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生命科学の勃興~自然からサイエンスへの賜物(おくりもの)

2014年01月24日 20時08分 JST | 更新 2014年03月26日 18時12分 JST

22000個もの遺伝子をもつヒトの細胞。その細胞が60兆個も集まって構成される私たちの体。遺伝情報が明らかになった今でさえ、60兆個もの細胞がお互いにどう結びついているのかを知ることはできません。脳の中で、一つ一つの神経細胞が電気信号を介し、お互いにどうやって情報をやりとりしているのか、これを完全に把握するのは不可能です。

私達がモノを考え、体を動かすしくみを明らかにすることがいかに困難なことか。でも、もし細胞同士のつながりが可視化でき、飼育も簡単なシンプルな動物がいればどうでしょう。その動物が体を動かすしくみや環境に応答するしくみを、手間暇かけぬ方法で調べることができはしまいか。

遺伝情報を担う DNA。この物質が二重らせん構造をもつことが判明したのは 1950 年代のことでした。神の領域とすら考えられていた遺伝という現象を、物質的に捉えることができるものにした科学史に残る発見は、生物学を根本から変えることになりました。神学的に表現すれば、「神の領域が縮小した」のです。

しかしながら、革命後の世界に生きる私達にとって、一大発見が当時の人々にもたらした衝撃を想像することは困難です。なぜなら、現代に生きる我々の多くは、生命現象は科学的手法で追跡可能であるということを、至極当然のこととして無意識的に捉えてしまうからです。ただし、その当時を知る人々はそうとは限りません。

1950 年代までの生物学は、多くの若者たちにとって、薄暗い部屋でただひたすら動物や植物を解剖し、うんざりするようなラテン語名を延々と記憶するものとして考えられており、現代では考えられないほど不人気な学問でした。それが、エネルギーや物質を語るように生物を記述することができる、いわば天上の世界の話から地上の世界の学問へと大変身を遂げたのです(Brenner 1974b)。

生命現象を化学現象として捉えて研究する生化学という学問は、19世紀からすでに盛んでした。このような基礎があった中で分子生物学が勃興し、従来なら物理学を志していた優秀な若者たちが、大挙して新しい生物学の門をたたきました。そして、約20年の歳月が過ぎようとしていました。

後にノーベル医学・生理学賞を受賞することになるシドニー・ブレナー博士は、体長わずか 1 mm で、体を形作る細胞の総数もわずか 1000個、うにょうにょと動き、飼育も簡単。ほとんどの個体が雌雄同体で占められる線虫という動物に、世界に先駆け注目し、分子生物学的な研究を開始しました。

なぜブレナー博士は線虫に目をつけたのでしょうか。ある論文の中に、博士が着想に至った理由と背景とが簡潔に語られています(Brenner 1974a)。

「必要とされているのは、遺伝学的な研究に適していて、神経系の完全な構造を決定することが可能な実験動物でした」

ポイントになったのは次の二点。

1)神経細胞同士がどのようにつながっているのか、解剖学的に記述可能であること。

2)電子顕微鏡を使って、動物の組織を連続して薄切りにして観察すれば、細胞同士がどのように結びついているか、解き明かすことができる。しかし、視野は限られており、小さな動物が好ましい(もし大きな動物であれば、それだけ切片の数が増え、時間も労力も増大してしまいます)。

2002 年、共同でノーベル賞を受賞することになるサルストン博士らの貢献もあり、一個の受精卵から最終的に約 1000 個の細胞からなる成虫の体が構築されるまでの過程が明らかになりました (Sulston et al. 1983)。生きた線虫の中で、細胞が分裂する様子(図1参照)をひたすら追跡した一連の仕事は、後に重要な研究につながっていきます。

一方では、遺伝情報がほとんどない中で、行動を規定する遺伝子の探索が行われ、うまく動くことができない、あるいは、うまく方向転換できなくなるような行動異常を示す突然変異体が次々と分離されました (Brenner 1974a)。その中には、行動異常だけでなく、体の大きさや形に異常を示すものも含まれていました。

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線虫の中枢神経系で、神経細胞が分裂する様子。縦棒で示された1個の細胞が、35分後には2 個の娘細胞に分裂している。スケールバー:10 μm.
(Sulston & Horvitz 1981 より引用)

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体のサイズが小さくなる表現型を示す、突然変異体の一例. rnt-1 変異体は体のサイズが小さくなる。(A)野生型個体の像。(B)sma-6 変異体の像。(C)rnt-1 sma-6 のダブルミュータントの像。野生型と比べて体の大きさが小さくなる。スケールバー:25μm.
(Ji et al. 2004 より引用)

後の全ゲノム解析から 18,400 個もの遺伝子を持つことが判明した線虫。体の大きさも構造も、ヒトとはまったく異なりますが、そのうちの約 40 % が私達ヒトの遺伝子と相同(よく類似している)であることが判明しています。線虫が持つ相同遺伝子の機能が解明されれば、ヒトが持つ遺伝子の機能を推測することが可能になります。もちろん、お互いに相同でない遺伝子も大量にあり、進化的にもかけ離れた生き物同士、という点には注意を払わなければなりません。

2002 年、ブレナー博士は4人目の受賞者は間違いなく線虫であったと評しながら、次のような表題でノーベルレクチャーを行いました。

"Nature's gift to science" (自然からサイエンスへの賜物)

【引用文献】

Brenner, S. (1974a) The genetics of Caenorhabditis elegans. Genetics 77, 71-94.

Brenner, S. (1974b) New directions in molecular biology. Nature 248, 785-787.

Ji, Y.J., Nam, S., Jin, Y.H., Cha, E.J., Lee, K.S., Choi, K.Y., Song, H.O., Lee, J., Bae, S.C. & Ahnn, J. (2004) RNT-1, the C. elegans homologue of mammalian RUNX transcription factors, regulates body size and male tail development. Dev Biol 274, 402-412.

Sulston, J.E. & Horvitz, H.R. (1981) Abnormal cell lineages in mutants of the nematode Caenorhabditis elegans. Dev Biol 82, 41-55.

Sulston, J.E., Schierenberg, E., White, J.G. & Thomson, J.N. (1983) The embryonic cell lineage of the nematode Caenorhabditis elegans. Dev Biol 100, 64-119.

日本人ノーベル賞受賞者