宮本武蔵より「時計じかけの木村拓哉」見てみたい

3月15、16日に放送された鳴り物入りのスペシャルドラマ、木村拓哉主演「宮本武蔵」(テレビ朝日系)。視聴率は第1話14.2%、第2話12.6%。なんだかパッとしない結果に終わりました。ネットを見回してみても、視聴者の厳しい感想が目につきます。

3月15、16日に放送された鳴り物入りのスペシャルドラマ、木村拓哉主演「宮本武蔵」(テレビ朝日系)。視聴率は第1話14.2%、第2話12.6%。なんだかパッとしない結果に終わりました。ネットを見回してみても、視聴者の厳しい感想が目につきます。

いったいなぜ、2日にもわたって5時間もかけて、しかもテレビ局開局55周年と銘打ったスペシャルな枠組みで、こんな結果になったのか? みんなの謎です。何が、原因なのでしょう?

このドラマを見て、一つ気付いたことがありました。「真木よう子って、こんなにヘタな役者だったの?」ということ。演技が「下手」、セリフが「棒読み」、女優として「大根」という書き込みがネット上でも見受けられました。やっぱり私と同じように感じていた視聴者は多いらしい。好きな役者さんだったのに、な。

今回の真木さんは、残念な登場の仕方でした。新劇セリフがひっかかって、口から滑らかに出てこない。姿もお芝居も、「お通」というヒロインの役柄に見えてこない。だから、ドラマに没入できない。どんどんさめてしまう。そんな所にも、このドラマ作りそのものをめぐって問題点が現れていたのではないでしょうか。

真木よう子は、いわゆる演技派ではなくて、個性派。テイスト感がいい。持っている雰囲気が独特。その特性を引き出したり生かすような脚本や演出ができなければ、むしろ、彼女の「技術的な不足」ばかりが目についてしまう。「宮本武蔵」は、それが露呈してしまったドラマだったと言えるのでは。

さらに、主役の宮本武蔵には、お通よりも、もっと多くの???が。

そもそも「キムタク」って何なのだろう? この世の中で、今、何を期待されている存在なんだろうか?どんな役割を果たすことを望まれているんだろうか? 「宮本武蔵」はそんな意味からも考え込まされるドラマだった。

誰もが認める超二枚目アイドルの時期は明らかに過ぎ去りました。それでも、役柄を背負い続けて走る男、キムタク。

たしかにこれまでそうした二枚目俳優は何人かは存在した。でも今のキムタクには、多くの視聴者が、もはや「痛々しさ」まで感じ始めているようです。剣豪にはとても見えないキムタクによって、真木よう子の演技ベタまでがはっきりと浮き彫りにされてしまったとすれば。何という悲劇でしょうか。

かつて、トレンディドラマのヒーロー時代に、キムタクとヒロインの演じ方・見せ方には「様式」や「型」がありました。ちょっとした言葉のやりとりを、スピード感あるキャッチボールのようにポンポンと受け渡し、楽しませる技術。口先芝居の軽やかなライブ感。細やかなしぐさやちょっとした目つきから生まれるリアリティ。それが、他のドラマでは見ることのできない、都会的で軽快な魅力となり商品性にもなっていたのではないでしょうか。

でも、少なくとも宮本武蔵にその「様式」は成立せず。だからといって、剣豪としての「型」を見せることもできず。ひたすら剣の道を求める求道者にも見えないし、人を斬る迫力も怪しさも感じない。果たして、キムタクは宮本武蔵の、何を演じたかったのか?

第1話が終った後に、第2話の宣伝もかねてでしょう、キムタクが登場した「スマステーション」(テレビ朝日)。その番組の中で視聴者から問いかけが入りました。

「二人で演じたいのはどんなドラマ?」

質問に、「相棒なんてどう?」と好き勝手にキムタクに問いかける香取慎吾。

一方で、しばらく考えこみ、どんなドラマがいいのか、なかなか答えられず固まったままのキムタク。その姿に、行き先の定まらないアイドルの苦悩を感じとったのは私だけでしょうか?

キムタクが2枚目アイドルから脱皮し、1人の成熟した役者として生きていくには......まず「これをやりたいんだ」という、ほとばしる肉声が聞きたい。他者によって作られるアイドルではなく、自分の意志で演じる道を歩んでみて欲しい。単なるアイドルであることを、越えて欲しい。

たとえば......無茶ぶりということを承知でいえば、キムタク主演の「時計じかけのオレンジ」(監督 スタンリー・キューブリック)なんて、見てみたくないですか? 私は見てみたい。狂気を孕んだキムタクの、どこまでも透明なままに爆発する暴力性。

ロードームービーならば、「イージー・ライダー」(監督 デニス・ホッパー)。あんな映画に挑戦して欲しい。剣道で鍛えた腕っ節でチョッパーバイクを引き回し、社会の硬直した制度と大地を思い切りねじふせて、世の中へのいらだちをぶつける。そんなキムタク、あり得ないでしょうか?

あるいは、二枚目のカードを切るなら、「太陽がいっぱい」。(監督ルネ・クレマン)。アラン・ドロンに学んで、憂いをたたえた退廃的な二枚目を、演じてきってみて欲しい、あっち側まで振り切れて、遙か彼方へ飛んで行って欲しい。アロン・ドランはこの映画で、単なる二枚目を超える挑戦に打って出たのです。

要するに、求められた二枚目像に答えるのはもういい。破綻していいから自分本位の役者へと向かっていって欲しい。そんなキムタクに会ってみたい、と願うのは、もはや私だけではないはずです。

(出典「NEWSポストセブン」2014.03.22)

Miyamoto Musashi Self-Portrait

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