映画「鉄くず拾いの物語」監督が語る母国ボスニア「社会は、マイノリティの立場で見ると全然違うもの」

愛する人を守るために、人は何ができるだろう―—。ヨーロッパのマイノリティ、ロマの家族に起こった実話を描いた映画「鉄くず拾いの物語」は、観た人の心に問いかける。ベルリン国際映画祭で審査員グランプリ、主演男優賞、エキュメニカル賞特別賞を受賞した本作の監督、ダニス・タノヴィッチ氏が来日。世界人権デーを前に12月1日、監督来日記念のシンポジウム「映画『鉄くず拾いの物語』を通して考える人権とは」が開催された。その模様をレポートする。
映画『鉄くず拾いの物語』

愛する人を守るために、人は何ができるだろう――。ヨーロッパのマイノリティ、ロマの家族に起こった実話を描いた映画『鉄くず拾いの物語』は、観た人の心に問いかける。

ベルリン国際映画祭で、審査員グランプリ、主演男優賞など、3部門を受賞した本作の監督、ダニス・タノヴィッチ氏が来日。世界人権デーを前に12月1日、監督来日記念のシンポジウム「映画『鉄くず拾いの物語』を通して考える人権とは」が開催された。その模様をレポートする。

■実際の当事者が演じた、ロマの家族の物語

映画『鉄くず拾いの物語』は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに暮らすロマの一家を描いている。ロマは、ヨーロッパ最大のマイノリティグループで、国連の統計によれば、現在1200万人いるといわれている。教育を受けられない、また無国籍に近い状態の人たちも多いという。ロマには、ヨーロッパ中を移動するいわゆるノマドと、定住している者と2つのタイプに分かれるが、この映画の主人公たちは、300年間、同じ地に定住している。

夫のナジフは、鉄くずを売って一家を支え、妻セナダと2人の娘の家族で貧しくも幸せな暮らしを送っていた。セナダは3人目の子供は身ごもっていた。

しかし、ある日車の解体作業を終えて家に帰ったナジフは、セナダが腹痛に苦しんでいることに気づく。隣人に車を借りて、街の病院へ駆けつけた2人を待っていたのは、胎児の流産と手術費用980マルク(500ユーロ)だった。

「保険証がなければ、手術はできない」と院長は冷たい決定を下す。今すぐ手術をしなければ、妻の命は危ない。ナジフは「分割で払わせてくれ」と看護師や医師に懇願するが、その願いは受け入れられない。体調が悪化し、もう一度病院を訪れるが、セナダが手術を受けることはできなかった。

なんとかして妻を救うため、ナジフは家族や隣人の助けを請い、国の組織「子供の地」に助けを求める。組織の女性が、一緒に病院に掛け合ってくれることになった。しかし、病院に2度も手術を拒否された妻は「行っても意味がない」と心を閉ざし、家でふさぎ込んでしまう。

そんな窮地を救ったのは、セナダの妹の持つ「保険証」だった――

■ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身の監督が描くロマ

この真実の物語『鉄くず拾いの物語』を描いた監督は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のダニス・タノヴィッチさん。92年のボスニア紛争に参加し、最前線で300時間以上に渡って撮影。その映像は、ニュースやルポルタージュとして世界中で放送され反響を呼んだ。

後に2001年、ボスニア紛争を描いた『ノー・マンズ・ギルド』で監督デビューし、アカデミー賞外国映画賞をはじめ、カンヌ国際映画祭脚本賞、ゴールデン・グローヴ賞外国映画賞など数々の賞を受賞。2009年に『戦場カメラマン 真実の証明』を発表している。

また2008年には、母国ボスニア・へルツェゴヴィナに政党「わたしたちの政党」という政党を立ち上げ、映画監督であると同時に政治的な活動も続けている。

■実際に起こった出来事を、本人が演じる作品

監督が、本作のエピソードを知ったのは、地元の新聞に書かれたセナダの記事を読んだことがきっかけだったという。このエピソードに怒りを覚えた監督は、数日後にナジフとセネダの暮らす村を訪ねた。2人に会ったときのことを、監督は公開に寄せたコメントで、こう振り返っている。

「この夫婦に温かく歓迎されていると感じました。この出来事を通常の映画にするには1年か2年かかかるということで、(プロデビューサーの)アムラと私は意見が一致し1度は諦めました。数日後、私は再び村に戻り、映画で自分たち自身を演じてくれないか、と彼らに提案してみたのです」

