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基礎自治体議員が陥る近視眼政治

2015年05月26日 15時04分 JST | 更新 2016年05月25日 18時12分 JST

県議会議員に就任してまだ一ヶ月も経過していないが、いわゆる職場は千葉県庁に変わり、片道約一時間半の電車通勤をしている。

筆者のように基礎自治体議員から都道府県議会議員になる政治家は少なくないが、市議会を経験したことにより市政の情報を理解していることや行政職員・地元市議との人間関係の構築、更に議会の枠組みを習得していることは今の政治活動の財産になっている。

一方で、市議会議員として三年半働いていた期間を振り返り、反省すべきことがあった。それは任期後半は「近視眼」になっていたのではないか、ということだ。

筆者は我孫子市議会で当時最年少であり、無所属で一期目ということからも、議会内では一番直近まで電車通勤して都内の民間企業に勤めていた議員であった。

つまり会社員の民間感覚に一番近い議員であったと思う。

その感覚は筆者にとって武器でもあり、おかしいことを普通におかしい、と言える存在でもあった。

しかし、市議となると公務はほぼ市内となり、地元に張り付き、一年中市民の相談を受けたり、家と市役所の往復となり、市外に出る機会が極端に減った。むしろ仕事や活動をしている議員はこうなることが当然である。

県議となると、県全体を見渡すため、「県の中の我孫子」を大局的に、そして客観的に見るが、市議時代は我孫子、我孫子、と追われ、木にばかり注目せざるを得ない状況となり、森を見る発想が失われていたのではないか、と電車通勤に戻った今、思うのだ。

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朝のラッシュ、電車の乗り継ぎ、駅の使い勝手、他市町村の広報戦略等々、実際に自分の生活に様々な手段が加わったことで人の動きの変化など気付きが多くあり、まさに今、民間企業時代の苦悩を取り戻している。

民間→市議→県議と経験した当事者目線でみると、特に基礎自治体議員は内向きになる上に、民間感覚までもが失われていく職業ではないかと感じた。

つまり基礎自治体議員だけを何期も続けていると、政策や考え方も近視眼的になり、時代の流れや民間感覚から取り残されていく。結果、基礎自治体議員で構成する議会そのものがガラパゴス化してしまい、急速に変化するこの時代において議会の新陳代謝が行われないと、議会と市民の感性は益々かい離するのではないかという懸念が生まれた。

筆者の場合、家族全員が電車通学・通勤経験者であり、民間感覚が染み付いているからこそ今回、職場が変わったことで民間と政界の隔たりを思い出すことができ、またこの違和感こそが市政の発展や市議会の活性化に非常に大切であるということも再認識した。

基礎自治体議員は地域性が強く、票のことを考えれば自分の地元の陳情ばかりに対応するのはもはや習性なのかもしれない。

しかし、人口減少化・少子高齢化社会に突入し、厳しい予算編成が強いられている地方は今、安易に市民の要望ばかりを通すのではなく、発想の転換とともに街全体の存続と先を見据えた進展を目指す「木を見て森も見る」視点が地方議員には求められているはずだ。

また新しい議員や斬新なアイディアに対しても、単に反対したりスルーするのではなく、基礎自治体の発展のためになる意見であれば積極的にバックアップする雰囲気や環境を整備する重鎮の議員の存在も必要である。

そして基礎自治体議員は内への集約だけではなく、自ら外に出て情報を得る姿勢が必要である。

つまり、今、基礎自治体議会に求められているのは視点も器も「大きい」人材であろう。