私たちの生活は、なぜ「遠い世界の話」と切り離せないのか?

最近よく考えるのです。「遠い他の世界で起きているように見えることは、実は遠くないどころか、自分の生活と非常に関係のあることなのではないか」と。

最近よく考えるのです。

「遠い他の世界で起きているように見えることは、実は遠くないどころか、自分の生活と非常に関係のあることなのではないか」と。

ちょっと前に中国からPM2.5が飛んできて、日本でも大きなニュースになりました。これは日本国内でいくら環境に配慮しても、問題解決できないことです。最近はこんな問題ばかりです。

近頃何かと話題のウクライナも、日本に住んでいると関係ないように見えますが、日本も世界の政治の枠組で明確な立場を表明しなくてはならないし、ロシアとの関係では北方領土だけでなく、エネルギー輸入で私たちの日々の生活にも、大きく影響する話です。

経済もリーマンショックに象徴されるように、アメリカのいくつかの企業の起こした"事件"で世界中が振り回されます。日本の株価もリーマンショックで大きく落ち込み、会社の業績から私たちの給料まで、日々の生活に多大なる影響を及ぼしました。

世界は小さくなっているとか、フラットになってきているとか、世界システムのマネジメントに誰も責任を取ろうとしない、もしくはとれないG0の時代とか、色々なことが言われます。

しかしそういう時代だからこそ、より"遠い世界の話"に聞こえることに、無関心でいられなくなっているのではないでしょうか。端的に言うとそういう事件の影響が、私たちの日々の生活に、より直接的に影響するようになってきているということです。

もちろん、世界がフラットになることで良い影響もたくさんあります。そしてこのフラット化に最も大きな貢献をしたテクノロジーがインターネットであることは、議論の余地がないと思います。

インターネット登場以降、それまでの手紙のやり取りはe-mailとなり、より手軽になりました。最近ではフェイスブックやLINEなどに代表されるように、国内外という地域の違いすら意識しなくなり、コミュニケーションコストは劇的に下がりました。インターネットは正に"個が光る時代"の到来を告げました。

このフラット化を機会として捉える人は、既に色々な場で活躍の機会を得ていることだと思います。しかし一方で、ネガティブインパクトを抑える自己防衛の観点でも、"遠い世界の話"に無縁ではいられなくなってきている、のではないでしょうか。

先日マラリア・ノーモア・ジャパンというNGOのイベントに行ってきました。彼らのミッションはマラリアという病気を世界から根絶することです。

マラリアという病気は、多くの日本人にはもはやピンと来ないものです。なぜならば、日本ではほぼ"解決済"の病気だからです。しかし日本で解決済、つまり治療可能である病気にも関わらず、世界ではアフリカを中心に、今も多くの人が亡くなっています。

私はこうしたマラリア根絶の活動を応援したいという気持ちがありますが、こうした活動を応援する動機は、人それぞれ、色々なものがあります。

純粋に先進国で解決済のマラリアで、「助けられる命」が失われていることに対する義憤もあるでしょう。ただ一般的にこうした問題に関心を持つきっかけを、多くの人が持つと期待することも、難しいです。

私は例えばこうした問題が、私たちの日々の生活に長期的にどう影響するのかを知ることが重要だと考えます。アフリカのマラリアは確かに命に関わる重大な問題です。しかし日々の生活において、重大な問題はたくさんあります。それこそ地球規模でなくても、日々の仕事、生活、恋愛など、問題は目白押しです。私たちは多くの問題の中で、どの問題に取り組んで、どの問題に取り組まないかと決めながら、生きていかなければいきません。

その際に一見関係なさそうに見える"遠い世界の話"が、私たちとどう関わりがあるのかを想像できるかどうかが、問題を"遠い世界の話"ではなく、"自分事"として積極に関わりを持つ契機になります。

