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お母さん泌尿器科医、いわきへ行く

2017年07月28日 23時56分 JST

「先生、大学で何してるの。いわきへ、常磐病院へ行きなさいよ。」

それは衝撃的な一言でした。「医療詐欺」という本を読んだ私は、著者である上昌広先生に本の感想をfacebookのメッセージで送りました。その後、上先生の研究室へ伺い、お会いした際に先生からいわれた言葉です。

2014年9月当時、私は東京女子医科大学を卒業後、同大学病院の泌尿器科に入局し約20年、泌尿器科医としていくつかの関連病院で働きました。2005年からは大学病院に戻り、女性排尿障害センターを立ち上げ、男性も含めた排尿障害や尿失禁の診療を行っていました。論文を書く訳でもなく、指導する同じ仕事を後輩がいる訳でもない、大学病院勤務の医師としては中途半端な立ち位置でした。これからどうしようと思っているのを見透かされたような気分でした。

福島県いわき市にある、ときわ会常磐病院には医局の2年先輩である、新村浩明先生が副院長として(現在は院長)働いておられます。新村先生がいわきの医療を支えようと、懸命に頑張っているのは知っていました。ただ、私にとって、常磐病院は年に1−2回、当直に行く先の病院でした。

上先生の研究室に伺った頃は、長女はちょうど中高一貫校の中学1年生、2歳違いの次女は小学5年生で1年後に中学受験を控えていました。

お母さんが単身赴任で勤務するなんて、冗談じゃない。何を言ってるんだろう、この先生は、、、。と心の中で思いました。(もしかしたら声に出たかもしれません)でも、次の瞬間、「それもありですねえ」とも答えていました。そうか、次女が中学に入ったら、受験の心配はしなくていいんだな。大学受験はそれぞれ自分たちでやらせればよい。やってやれないこともないな。

当時私は大学病院で、週に2回の外来と手術や検査、それ以外に不定期木曜日と土曜日の俗に「バイト」と呼ばれる院外での、大学の給料を補うための診療をしていました。土曜日は子供の学校行事が入ることも多く、その度に仕事を調整したりお休みをお願いしたりするのも心苦しく感じていました。

また、後で知ったのですがいわき市は医師が非常に少なく、同じ福島県といっても会津、郡山のある中通り、いわき市のある浜通りは地理的には離れており、たとえばいわき市の患者さんが福島県立医大にいって診療を受けようとしても、車で1時間半ほどかかるという事情があるようでした。

いわきには泌尿器癌や尿路結石、腎不全の診療はたくさん先生方もいて進んでいるのですが、私が得意とする尿失禁や排尿障害専門の医師は少ないだろうと思いました。東京は排尿障害や女性泌尿器科疾患の治療を行う専門外来が充実しています。予約診療で少し受診まで待つことはあっても、よい先生方が良質の医療を提供しています。いわきに行ってたくさんの患者さんを思い切り診療したい、そう思いました。

新村先生に常磐病院へ行きたいと相談すると、「先生の働きたいように働いてくれていいですよ」と言って下さいました。いわきへ行きたい!

そこから、私の長い調整が始まりました。

まずは家族です。夫、長女、次女、近所に住んでいる私の母に話をして、理解してもらい、いわきで働くことを進めてもよいか、協力してくれるかをたずねました。夫は「あなたが好きなことをしたら良い、協力するよ」と言ってくれました。長女はかなり難色を示しましたが、最終的には折れてくれました。次女はふーん、というような感じでしたが、反対はされませんでした。

母はしばらくいわきがどこにあるのか、ぴんとこないようでしたが、いいんじゃないの、週末には帰るんでしょというような反応だったと思います。家族の協力を取り付けました。次は医局です。

東京女子医大泌尿器科の医局は当時総勢100人近くの大所帯です。もちろん医局員一人一人の事情もありますが、医局全体の中での自分の立場や仕事内容もそれなりに意識して動かないといけないところもあります。医局長をやった1年間で学びました。まずは人事担当の石田臨床教授(現)に「いわきへいって、常磐病院で働きたいです」と申し出ました。少し考えておられましたが、OKをもらいました。田邉主任教授(病院長)にも伝えてくださるとのことでした。これで、医局から移ることも可能になりました。

次は大学病院の仕事の割り振りです。中央放射線室長、医学部での講義、看護大学での講義、検査担当、外来などの仕事を少しずつ他の人にお願いしなくてはなりません。後輩の女性医師が排尿障害をやりたいと手を挙げてくれ、検査はしばらく一緒に行って、彼女へ教えていくこととなりました。講義は最近医局に入局した、女子医大同期の小児泌尿器科担当の医師が引き受けてくれました。放射線室長は医局長が引き受けてくれました。

外来の仕事調整は時間がかかっています。10年近くの外来診療で、少しずつ患者さんが増えて、1日30-40名の患者さんが週に2日ずつおられます。まずは外来を週1回にするところからスタートしました。

患者さんに事情を話し、他の先生に担当をかわってもらったり、患者さんの地元医療機関へ紹介したりして、半年から1年かけてなんとか週に1日にさせてもらいました。患者さんの反応はさまざまでした。「大変ですね、何年ですか?」「福島、地元ですか?」など。いわきへは自分の希望でいくこと、自分の地元は東京で、いわきでの診療を提供するためにいくことをご説明しました。