数日後、彼らは映画出演に同意してくれたという。こうして、ナジフとセナダは、実際に起こった出来事を、カメラの前で再現することになった。

ナジフやセナダをはじめ、彼らとともに暮らすロマ地区の人たちの協力によってこの映画は誕生した。映画に登場するほとんどすべての人たちは、実際の出来事で同じ役割を担った人たちだ。違う人だったのは、医者を演じた2人だけだったという。

こうして、自己資金1万3000ユーロで、たった9日間で撮影された本作は、まるでドキュメンタリーのようなリアリティと緊張感に満ちた作品となった。

■監督が来日、ロマを知る3人によるシンポジウム

映画を鑑賞した後に開かれたシンポジウムには、ダニス監督と国連広報センター所長の根本かおるさん、元上級代表事務所(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)政治顧問の片柳真理さんが参加。

根本さんはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)にてコソボやアフリカなどで難民支援活動に従事。片柳さんは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで日本大使館専門調査員や、和平合意で文民面を監督する上級代表事務所の政治顧問として活動していた。

まず、根本さんは映画を観た感想について「コソボで出会ったロマの人たちのことを思い出しました。コソボの紛争はセルビア系とアルバニア系の対立で記憶されている方が多いかと思いますが、間に挟まれるかたちでロマの人が傷ついている現実があり、彼らはどちらか強い方につかなくては生きていけなませんでした」と語った。根本さんが雇っていたロマのアシスタントは、アルバニア系の同僚から差別を受けていたという。

■失業率90%超、保険証のない、被選挙権のないロマの人たち

ボスニア・ヘルツェゴヴィナに暮らすロマの人たちの保険証の所有率について、「正確な数字は分かりませんが、90%、もしくは99%のロマの人が失業しているという、恐ろしい状況を耳にしています」と監督は語った。雇用がないと保険証が持てず、それによって学校に通えない子供たちも多いという。

「そのため、多くのロマの方々は、ナジフのように子供に教育を受けさせるために、医療保障のない日雇いの職につくことを余儀なくされています。ですので、保険証を持たない方が治療を受けられるかどうかは、医者の善意によって左右されるのです」と、雇用と教育、医療の問題が複雑に絡み合った現状を説明する。

「ボスニアでは、ロマに限らずムスリム、セルビア人、クロアチア人の主要3民族以外は憲法上”その他”とされ、選挙に立候補をする場すら与えられず、彼らは決して大統領にはなれません」と、片柳さんは選挙制度について説明する。民族と住む場所によって被選挙権が左右されるこの選挙制度。紛争後約20年たっても”その他”の人の権利が認められないという。

左から、片柳真理さん、根本かおるさん、ダニス・タノヴィッチ監督。

■日本でも、誰もがマイノリティになる可能性がある

映画を通じてロマという少数民族を描いた監督は、誰もがマイノリティになる可能性があることを示唆した。

「撮影当初は彼らがロマであることを意識はしていなかったのですが、制作していくうちに、もしセナダが青い瞳で金髪だったら扱われ方が違ったのではないかと考えるようになりました。そして、残念ながら答えはきっと『YES』だったと思いました。我々が考えなければならないのは、我々も違う場所に行けば少数民族になるかもしれないという事です。社会は、マイノリティの立場で見ると、全然違うものに見えるのです」

厚生労働省によれば、2009年の「子どもの貧困率」は15.7%。1人親世帯では5割強が貧困状態とされている。日本で子供の貧困率が深刻化していることについて訊ねられた監督は、私たちにもエールを送った。

「日本という国には、聡明な方々がいるので、社会的なシステムが上手く機能していないと誰かが感じれば、それを変えていける力を持っていると思います。我々は、もっと世界をよく見て考えて行動するという事が重要なのではないのかと思います」

最後に、根本さんは「この映画を観た皆さんが、我々の社会の中のマイノリティに気づくきっかけになれればと思います」と述べ、片柳さんも「この映画のエピソードを日本の事に置き換えて考えてほしい」と語った。

「ぜひ日本になぞらえて観客のみなさんが考えるきっかけになれば最高です」と監督はシンポジウムを締めくくった。

※ロマを描いた映画『鉄くず拾いの物語』の監督が来日し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの今を語りました。「社会は、マイノリティの立場で見ると、全然違うものに見える」という監督の言葉について、どう思いますか? あなたの声をお聞かせください。

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