130年ぶりに上演 能「名取ノ老女」は時空間超えた祈りの結晶

その日、国立能楽堂で舞われた能は、なんと132年ぶりに上演された『名取ノ老女』。東北・宮城県名取が舞台となった曲だ。

これだけは、どうしても伝えたい。

伝えておかなければ--

と切羽つまった気持ちになった。

こんな気持ちになることは、日常の中では、そうそうない。

一昨日(2016年3月26日)はそんな日だった。

どうしても伝えよう、文字にしなければ--と落ち着かない気持ちで一杯になった。

そういう舞台に遭遇したのだ。

遭遇する幸せに、恵まれてしまったのだ。

その日、国立能楽堂で舞われた能は、なんと132年ぶりに上演された『名取ノ老女』。

東北・宮城県名取が舞台となった曲だ。

篤い熊野信仰を持つ老女が主人公。一途に祈ることで神に出会い、祝福を受けるという奇譚だ。

東京・千駄ヶ谷 国立能楽堂前にて

『名取ノ老女』は世阿弥の甥・音阿弥が寛正5年(1464年)に上演した記録が残っている。がその後、明治時代の上演を最後に、能として演じられることはなくなっていた。

震災から5年という節目の今年3月に、津波被害を受けた「名取」を舞台としたこの曲を復曲上演しよう、という国立能楽堂の挑戦が始まった。

それはまさに、「挑む」という言葉がぴったりの取り組みだった。

企画公演「復興と文化」で初、132年ぶりの復曲

振り返ると、国立能楽堂では東日本大震災の翌年から「復興と文化」と題した企画公演を続けてきた。

『砧』『花月』『桜川』と、既存の謡曲から選んで上演してきた。

しかし、今回は132年ぶりの復曲を選択した。

上演にあたって昨年9月、能楽師の4名-梅若玄祥、大槻文藏、宝生和英、金剛龍謹は現地へ赴いたという。

津波被害がいまだ残る閖上(ゆりあげ)や名取熊野三山の那智神社、熊野神社、本宮社などを訪ね、現地の空気を吸い、様々なことを感じ取った。その上での舞い。

台本にも細かな工夫が施された。現存している16世紀の台本を検討し、一部修正し新たな言葉や人物を加えることにした。

能では、具体的な土地名を謡曲の中で詠いあげていく「名所教え」という独特な表現様式が使われることがある。土地の名前から、演じ手と観客とが想像の中で場を思い浮かべ、そこにいるかのような疑似体験を味わう。

『名取ノ老女』に、今回新たに「名所教え」の手法が加えられた。

名取川、閖上、高舘山、......

実在の地名が、舞台上の能楽師の口から次々に発せられていく。

ニュースで見た津波被災の残酷な風景が蘇る。

「雪間を分けて萌え出づる、若草待てる風情なり」という言葉が続く。

そこに、早春の風景が重なっていく。

春が少しずつ草木を芽生えさせていく。

土の中から確実に、次の芽が生じていく。

救いへの願い、希望が呼び起こされる。

台本が書かれた500年近く前の東北のイメージも重なりあって、何とも不思議な心地に包まれた。

新しい試みと古い本との融合

小さな登場人物も加わった。もともとの台本には無かった孫娘が登場する。

津波被災にあった土地に、老女と小さな娘とが佇む時、無言のうちに「命は続いていく」ということが伝わってくる。

次世代へ込めた再生への強い思いが、能舞台の上に浸み出し、じわりじわりと客席へ広がっていく。

時に、人はどうしようもない人の力を超える惨劇を前にして絶句する。

祈る。祈るしかない時がある。

祈りは、時空を超えていく。

もう一つ書きとどめておきたいのが、「面(おもて)」のこと。

今回使われた老女の面は、随筆家・白洲正子が持っていた室町時代の面を復元したもの。

一般的に能で使う老女の面は、庶民ではなく貴族のイメージが強く出るため、今回の『名取ノ老女』では庶民的でひなびた風情のある面がないかと探し出し、それを復刻したのだという。

いくつかの新たな工夫が加わる一方、能の様式性はきっちりと保たれ、型は崩れず、重厚で神秘的で緊張感に満ち美しくありつつ、筋は素直にシンプルに入ってくる優れた作品が誕生した。

すさまじい気迫が結晶した舞台

私の前に現れた舞台。

一言でいえば、すさまじい気迫が結晶していた。

能楽師、囃子方、地謡、この舞台の制作に関係した人々の気迫がビンビン痛いくらい伝わってくる。

舞い手の筋肉、囃子方の叫び、太鼓の響き、地謡の跳ねるようなリズム......鬼気迫る空気。

それが風圧となって観客席を揺さぶり、被災地へと視線を向けさせ、現地を訪ねようと思わせてしまう。自分ができることは何なのか、と一人一人が問わずにいられなくなる。

そうした力は、現地の人々の背中を押す力にも転換していくに違いない。

この公演のために作成されたパンフレットに、能楽師たちの言葉が並んでいた。

「...この公演を復興の支援に繋げたいという気持ちはありますが、自分は無力です。能で、被災した皆様の生活が元に戻る訳でもなく、起きた悲しみが完全に癒せる訳でもありません。ただ、観る方々の心の中に、この公演を通じて深く3.11ヘの思いが刻まれるということが、この作品の果たす役割であるように思います。現地を訪れた経験はもちろん影響しますが、その時の自分の感情を人に押し付けないということを心掛け、能楽というもののスタイルで、広く、お客様ひとりひとりに感想をお持ち帰りいただければと思います」

(宝生和英-「出演者のことば」公演パンフレットより)

老女は梅若玄祥(25日)、大槻文藏(26日)。護法善神は宝生和英(25日)、金剛龍謹(26日)。玄祥は節付、文藏は演出も担当。

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