エジプトでモルシ前大統領を支持するムスリム同胞団のデモと治安部隊が衝突、死者多数

エジプトでは10月6日、各地でモルシ前大統領を支持するイスラム組織、ムスリム同胞団のデモ隊と治安部隊が衝突、最新情報では少なくとも38人が死亡した。この日は、イスラエルとの第4次中東戦争が開戦した記念日だったと、ハフィントンポストフランス版が伝えている。

エジプトでは10月6日、各地でモルシ前大統領を支持するイスラム組織、ムスリム同胞団のデモ隊と治安部隊が衝突、多数の死者が発生した。この日は、イスラエルとの第4次中東戦争が開戦した記念日だったと、ハフィントンポストフランス版が伝えている。

エジプト軍がモルシ支持派のデモを鎮圧した7月3日(日本時間4日)のクーデターから2ヶ月が過ぎ、この日、治安部隊は、モルシ支持派のデモに備えて通常よりも厳戒態勢を敷いていた。

同時に、軍を支持する反モルシ派のデモも行われ、首都カイロではモルシ支持派と衝突、少なくとも4人が死亡した。

時事ドットコムの最新情報によると、今回の衝突で少なくとも50人が死亡。大規模な犠牲者が発生したのは8月中旬だとして、次のように伝えている。

モルシ派デモに伴う衝突で1日にこれだけの犠牲者が出るのは、治安部隊によるモルシ派座り込みの強制排除を受けてカイロなどが騒乱状態に陥った8月中旬以来。モルシ派のデモは最近、軍や暫定政権が同胞団の弾圧を強めたことで規模が縮小し、犠牲者も減っていた。

(時事ドットコム「モルシ派デモで50人死亡=8月以来の衝突規模に-エジプト」より 2013/10/07 7:37)

クーデター以降、エジプト政府はムスリム同胞団への取り締まりを強化し、組織は弱体化の一途をたどっている。しかし、ムスリム同胞団は引き続き大規模デモを呼びかける姿勢を崩しておらず、さらなる流血の事態が懸念される。

■ 用語

中東戦争

アラブ諸国とイスラエル間の戦争の呼称。第1次中東戦争(1948〜49年)、別名は独立戦争(イスラエル側呼称)、第2次中東戦争(56年)、別名はスエズ危機、第3次中東戦争(67年)、別名は6日戦争、第4次中東戦争(73年)、別名は10月戦争、ラマダン戦争(アラブ側呼称)あるいはヨム・キップール戦争(イスラエル側呼称)である。また82年のイスラエルのレバノン侵攻(レバノン戦争)も広い意味では中東戦争に含めることができる。現在の中東和平の主要な課題は67年の戦争でイスラエルが占領したゴラン高原とヨルダン川西岸地区をめぐる交渉である。この戦争でイスラエルはシナイ半島とガザ地区も奪ったが、前者はイスラエル・エジプト間に平和条約が締結された後に返還した。また後者からは05年に一方的に撤退した。

(コトバンク「中東戦争」より)

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