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いよいよ幕を閉じる大人気の朝ドラ 『あさが来た』が支持され続けたのはなぜだろう?

2016年03月30日 23時10分 JST | 更新 2017年03月31日 18時12分 JST
時事通信社

朝ドラ史上最高平均視聴率を保ってきた『あさが来た』も、今週いよいよ幕を閉じる。視聴率は上々で、週ごとの平均で20%を割ったことがなく、ここ十数年では最大の人気作品という。

半年という長丁場にわたり、こうも視聴者に支持され続けたのはいったいなぜだろう? 3つの点をあげてみたい。

●その1-主人公がいないドラマ

大胆に言えば、『あさが来た』は「主人公がいないドラマ」だった。もちろん、主人公は波瑠が演じる「白岡あさ」という設定。しかし、話題がスーパーヒロイン一人に集中するという通常のドラマ構成を発展させ、登場してくるさまざまな人一人一人が、それぞれの人生という物語を生きた。

その意味では、「すべての人物が主人公」のドラマだった。

あさが実業界の仕事に熱中すればするほど、その一方で、彼女を静かにしっかりとサポートする夫・新次郎の存在感が際立つ。夫が光ると、同時に、実業界で躍動する五代友厚もまた別の輝きを放った。

明治に入り「銀行」という新しい業種に光が当たったとたん、それまでの両替商という商いを支えてきた大番頭・雁助の存在が浮き上がる。

白岡家の成功と隆盛にスポットが当たれば、むしろ両替商から没落しミカン農家になった姉一家の、自然豊かな暮らしの様子が見えてくる。

あさの活躍に目がいくと、同時に姉のはつの幸せぶりが見えてくる。

お嬢様たちがきらびやかに着飾れば着飾るほど、陰で支えてきた、うめを始めとする女中たちの人生に目がいく、というように──。

いつも誰かが、誰かの力を発揮させてあげていた。

誰かは誰かによって成り立っている。このドラマは、そんな相互的な構造を持っていた。人は決して一人で立っているのではない、というつながりを見せてくれた。

人気の秘密もそのあたりにあるのではないだろうか?

●その2-たくさんの「ロス」が生まれた

正吉ロス、五代ロス、雁助ロス、よのロス、惣兵衛ロス......たくさんの登場人物が去っていくシーンが描かれた。それもまた、この朝ドラの特徴だろう。

それぞれが深い余韻を残して消えていく。必ずしも悲しい淋しいだけではない。

「いい人生だった」という肯定的な言葉や、次世代へのヒント、人生の知恵といったものを残った人に託しながら。

一人一人の人生が深みをもって描かれていたからこそ、たくさんの離別シーンもまた必然的に現れたのだろうし、視聴者の間にロス(喪失感)の感情も生まれたのだろう。

●その3-対立の構図を超えていく生き様

このドラマは一貫して、「対立」の構図を超えていく、しなやかな生き方を描こうとしていたように感じる。

事業を展開しようと強い意志をもってさまざまなチャレンジを試みるあさ。しかし、相手はなかなか受け入れてはくれない。銀行を切り盛りすれば「ろくでもないおなご」と言われ、女子大創設の寄付を集めて歩くと、「あんた誰や?」と軒先で冷たく追い返される。

そんな時、あさは自分の正しさを言いつのって相手を言い負かしたり、論理でねじふせたりしなかった。

「そうですなー、そうですよねぇ、また来ます」と、いわば相手の気持ちに寄り添って一歩引く。

自分の思いは時間をかけて理解してもらう。夫との関係も、娘との関係も、社会との関係も。こうした「しなやかな」姿が、『あさが来た』というドラマの中で繰り返し描き出された。

強い相手を打倒することが勝利ではない。

そうではなくて、強い相手を、味方につけてこそ勝利。

対立の構図を作らずに、しかし流されるのではなく、自分の意志を貫いて生きていく。その姿こそ、視聴者への勇気付けになったのではないか。多くの人を惹きつけ続けた大きな理由の一つではないか。

私はこのドラマを見ながらふと、禅の僧侶・仙厓が描いた「堪忍柳」という図を思い出した。

ビュウビュウ吹きつける風に、しなやかに枝をなびかせる柳の大木。そこに「堪忍」という字。

「気に入らぬ風もあろふに柳哉」。そんな歌も添えられている絵図。

吹き付ける風の中には耐え難い風もある。でも、しなやかであれば木は倒れない。柳は風を受け流し、幹はしっかりと立ち続ける。柔らかさと強さの象徴。

私の中で「堪忍柳」の絵図が、あさと重なった。

──さて、4月4日から始まる『とと姉ちゃん』ではいったいどんな多彩な生き様が描かれるのだろうか。今度はどんな人生へのエールを見せてくれるのか。期待しよう。

(初出「NEWSポストセブン」2016.3.28