いままで行っていたバイト先の病院にも事情をお話しし、いわきへいく期限を持って最終とさせていただきたい旨を伝えました。

偶然なのか、こうやって調整をしているとき、他の病院で働かないかという打診を2件ほど受けました。もちろん行き先が決まっていたのでお断りしましたが、重なるものだなあと不思議な気分でした。

診療の調整と平行して、次女の中学受験がありました。親にできることは勉強が出来る環境を整えることぐらい。何を言っても次女に反発される時期もあり、受験する学校も決まらず、それでも受験したいという次女には少し手を焼きましたが、最終的には本人が行きたいというところから合格をいただくことができました。

常磐病院で働く時期は、次女が中学に行き始めて半年後を当初設定していました。医局内の人事の都合でそれが3カ月伸びましたが、2017年1月より、晴れて常磐病院で働くこととなりました。

金曜日は女子医大の患者さんの外来を行うため、月曜日から木曜日のいわきでの勤務です。テレビや机、本棚など一通りそろった小さな新築ワンルームのお部屋を医局棟として病院のすぐ側にお借りすることができ、身の回りのものを運んでのいわきでの暮らしが始まりました。一番近いスーパーまで徒歩20分ほどかかるため、買い物はやや不便ですが、静かできれいなお部屋で夜のんびり過ごすことができ、昼間は何も気にすることなくただ仕事ができる、手術も山ほどある、泌尿器科医にとって、夢のような生活です。

病院のスタッフは外来も手術室も病棟も、どうしたら医師が効率よく動けるか、患者さんにとってよいかを極限まで考えて下さっており、廊下を歩いても、いつも笑顔でお互いに挨拶ができる、気持ちのよい環境です。大学病院では年齢で免除されていた、当直は月1−2回ありますが、それも周りの先生方(もちろん新村院長も)がこなしておられるので、自分も当然やります。

月に1−2回は、研究のカンファレンスもあります。加藤茂明先生を中心に、世界を相手に戦えるような研究のお話などを聞き、自分もそんな研究の端くれでも担えればよいなと思っています。

木曜日の診療が終わると東京へ帰ります。自宅に帰ると日によっては自宅の居間が荒れ果てており、時には子供がソファーで寝ていたり、荷物や衣服が散乱するなどしていることもあります。たまった話をきくため、長女のお話相手をしつつ、台所を片付け、ゴミを整理し、洗濯機を一回しして、眠ります。

翌朝は子供のお弁当を作り、送り出した後、大学病院の外来へ行きます。一日外来を行って、帰宅すると洗濯物を整理し、夕食などです。

土日はお休みですが、その間に掃除と洗濯、たまった事務的な仕事の整理、翌週のお弁当のおかず作りをします。そして月曜日の朝一番の電車でまたいわきへと行く生活です。

子供たちも働きます。長女は毎朝の二人分のお弁当作り、皿洗いが担当。次女はお風呂洗い、ゴミ出し担当です。それ以外に洗濯物を取り込んだりを学校、クラブ活動、塾等の合間にやっています。これらの家事仕事は子供と相談をして、小遣いの他に、バイト代を渡すことにしました。それ以外に必要となるお金は、ホワイトボードに千円札を数枚貼付けておき、週末に戻ったときに清算するスタイルです。

夫は洗濯や台所の片付け、毎日きちんと夜帰ることをしてくれています。夫の仕事は作曲家、写譜家です。予想もしない時間に仕事をしている、不思議な職業です。

夕食はほとんど私の実家へ子供たちは通い、私の母の作った夕食をいただいて、長女が片付けと皿洗いをして、二人で家へ帰宅するという生活です。毎週の家族の予定は週末に私が予定表を記入して把握し、各人へ写真をとりメール、原本を私の母へ渡すというスタイルです。

長女にはずいぶん文句を言われました。「お母さんが単身赴任なんて、そんな家ないよ」「お弁当、私が作っているといったらみんなに驚かれたよ」「お母さんが帰ってくると家の中が明るくなる、いいなあ。行かないで、ずっといて」寂しい想いをさせているなとこちらもつらくなることもありました。

それでもいわきでの診療は治療で病状がよくなり、喜んでくださる患者さんたちの笑顔や働きがいもあり、医者冥利につきるものです。

人事の都合で、2017年4月からは車で15分ほど離れた同じいわき市内の福島労災病院で一人医長として働いています。まだまだ尿失禁や排尿障害の専門としての私の知名度が低く、そういった疾患の患者さんの来院は少ないのですが、少しずつ認知度を高めていきたいと思っています。約400床と大きな病院で唯一の泌尿器科医としてこんなに必要とされることはない状態です。検査から診断治療、また外来へと病気をトータルで見られるのが泌尿器科の醍醐味です。

労災病院での勤務終了後もまた常磐病院へ戻り、いわきでの診療を続けてまいりたいと考えております。私の場合、子供の成長具合、近隣に住んでいる母の存在、夫の協力が得られた幸運がありました。皆に感謝しています。

女性医師の割合が増える中、多様な働き方のひとつの例としてご参考になればと思います。

(2017年7月25日 医療ガバナンス学会「Vol.154 お母さん泌尿器科医、いわきへ行く」より転載)