例えば先ほどのマラリアの例だと、マラリア自体は日本では"過去の病気"といっても過言ではない中で、どう私たちと関わりがあるのでしょうか。

例えばこう考えることもできます。日本では人口減少が大きな問題ですが、世界では逆にあまりにも劇的な人口増大が問題となっています。

この地球に人口が増えすぎるとどんな問題があるのでしょうか。地球がそれだけの人を養う食料も、生活するためのエネルギーも不足するでしょう。さらにはエネルギーをたくさん使うことで、より高速な地球温暖化を引き起こし、それが地球の寿命を縮め、人類の滅亡を早めることにつながります。

そんな人類滅亡とか、人口過剰増加とか大げさだなあ、と思うかもしれません。しかし現実の人口増加ペースは想像以上です。1900年に15億人だった世界人口は現在では70億人を超えています。2050年には90億人まで増えると言われています。これまで2000年程度の歴史で15億人だった人口が、ここ150年で75億人増えるという話です。地球はいつまで持ちこたえることができるのでしょうか。

この過剰なペースの人口増加は、遠過ぎてわからない未来の話ではなく、私たちの子どもや孫の世代での問題です。我々の子孫というと大げさですが、実際に会える愛しい子どもや孫の代に、私たちの世代のツケを支払わせたくはないですね。

中でもアフリカが特に急激な人口増加地帯なのですが、なぜこんなに人口が増えるかというと、マラリアが一因であることは間違いないです。マラリアで子どもがたくさん死ぬので、アフリカ人は子孫が残るように、たくさんの子どもを残そうと考えるのです。

子どもが大人になるまで生き残ることが難しい世界が、今でもそこには広がっているのです。もちろんそんな世界は許せないという気持ちがあります。そして、その問題はただ許せないだけではありません。遠く離れた日本にも無関係ではないのです。

地球的規模で物事を考えよう、というと難しくて偉そうに聞こえるかもしれません。しかしそれが自分の子どもや孫に関わる問題だと思えると、意識や行動が変わってくるのではないでしょうか。

私もかつてサブサハラのこういった地域を、フィールドトリップで視察しました。マラリアで苦しむ家庭は、マラリアの治療費や、それを予防する蚊帳が買えない人たちです。それでも必死で生きていくために、労働力としての価値もある子どもをたくさん作り、その行為が結果として、自分たちが貧困のループから抜け出すことを難しくします。

貧困で苦しむ人たちのサポートをする行為は人道的観点だけでなく、人類の存亡という意味でも、経済合理性でも必要なことなのです。これに手を打たないと、後になればなるほど大きなコスト負担、人口爆発、環境破壊、資源枯渇、という未来が待っています。

それで苦しむのは私達自身でもありますが、さらに深刻に苦しむのは、何の責任もない私たちの子どもや孫です。途上国の支援は人助け的な発想も多いですが、これは自分達自身を救うことでもあるのです。

ビジネスで考えても、途上国でビジネスを作ることは、現地の人に雇用を作っていいことしているとか、そういった人助け的な視点ではありません。日本では逆に圧倒的な少子高齢化が問題になります。2050年までに今の人口の約1/4である3000万人もの日本人が消えると推測されています。これだけ人口が減れば需要が減るので、このままでは日本の経済的衰退は確実です。そうした日本が食い扶持を得るために、これから人口が増え経済成長の余地がある途上国でビジネスをすることは、私たちの生活・生存を助ける、重要な意思決定なのです。

こうした問題と世界のフラット化は、私たちが好む好まざると関係なく、今起きている現実です。この複雑系の世界では、"遠い世界の話"が致命的なバタフライ効果を生み出す可能性が大いにあるのです。

今後私たち自身と、その子ども・孫が幸せに生きていくためにも、「自分たちの将来と地球的問題(global agenda)のつながり」と、「持続開発可能性(sustainable development)」という2つの視点を自分事として持つことが、致命的に重要ではないでしょうか。

Malaria No More International Honors 2013 Honoring Hillary Clinton

Malaria No More International Honors 2013

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