肌で感じた人種差別 アメリカの人種差別問題はどこに向かうのか?

米国の分断とトランプ大統領の発言が物議を醸している。

米国の分断とトランプ大統領の発言が物議を醸している。米国バージニア州シャーロッツビルにおいて起きた白人至上主義者等と反対派の衝突では、極右とみられる男性が反対派のデモ隊に乗用車で突っ込み、女性1人が死亡、19人が負傷する惨事となった。

8月14日にトランプ大統領はホワイトハウスでの会見で「人種差別は悪だ」とし、「KKK」「ネオナチ」「白人至上主義者」を名指しで批判した一方で、翌15日には、「双方に責任がある」という主旨の発言をしたことにより、二転三転する発言に批判が集まっている。

そもそも、白人至上主義とは、平たく言えば白色人種こそ最も優れた人種であり、黄色人種や黒人などは白人に比べ劣っている、とする白人優越思想の立場や考え方だ。一方で、オバマ元大統領は多文化主義であり、多様な人種・民族の文化を尊重し、共存を図っていこうとする考え方のもと、政治を行っていた。

筆者は小学3年生から中学の途中までを米国カリフォルニア州で過ごし、現地校に通っていた。幼い頃から、様々な人種の児童生徒と英語で会話をし、勉強、遊んでいたわけだが、その苦労はとても語りつくせない。ロサンゼルスという比較的日本人も多く、全米第2位の西海岸の開放的な地域でさえも、人種差別は確かに存在した。まず筆者が幼いながらに最初に出くわしたのは1992年に起きたロサンゼルス暴動。ロサンゼルス市警の黒人への恒常的な圧力や黒人の高い失業率等、当時ロサンゼルスでは人種差別に対する緊張感が高まっていた。

そして、1992年4月29日、ロドニー・キング事件に対し、ロサンゼルス市警の白人警官への無罪評決が下されたこの日、評決に激怒した黒人たちがロサンゼルス市街で暴動を起こして放火や略奪をはじめ、「curfew」(外出禁止令・戒厳令)が出されたのだ。自宅のコンドミニアムの窓からは燃え盛る炎が見え、恐怖に震えたのを今でも鮮明に覚えている。

現地校での細かい出来事でも人種差別を感じることは少なくなかった。歴史上の人物を描くという授業で、ある白人の子が「こんなにうまく描けるわけがない。うつしたんだ!」と筆者の絵に対して文句を言った。すぐさま先生が「東洋人は我々西洋人よりもとても器用で細かい作業が得意なのよ」と言ったが「白人より上手なわけがない」と言い張った。それだけではなく、ついつい喧嘩になると白人の子どもが黒人の子供に差別的用語を言い放ち、先生が仲裁に入るという場面も何度も目撃した。長くいればいるほど英語が上達し、聞き取れるようになってきたことによって傷つくこともしばしばあった。

何よりも小さい子供ながらにショックだったのは自画像だ。青や緑の目に金髪の髪の友達は様々な鮮やかな色を使っている。私は黒だけの色鉛筆を握りしめ、紙の前でなかなか書き出せずに気後れした気持ちを忘れられない。私は知らず知らずの間にその環境の中で自分自身に対して引け目を感じるようになってしまったのだ。

一方で「ゆうき、日本語教えてよ!」「一緒に遊ぼうよ!」と声をかけて来てくれ仲良くなった友達も多かったため、今思うと家庭環境や家庭教育が差別に関する思想に大きな影響を受けているのだと思う。そんな幼少期を過ごしたからか、何に関しても「差別」ということに敏感に育ってしまった。自身が差別の対象となった経験から、平等に生まれてきた人(命)に対して偏った思想や自分との違いで人を傷つけたり、攻撃したり、差別をしたりすることは絶対にしたくないし、してはならない、ということを肌感覚で学んだ。

帰国後に編入した筆者の学校(茗溪学園)では「高校生の卒業論文」と呼ばれる個人課題研究を1年間かけてレポート提出しなければならない(卒業必修条件)。その際に、筆者は米国現地校での経験からアリス・ウォーカー女史(作家・公民権運動活動家)に焦点をあてたアメリカ有色人種女性の歴史や役割の研究に没頭した。黒人差別のみならず、差別されていた黒人の中でもさらに不当な扱いを受けていた女性差別も含め、同じ人間でありながら彼女たちが虐げられてきた事実と向き合い、その困難を乗り切る様は勇気や希望を与えてくれた。私が生まれた1983年に彼女の著書『カラーパープル』はピューリッツァー賞を受賞している。

南北戦争を経て、「奴隷解放宣言」により南部の州で奴隷の扱いを受けていた黒人は解放され、また公民権法が成立した。しかし、南部における黒人に対する差別や偏見は今なお潜在的に残り、KKKなどの活動の場となっている。更にはトランプ大統領の存在によってその活動は表面化し乱闘が勃発していると思われがちであるが、トランプ大統領誕生のタイミングによって噴出しただけであり、いったん噴出したこの対立は繰り返されると専門家は考察している。歴史を紐解くと、アメリカの長い間くすぶっていた人種差別問題はアイデンティティの問題として根深い。

私たち日本人からすると、人種問題は共感や理解がなかなか難しいのかもしれないが、実際に人種のるつぼと言われる米国にて生活していた経験がある筆者からすると、このグローバル化した社会の中で、今回の問題は決して無関係なことではない。

同性愛者や黒人・女性差別の解放などのリベラル政策とは相反する勢力が拡大した場合、人種差別は加速し、人種や国、外観的特徴が異なる人々は幼少期から大きな心の傷を負うことになるかもしれない。米国の騒動は一過性として捉えるのではなく、世界中の人々に影響を与える事件として注目すべきではないか。

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