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「子連れ議会」のちょうど良い落としどころ

熊本市議会の対応としては「仕方ないね。今日だけ特別だよ…」がちょうど良かったんじゃないかと思います。

2017年11月29日 16時44分 JST | 更新 2017年11月29日 16時44分 JST

女性議員から子連れでの出席許可を求められた熊本市議会の対応について、いろいろ話題になっているようです。

私は出張先の宿で知ったのですが、そのニュースをボーと観ながら、別の議員が「認知症の母です。独りにしておけないので連れてきました」って求めたとしたら、世間がどんな反応するかを考えていました。まあ、あまり幸せな空想ではありませんでしたが・・・。

いろんな社会問題について、まずは子供で考えてみることは、導入として良い方法だと思います。戦争とか、難民とか、貧困とか、そうした問題の解決を探るとき、子供に目を向けることで、世間からの共感が得られやすくなり、人間味のある解決策へと導かれる傾向があるからです。高齢者や障害者に冷たい社会であっても、子供に冷たくすることはできないもの。子供だったらどうか・・・ を考えてみて、それがどうして高齢者でできないのか・・・ を考え直してみること。

先日、近隣の回復期病院にて『地域における薬剤耐性菌対策』と題して講演させていただきました。そのなかで、介護施設で求める感染対策が(ときに)過剰になっていることを指摘しました。なかには、「耐性菌を保菌している高齢者は隔離すべきだ」とか、「排菌している障害者の施設利用は停止すべきだ」と主張する方がいらっしゃるんですね。そういう方には、こう私は問いかけています。「耐性菌を保菌しているお子さんにも、同じように隔離や登校停止を求めますか?」と。

気管支喘息など基礎疾患のある小児では、どうしても抗菌薬を多用する傾向があるため、薬剤耐性菌が定着していることがあります。そんな学童について、学校に行くことや体育の授業に出ることを制限することが許されるでしょうか? 学校の先生や友人は感染予防の手袋を着用してから触れるべきでしょうか? もちろん、そんなことは許されません。誰しも、子供であれば直感的に理解してくれます。排菌量が増大する症状を認めない限り、日常の暮らしを、人権を、制限すべきではありません。施設に暮らす高齢者であっても同じなんだと思います。

子供で許されないことを、高齢者で正当化できるかを考えてみるのは良い方法です。だいたいにおいて、世間は高齢者の人権に無感覚になりがちですからね。でも、その逆もあるんだなぁ というのが、今回の「子連れ議会」についての感想。赤ちゃんのことになると、ときに世間は社会感覚がマヒしてしまうことがあるようです。

まあ、市議会が子連れ出席を認めるかどうかは、究極的には市民が決めればよいことです。ただ、認めないからといって「時代遅れ」と断罪するのもどうかと思います。たとえば、私の病院では、医師や看護師の子連れ出勤を(原則として)認めていません。だからといって、時代遅れだとは思いません。そういう職場なんです。

ただ、それでも、過去2回、私は子連れで出勤したことがありました。その理由を覚えていませんが、何らかの事情で妻も忙しくしていて、預ける先も見つからなかったんですね。あのとき、カンファレンスの隅っこで遊ばせておくことを同僚は許してくれましたし、患者さんを診療するときには病棟の看護師さんが預かってくれました。ありがたいことです。

だからといって、子連れ出勤を「権利」として主張しようとは思いませんでした。子育てしていれば、どうしようもないこともある。そういうときに、社会は温かく許してくれる。それでいいんじゃないかと思っています。

だから、熊本市議会の対応としては、「仕方ないね。今日だけ特別だよ。もちろん、あなただけの責任じゃない。今後、こういうことがないように、皆も協力して考えていかないといけないね」がちょうど良かったんじゃないかと思います。ついでに、傍聴している市民から、「議会のあいだ、私が面倒みてましょうか」というような声があがる、そんな社会になるといいですね。

ま、「認知症の母親」について、同じような対応ができるようになれば、最強の市民社会だと思いますが・・・ そりゃ、まだまだ遠くに霞んでいるようです。