「福島に暮らしてよかった」 誇りを見直す冊子「板木」創刊

2013年7月、ある男性の思いから福島市発の小冊子『板木(バンギ)』が創刊された。自然豊かな東北の地に暮らしていたはずが、震災や原発事故を機に環境は一変。福島の人の多くは、この地に暮らし子育てすることに戸惑いを感じるようになった…
木下真理子

2013年7月、ある男性の思いから福島市発の小冊子『板木(バンギ)』が創刊された。自然豊かな東北の地に暮らしていたはずが、震災や原発事故を機に環境は一変。福島の人の多くは、この地に暮らし子育てすることに戸惑いを感じるようになった。

「もう一度、故郷の魅力を福島の人に伝えたい。福島に誇りを持ってほしい」

男性の熱い思いは、福島市役所内にある福島市教育委員会を動かす。こうして誕生した小冊子『板木』は、目を引く写真やデザインが人気となり、販売している福島市内の一部書店では売り切れも多数出ているという。『板木』の発起人であり、福島市教育委員会事務局・文化課主査の安齋哲也さん、編集長の木下真理子さんに話を聞いた。

3.11後の、外で遊ぶことへの抵抗感

発案のきっかけは東日本大震災だった。震災当時は同市役所の長寿福祉課に所属し、高齢者の福祉事業などに携わっていたという安齋哲也さん。震災翌日からは非常時のため、市役所と避難所を往復する勤務が続いたという。そんな日々のなかで、福島の人たちのある思いに気づく。

「震災以降、福島では子どもと散歩をしたり、外で遊んだりすることに抵抗を感じる人が増えました。子どもを外で遊ばせているときに、周囲の視線が気になるという声も聞きました」

福島の人々がおぼえた戸惑いや、子育てに対する不安。安齋さん(写真)は、それをいまもなお感じている人がいると話す。

年中行事の再現イベントで知った、昔の人々の知恵

2012年4月、安齋さんに転機がおとずれた。人事異動により、芸術文化事業や文化財の保存などを行う文化課に配属されたのだ。

安齋さんは、福島市内にある施設、福島市民家園(以下、民家園)の担当となった。民家園は、約110,000㎡の敷地に、江戸時代中期から明治時代中期の県北地方の古民家、会津地方の古民家、芝居小屋などが移築・復原されている文化施設だ。1982年に開園した。

「民家園では、詳しい知識を持つボランティアさんの協力のもと、昔の人々がお盆や節分などの年中行事をどのようにおくっていたか、再現するイベントを行っています。異動後それに参加するようになり、初めて知ることだらけで感動したんですね。年中行事を通じて、昔の福島の人々が知恵や知識を使って自然をうまく生活に取り込んでいたこと、自然と共存していたことが分かったんです。そこで、気軽に外で遊ぶことが難しくなってしまった今だからこそ、すばらしい文化やこの施設を大切にしたいという思いが芽生えました」

『板木』は伝えるための昔の道具の名前

昔ながらの文化や高齢者の持つ知恵と知識を広めるために、広報誌をつくろう。そうして思いついたのが『板木』だった。

バンギ(板木)とは、木の板と槌でできた、福島で昔使われていた伝達手段の道具。部落の中心部で、時刻や集合、急用などを伝える際にカンカンと打ち鳴らされていた。民家園に実物があるという。

「今は、伝統的なものに目を向ける時期だと思うんです。現代版の“板木”をつくり、多くの方たちに民家園へ足を運んでいただいたり、地域に伝わる文化を次世代へ残したりするツールを目指そうと思いました」

安齋さんは、地元でフリーペーパーの編集長を長年務めていた同市在住の木下真理子さんに編集を依頼した。当時、木下さんは震災の影響などで編集業から身を引くことを考えていたが、安齋さんの情熱とその依頼内容に「久しぶりにワクワクしたから」と編集長を引き受けたという。

テーマは「福島で伝える温故知新」

安齋さんは今、木下さんらスタッフと制作に励んでいる。冊子の内容について、安齋さんはこう語ってくれた。

「震災や原発事故は創刊の大きなきっかけになっていますが、震災や事故そのものを『板木』には一切書いていません。また、民家園の案内ばかりをするのではなく、“福島で伝える温故知新”をテーマに、年中行事や民具、風習などについて紹介し、昔ながらの知恵や知識を伝える内容にしました」

創刊号では、「夏のおもてなし」と題してお盆の伝統的な風習を特集。迎え火や盆棚など、現代では馴染みの薄くなってしまった習わしをライフスタイルに取り入れやすいように紹介し、「福島子供盆踊り」などの福島の文化も掲載している。

冊子のサイズは手にとりやすいA5版。知識や経験という形のないものを若い世代に伝えるため、親しみやすいデザインにした。

定価は一冊300円。福島県内の書店で販売されているほか、県外からは通販にも対応している。売上は、民家園にある古民家のメンテナンスをはじめとした施設の運営費にあてられる。

次世代に受け継ぐ価値が見えてくる

編集長の木下さん(写真)は次のように話す。

「取材では、年配の方々が持っている知恵や知識の豊富さに驚きました。聞けば聞くほど、現代とは別世界なんです。例えば、人が裸足で歩いていたとか馬が歩いていたとか、私たちには映画のような話で(笑)。でもそのお話は、今残さなくてはいけないと強く思うことばかりです。自分たちがどういう歴史を経てここに居るのかを知った瞬間、自分の存在価値がそれまでとは明らかに変わります。福島市民であることの自覚と誇りを得ることは、ここに生きる希望にもつながるのではないかと思っています」

また、震災から2年半経った今、福島は新しいフェーズに入っているという。

「もちろんまだ多くの問題が残されていますが、マイナスからゼロへの埋め合わせのときを過ぎて、ようやく『これからをどう生きていくか』を考えるときにきているのだと感じています。先人たちの姿を垣間見ることができる『板木』が、私たちの未来の道しるべとなってくれると思うんです」

次号は2013年9月20日に発行予定だ。3年かけて季刊で計12冊発行する構想だという。

今、歴史を重んじ、同じ方向を向いている安齋さんと木下さん。福島に暮らしていることがプラスになるような、「福島に住んでいてよかった」と思えるきっかけづくりを目指しているのだ。大きな問題に直面しながらも、それでも前に進み、答えの一端を見いだそうとする福島。彼らの姿から、私たちが学べるものは計りしれない。『板木』からは、彼らの熱い思いが伝わってくる。

故郷・福島の魅力を伝えたいという福島市の取り組みについて、どう思いますか? あなたのご意見をお聞かせください。

(構成:小久保よしの

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