「相手を隔絶する言葉に人は逆襲される」 "気づき"を誘う画家、山口晃さん

赤い一方通行の標識。画家、山口晃さんに手にかかると、「貯金箱」というタイトルの作品になってしまう。そう言われると、街で見かけるいつもの標識が、貯金箱にしか見えなくなってしまい……。
Chika Igaya

赤い「車両侵入禁止」の標識。画家、山口晃さんに手にかかると、「貯金箱」というタイトルの作品になってしまう。そう言われると、街で見かけるいつもの標識が、貯金箱にしか見えなくなってしまい……。

標識を別の視点から読み解くと……。くすっと笑ってしまったり、うーんとうなってしまう山口晃さんの「解読」

見る人を、そんなちょっとした「気づき」へと誘う山口さんの個展が今、横浜市のそごう美術館で開催されている。山口さんは、古今東西のイメージを卓越した画力で自由自在に再構築する画風で知られ、昨年は京都・平等院養林庵書院の襖絵を手がけた。しかし、第一線で活躍する山口さんの代表的な作品が並ぶ会場の一角に、ちょっと毛色の異なる作品群。題して「山愚痴屋(やまぐちや)澱(おり)エンナーレ2013」だ。

ワインの澱と、横浜市などで開催されている3年に1度の国際美術展「トリエンナーレ」をもじったもので、2003年からスタートした。今年で10周年、4回目を迎え、今回は過去最大規模の開催。山口さんが扮する12人の作家が、20を超える作品を出展している。映像あり、インスタレーションありと、いつもの山口さんとは思えない作品が並ぶ「澱エンナーレ」。果たして、どこまで本気で、どこまで冗談なのだろうか。「実行委員長の山口晃さん」がいわく―—

「澱エンナーレは、現代美術を批評的にとらえていると言われていて、もちろん、そういう部分もないわけではないのですが、対岸に向かって石を放り投げるのではなく、『こんな絵を描きたいな』と思うのと同じように、ただ、思いついたことを作品にしています」

しかし、そこである問題が発生する。「ただ、思いついたはいいけれど、いつもの作品の流れの中にどう位置づけしていいかわからない。そうして、発表を控えていると、どんどんワインの澱のようにたまってゆくわけです。もともと同じワインから分離してしまった澱みたいなものなので、『澱エンナーレ』とつけました」

「澱エンナーレ」には、こんな作品が並ぶ。たとえば、真っ赤な絵の具が一面に塗られた絵。縦2メートル、横5メートルを超える大作だが、「一本の赤い線」というタイトルを読むと、広い面ではなく、さらに大きな面上の線へとそのあり方が変わってくる。

「ダークマター」というシリーズでは、立体のものを平面的にとらえるデッサンの可逆性に挑んでいる。油彩をほどこされた石膏像がなぜか、平面的に見えてくる不思議。会場で配布されているリーフレットには「空間を埋め戻すような山口の作品に、私たちは未知の物質を体感します」と解説されている。

「リーフレットには、こういう鼻持ちならない文章をつけています。鼻持ちならない文章を笑うというのもありますが、自分も頭をよくみせたいと思って、油断すると書いてしまうので……」。現代アートが難解といわれるゆえんは、使われる言葉にある。

「ナラティブ(文芸理論用語で物語の意)がわかりませんでした。奈良美智さんぽくやることか?とか。日本語にしてもらえれば全部わかるのに。当人たちからすると、使い慣れているから下手に翻訳するより、意味がまっすぐ伝わると思っている。でも、角を曲がって見えなくなる言葉は使わないほうがいい。誰もが大通りから見える言葉を使いたい」

なにも、現代アートに限った話ではない。私たちがインターネットで使っている「情弱」というスラング。山口さんは最初、その意味がわからなかったという。「情報弱者っていえばいいのに。新しい意味をまったく含まず、既存の単語を略しただけで、わからなくなる。それを調べて、わかったときの腹立たしさ……」

■「なにごとも地続きなのが大事」

そんな山口さんの言葉への意識が、澱エンナーレの作品中にも表れている。「ニート」や「ADHD」といった用語が、映像と音楽とともに流れてくる作品「サウンドロゴ」。「ニートなんて、何もしていない、したくてもできない人たちを政府の使う言葉でくくってしまうことで、『ただの怠け者だろ、お前』という代名詞になってしまう。もしかしたら、自分もそうだったかもしれないし、家族がそうなる可能性もある。『ADHD』だったら、落ち着きのない子供たちが、医学用語で囲われる。もともとは自分たちの中で起こっていることが、言葉でくくられて、ぷつっと離れてしまいます」

そこには、「なにごとも地続きなのが大事」という山口さんの「相手を隔絶することで、攻撃したり、蔑んだりしてしまうことをなんとかできないか」という思いが込められている。

「両極に分かれないで、中途半端ぐらいが丁度いい。そういう言葉を獲得していかないと、できあがった言葉に人は逆襲され、喰われます。真ん中の丁度いい生き方を用意してあげるといいのかなと。自分の普段の作品もそうかもしれないです。古美術でもない。現代のエンターテイメントでもない。その真ん中らへん。真ん中らへんであるがために、双方の人たちが違うジャンルを行き来ができやしないか……」

澱エンナーレの作品群は、澱のようにみえて、やはり同じワインから生じたもののようだ。そして、最後に「実行委員長の山口晃さん」から一言。

「使命感を持ってやっているようですが、要は自分が中途半端なところにいて、それを肯定するのが、僕の作品です。そのために全精力をかけて中途半端なことをしています。そのためには技術は惜しみません」

「山口晃展 付(つけた)り澱エンナーレ」は、5月19日まで開かれている。

【訂正】当初の記事では標識の種類が「一方通行」となっていましたが、「車両侵入禁止」の誤りでした。

関連記事

山口晃展

山口晃展