小笠原泰氏の「なぜ議論ができないのか?」で議論沸騰

小笠原教授が提示したという命題に関して、議論が盛り上がるという興味深い図式になっています。一体どんな意見が交わされているのでしょうか。ハフィントンポスト編集部で、各コメントの要所を一部抜粋する形でまとめてみました。

明治大学教授の小笠原泰氏が、ハフィントンポスト日本版で書いたブログ記事「日本人は、なぜ議論できないのか」が、掲載から5日間で100件を超えるコメントがつく大ヒット記事になっています。

「なぜ議論ができないのか」という命題に関して、議論が盛り上がるという興味深い図式です。一体どんな意見が交わされているのでしょうか。ハフィントンポスト編集部で、各コメントの要所を一部抜粋する形でまとめてみました。

小笠原氏の記事の中でも、特に賛同する意見が多かった部分があります。日本人の慣習を分析した、次の箇所です。

つまり、「こころ」優しい日本人は、言葉にせよ、態度にせよ、自者を積極的に他者に対峙させること自体、とかく攻撃的なので良くないと考える傾向が強いのかもしれない。本来、自者と他者の対峙は、論理的・建設的な議論の前提として必要でこそあれ、攻撃的であるか否かとは別物であるにも関わらず、である。

現に、KY(空気が読めない)に代表される暗黙の疎外圧力は、対峙とは程遠いが、KYとみなされた者に対して極めて攻撃的である。

他者に対して自分の意見を主張すること自体が「攻撃的でよくない」とする傾向が強いという見解です。この点に対して、次々と賛同する意見が寄せられました。

日本では相手が「間違ったことを行った / 言った」時に黙って何もしないのが相手への配慮とされる事が多いように思います。結果的に、誤ったこと、間違ったことは相手の居ない場で誰か他の人に語られ、処理される。良く言えば心遣いに長けた優しさの文化、悪く言えば常に陰口が絶えない不気味な文化です。それが「議論下手」に繋がる遠因ではないかと思っています。

Taiyo Nakashima (2013年05月13日 09時44分

議論を戦わせるテレビ番組見てても、そこここで行われる議論を見てても、異なる意見を交換し合い、相手の意見を理解した上で反論し、生産的な議論がおこなわれるというのよりは、意見の対立が感情的対立になり、個人攻撃のようになっていく人を見ることが多いです。特に女性が目立って意見を言ってると、意見を言っているということ自体に不快感をもってるのかも、と思うような攻撃的な揶揄、野次を飛ばす人もいて、貧しいなー、と思う。

RumiGadogado(2013年05月14日01時57分)

議論慣れしているつもりでも、議論には「相手を不快にさせてしまうのではないか」「意見を受け入れてくれないのではないか」という思いが過剰にはたらくことはあると思う。そして次に、「疎遠になるのではないか」「仲間はずれにされるのではないか」という発想が続く。それが「日本人的」というものなのだろうか。

kenmjp(2013年05月12日 17時58分

また、これとは別に「議論すること」を青少年期に教えてこなかった日本の教育問題が背景にあるという指摘も多数来ています。いくつかご紹介します。

同質的な社会では、フレームワークに従うことが奨励されており、個人の意見を持つ必要がない。義務教育でも議論の仕方など教わらなかった。

arrowindarkness(2013年05月13日 12時40分

日本の教育ではディベートの習慣がありませんが、欧米では、小学校の段階から活発にディベートする文化があり、彼らは議論のテクニックを含めて学びながら育っていると思います。この辺りが、環境要因の違いではないでしょうか?

Rukahi(2013年05月13日 12時40分

議論が苦手なのは、議論の仕方をトレーニングされていないからだと思います。また、議論を自己主張の場としてしか捉えていない人も多いと思います。議論に必要なのは、主観的な意見だけでなく、それを裏付ける客観的な根拠を添えることです。しかし、ほとんどの人は、「それは間違いだ」とか、「僕はこう思う」しか言わないし、反論もその調子でやるので、議論というよりはただの言い合いにしかなりません。

oshifumi Nakagawa(2013年05月10日 11時18分

こうした意見のほかにも、様々な視点からの意見が届いています。小笠原氏が掲げた問題意識である「日本人は議論が苦手なのか?」という点にさかのぼって論拠が説明されていないという理由での反論や、そもそも「日本人が欧米流の議論をする必要はないのでは」と小笠原氏の問題提起そのものを疑問視する意見もありました。

そもそも「日本人は議論が苦手である」という命題は真なのでしょうか? 統計学的に諸外国と比べ日本人は苦手という数値が出ているのでしょうか? 島国根性的な一般論としてこのように語られることが多いですが、なんとなく「諸外国と比べて」という感覚論でしかないような。

ryou takano(2013年05月09日 20時42分

欧米を真似たような方法での議論は当然日本人同士には向かないです。議論が苦手なのではなく、好まないという気がします。ですので、日本人ならではの議論方法で良いと思います。ただ、海外へ出て行く人たちは、欧米風の議論もできるようになる必要はあると思います。なんでも欧米が正解のような考え方こそ時代遅れであると思います。

r yr y008(2013年05月13日 10時03分

最後にご紹介したいのは、この意見。この小笠原氏の記事を元に、「建設的な議論をする場」としてのハフィントンポスト日本版に期待しているというものです。

このトピックこそ、一論者の一記事としてだけでなく、ハフポストにつきつめてみてほしいなと思う。「なぜ議論できないのか」だけじゃなくて、どうすれば建設的議論ができるのか、それを実際にこの場で、何通りもしてみせて、その良さも悪さも出してみて。 なんか、そういうのを期待してる。

Shinsuke Okamoto(2013年05月10日 20時24分

コメントは引き続き書き込めます。「日本人は、なぜ議論できないのか」で、貴方も議論に参加してみてはいかがでしょうか。

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