植物は水のろ過装置となる

私たち先進国に住む人間は、安全な飲料水に容易にアクセスすることができます。ただ蛇口をひねればいい。大規模な水が塩素系の薬品で殺菌処理され、水道を通って我が家まで安全に安価に届いてくれるばかりか、そのまま飲むことが可能です。一方で安全な水にアクセスすることが困難な人々はいまだに世界中に多数いらっしゃる。

■「水」の問題を把握する

私たち先進国に住む人間は、安全な飲料水に容易にアクセスすることができます。ただ蛇口をひねればいい。大規模な水が塩素系の薬品で殺菌処理され、水道を通って我が家まで安全に安価に届いてくれるばかりか、そのまま飲むことが可能です。一方で安全な水にアクセスすることが困難な人々はいまだに世界中に多数いらっしゃる。

安全な水にアクセスすることが容易な状況がどれほど恵まれたことかは、高温多湿な先進国に暮らす我々には直感的に理解することは難しい。大災害時のような、日々当たり前のように供給されるサービスの提供を寸断する強烈な一撃でもって、私たちは日常の便利さに痛感させられるのでしょう。そして再び忘却してしまう。

安全な飲料水へ容易にアクセスできることは、安定した日常生活に欠かせません。世界保健機関 (World Health Organization/WHO) によれば、安全な飲料水や基本的な下水設備が不足していることが原因となり、年間 160 万人もの人々が下痢を発症して死亡している、という報告があります。そのうちの 90% を占めているのが、途上国の 5 歳未満の子供たちであり、深刻な状況が依然としてある。ではそもそも「水の問題」とは何か。ニュースのおじさんこと、池上彰氏のこの質問に対する沖大幹教授の回答が参考になるので、ここに引用しておきます。

「深刻なのはやはり第一に「飲み水の問題」ですね。なにせ安全な飲料水にアクセスできない人が世界では9億人弱もいるのです。

ちなみに、ここでいう"アクセス"とはWHOが定義したもので、1km以内に一人1日20リットルの水を確保できる場所がある、ということが目安です。 1kmの距離を歩くと片道約15分かかるので、安全な飲み水へのアクセスがない人たちというのは、生活に必要な水を得るのに毎日往復30分、家族全員分を 運ぶのに例えば4往復必要なら2時間以上の水汲み労働が必要な計算になります。

そんな状況下にある人たちが9億人弱もいるということに驚かれるかもしれま せんが、これでもずいぶん改善した数字なのです。90年代以降、世界中で「水」の安定供給を標語として途上国支援をしていこうという動きが進んだ結果、安 全な水にアクセスできない人の数は確実に減りつつあります。

実は、安全な水の確保というのは、単純に「命」の問題だけを解決するだけではないのです。水へのアクセスが改善した地域では、子供たちの就学率が改善されたり、女性の社会進出が促進されたりするんですよ(JICA)」。

将来のために教育されるべき子供たちや、社会に益々活躍を求められている女性たちが、単純だが必須で過酷な飲料水確保のために駆り出されている現実を照射しています。飲料水が容易に入手可能な社会が実現すれば、人々の命が救われるだけではなく子供の教育水準の向上や女性の社会進出の促進が見込まれ、社会や経済の発展を期待することができる。

「水」へのアクセスの向上に投資すれば、リターンとして実に6倍という予測値がはじき出されています。これらの詳細な解析、及び報告は引用している pdf ファイルを参照してください(興味をそそるデータがそろっています)。

図1 を見てみましょう。EU 諸国大半(旧ローマ帝国勢力圏)及び先進国と呼ばれる地域は緑で覆われていますが、中央アフリカや BRICs を構成する国々の大半は緑で覆われていません。国土の広さがネックとなり、開発が不十分な地方もあるのでしょう。この中で特に注目していただきたいのがアジア半球、特に東南アジアです。

■安価で安全に「飲み水」を供給する大切さ

これらの地域の発展には、我がニッポンが支出する ODA を含むハード・ソフト両面での支援も力強く貢献しています(青年海外協力隊員の方々の貢献にも感謝の意を表したいと思います)。WHO の統計を見てみても東南アジアは最も直近の 20 年間で下水処理設備が普及した地域として位置づけられています。

世界経済を牽引するアジア半球の近年の発展史の裏には、地味だが重要な活動が下支えしていた面もあるのでしょう。例えば東南アジアでは、下水処理設備の恩恵を受ける人々の割合が 1990 年から 2011 年の間に、27% から 67% まで上昇しているのです (WHO)。予算が限られる中で、ニッポンなりにアフリカの発展に貢献できる面も多々あるのでしょう。

下水設備が普及する一方で、排泄習慣の変革には時間がかかる面があるのかもしれません(オセアニアでは垂れ流しが多い)。 WHO によれば各地域の排泄習慣の変化は、下水処理設備の普及率の変化と比較すれば弱いらしい。また下水処理設備の普及していない地域と、習慣上の問題点のある地域とが共通している点は無視できません(図1と図2)。このような地域では、見た目に安全と思う井戸水がすでに大腸菌などの病原菌に侵されている危険性が高いでしょう。

