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通知簿に「ひねくれ度」が必要な時代

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TSUUSHINBO
若新雄純
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「デジタル技術は知的労働者の職を奪いつつある」という、アメリカの記事『大いなるデカップリング(The Great Decoupling: An Interview with Erik Brynjolfsson and Andrew McAfee)』が話題になり、日本でも「IT革命で儲かったのは企業だけで、オフィスワーカーの賃金はちっとも上がっていない」などと少し議論になっていました。

簡単に言うと、以下のグラフ(出典:ハーバード・ビジネス・レビュー)が示すように、1995年以降、米国の労働生産性(灰色)はすごく伸びているのに、雇用(緑色)はほとんど増えていないし、家計収入(青色)はむしろ下がっている。これは、ITによって企業の生産性は上がった(だから儲かっているだろう)が、その分だけオフィスワーカーの労働力はいらなくなってきてるんじゃないか?という話です。

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■学校教育が磨き上げてきた「単純知的労働」

人がたくさんいなければ運べなかった重たい岩とかも、ダンプやショベルカーがあれば楽々処理できる。そんな感じで、「人のだるい仕事を簡略化する」ために技術は革新され続けてきたんだと思います。なので、「ITによって単純な知的労働の需要はどんどん減っていく」という話は我が国においても当然といえば当然で、そして色々と考えさせられる問題です。

というのも、日本においてこの「単純な知的労働」というのは、均質で正確で汎用性のある「いい仕事」のことであって、近代の画一的な学校教育が磨き上げてきた「みんなが目指したいもの」だったと思うからです。「言われたとおり真面目に勉強すれば、知的な"いい仕事"に就けて将来ハッピーですよ」ということでみんな黙々とやってきた。ところが、もはや仕事に工夫ができなければ、税理士や行政書士といった専門職ですらこれからは危ういというわけです。

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■「ひねくれ」の素質を発揮する

では、「単純じゃない」知的労働というものには、どうしたら就けるようになるのか。
「創意工夫」とか、別にそういう大げさな言葉に惑わされる必要はないと思います。素直に自力で積み上げることばっかり考えず(もちろんそれも大事ですが)、「人の力を借りればもっと楽できるんじゃないのか?」とか、「何かと組み合わせたらもっと面白くなるんじゃないのか?」とか、「そもそもやる意味あるのかな?」といった具合に、なんでもかんでも額面通りには受けとらず横にズラしてみるという、ちょっとひねくれた態度と思考を培っていけばいいのだと思います。

いや、培うというよりは、そもそも人間には備わっているであろう「ひねくれ」の素質を、小さい頃からところどころ発揮できるようにしておくべきなのです。ただそのためには、学校の先生など社会の大人たちが、それを歓迎し、時にはちゃんと評価してくれなければいけません。

■人間ゆえの「ややこしさ」を開発する

だから、小中学校の通知簿には、勤勉さや協調性だけでなく、ちゃんとひねくれることができているかどうかを評価する項目も追加してもらいたいものです。まぁどうせ、「独自性」とか「柔軟性」といったスマートな概念に置き換えられてしまうと思いますが、なんかそれだとちょっと違うんですよね...。

色んなテクノロジーが発展する一方で、僕たちは人間ゆえの「ややこしさ」をもっと大事にして、それをちゃんと開発していかないと、便利だけどヒマで惨めな日々をおくることになってしまうような気がするのです。

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