銀行に勤め、

独り東京で暮らしていたそうでした。

グレーのワンピースを着て、

銀縁のメガネをし、ショートカットの品のある女性で、

「井川さんは、小さいころから彼のお友達で

いてくれたみたいで、ありがとうございます」

よろしかったら、スタッフのみなさんでどうぞ、と

上等なマスクメロンをお土産に頂きました。

店で35年ぶりに再会した親子はぎこちなく座っていた。

ムンクが痛みにうずくまっていたときを、ボクは何度も見てきました。

たとえ友人であっても、

彼の心の痛みをどうしてあげることも出来なかった。

帆走はしてあげられても、搬送はしてあげられない。

なんであいつは、ボクの店を選んだんだろう、

そんなことばかりがずっとずっと気にかかりながら、ボクは珈琲を淹れました。

彼がきちんと立ってさえいれば、

搬送はしてあげられないけど、帆走はしてあげられる。

長い人生、自分の無力さに失望することないんだ。

そんなことを珈琲を淹れながら思ったりしたのです。

宇田川町店にて

6/13(金)〜15(日) 映画「紫陽花とバタークリーム」上映

http://www.mamehico.com/news/16910.html