飲料水確保が困難な地域で、安価に日々の生活に必要な水を供給するシステムを現地の人々と協力して、いかに構築し運用すればいいのか。水道設備が完備していれば、塩素剤による大規模な処理は効果を発揮しますが、小規模な集落にとってはコストが大きすぎます。安定した電力供給と UV ランプのストックがあれば、紫外線による消毒設備を設置できるかもしれません。水を煮沸消毒するか、蒸留水を利用する方法を採用すると、大量の燃料が必要になります。

より安価なシステムが構築できないだろうか。ヒントを自然に求め、ユニークで実に興味深い研究を最近発表したグループがありました。このマサチューセッツ工科大学の研究グループが注目したのは、マツ科植物が備え持っている「水の通路」でした。道管を天然のフィルターとして活用することで、病原菌を除去できるのではないか、と考えたのでした。

フィルター機能を果たす穴の大きさと除去される物質との関係について、まずおおまかに把握しておきます。その一例として東レが提供する海水淡水化装置の模式図を見てみましょう(図3)。この装置では、まずろ過膜(UF: 限外ろ過膜)によって海水に含まれる不純物のうち病原菌やウイルス、プランクトンなどを除去されます。そしてさらに 0.1 nm ほどの水分子しか通過できないほど逆浸透膜 (RO) によって純水が抽出されるのです。

本稿で取り上げる天然素材は、まさにこの「限外ろ過膜」の役割を果たすということです。限外ろ過膜の定義ですが、「UF(限外ろ過)膜は、0.001μm~0.01μmぐらいの孔径を有し、膜の孔径と溶質の分子の大きさによって分子レベルでふるい分けて、溶質の分離、分画、濃縮、精製を行うもの(旭化成ケミカルズ/膜の基礎知識より引用)」と捉えておけばいいでしょう。

■天然の「限外ろ過膜」の性能

適切なフィルターとして機能し得る天然素材が探索され、その中でホワイトパインと呼ばれるストローブマツが有力な候補として見出されました。道管が長く「穴」が大きい被子植物に比べ、短い仮道管と小さな「穴」を持つ裸子植物の方がフィルターとしては適しているようです (Boutilier et al., 2014)。根から吸収された水は細胞間を移動するときに壁孔 (pit) という小さな穴を通過します。この穴には膜 (pit membrane) がついていて、この膜がフィルターとして機能するのです(図4参照)。

フィルター装置の作製方法は簡便そのもので、樹皮を取り除いた後、数 cm3 分の枝をホースの中にセットするだけ。実際に研究グループは赤色色素を溶解した液体を流し、どれほど色素成分が除去されるかを分析しました。この色素物質の一つ一つの粒の大きさはまちまちであり、ろ過前の粒の大きさの分布とそのままろ過されず通過した粒の大きさの分布とが調べられました(図 5A)。

分布図のろ過前とろ過後の大きさの分布の違いに注目すると、ピークが変化していることに気づくでしょう。数 μmの大きな粒子はほぼ完全に除去され、数百 nm にあったピークはろ過後には 80 nm 付近へと移動している。このことは、数百 nm よりも粒子が小さくなると、道管フィルターでは一部除去しきれなくなることを意味します。

次に、不活化した大腸菌をこのフィルターを用いて除去できるかどうか調べられました(図5 BとC)。大腸菌の大きさは 100 μm よりも大きい(図3)ので、壁孔膜を透過することができず、膜上でトラップされてしまいます(図5 B と C)。少なくとも 99.9% の確率で大腸菌を除去できると報告しています。この単純なフィルターを使えば、ウイルスやもっと小さな化学物質を除去することはできませんが、病原菌の大半は除去することが可能です。また、泥水に含まれる小さな砂の粒子は完全に除去されるので、泥水流れる川から澄んだ水を手に入れることができるでしょう。

■天然フィルターが抱える課題

今回の報告では、フィルター機能がただ調べられたにすぎません。例えば大腸菌を除去できる精度は安全性ある設備を設計するために必要なので、さらに詳細な解析が求められます。壁孔膜では防げないほどの小さな粒子である、ウイルスや化学物質を除去することは困難でしょう。ストローブマツよりも小さな「穴」を持つ植物が見つかれば、ウイルスを除去できるほどの素材 (20 nm)が手に入るかもしれません。

研究グループの報告によれば、いくつかの懸案事項があるようです。一つ目の懸念は、一度枝が切り取られて組織が乾燥してしまうと、不可逆的にフィルター機能が著しく低下してしまう点です。フィルター性能が低下しない加工処理法の発明が待たれており、さらなる研究が必要でしょう。

もう一つの懸念材料は、素材の供給源と物流ルートの確保です。裸子植物の大半は針葉樹林ですが、この多くは冷温地域に分布します。この文献で紹介された素材を供給しているうちに、フィルター機能が喪失してしまっては使い物にならない。では例えば、まさに必要とされる現地で素材の供給源はあるのでしょうか。

例えば裸子植物に属し温暖な気候で生育する主としては、グネツム属が知られています。グネツム属はつる性の植物で、枝を切って染み出てくる水はそのまま飲むことができ、原住民はこの特性を利用することで、水筒ももたずに熱帯雨林を探索できます。この植物は、新たな「天然フィルター」の素材候補となる可能性を秘めているかもしれません。

【文献】

Boutilier, M.S., Lee, J., Chambers, V., Venkatesh, V., and Karnik, R. (2014). Water filtration using plant xylem. PLoS One 9, e89934.

湯川秀樹 1949年 物理学賞

日本人ノーベル賞受賞者

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