新卒採用で成績を重視する企業が増加。採用基準が迷走する理由とは?
企業の新卒採用における選考基準が再び迷走を始めている。人物本位に傾いてた採用基準を見直し、大学の成績を重視する企業が増えてきている。また大学ごとの偏差値で学生をあらかじめスクリーニングしてしまう、いわゆる「学歴フィルター」の存在も指摘されており、採用基準はますます分かりにくくなっている。
三菱商事など大手企業15社は、2015年度の採用から従来のエントリーシートに加えて、学生に対して学業成績の提出も求める。大学ごとに異なる成績基準を統一で評価する民間のサービスも併せて導入するという。
学業成績が優秀であることが、果たして仕事ができることにつながるのかという問題は以前から論争の的となっている。
コミュニケーション能力など、いわゆる仕事に有益な能力と学業成績の間には緩い相関があるという研究結果もあり、企業側も、経験則として偏差値の高い大学の学生には仕事ができる人の割合が高いという感覚を持っている。
学歴フィルターの実施や成績重視の動きは、基本的にこの考え方に沿った採用方法といってよいだろう。だがこれは、あくまで偏差値と仕事の能力に緩い相関があることを示しているだけであり、偏差値が高い大学の学生が皆、仕事ができるわけではないところに大きな落とし穴がある。
労働市場における教育の効果については、仕事競争モデルと人的資本理論という二つの考え方が存在している。
仕事競争モデルとは、労働者が今現在持っている 生産性でなく、将来発揮するであろう生産性を基準に採用が行われる仕組みのことである。人的資本理論は、現在発揮することができる生産性を基準に採用が行われるという考え方で、学歴は現在までに身につけたスキルの証明ということになる。
日本では学歴はそれまでに身につけたスキルの証明とは見なされてない。むしろ将来のポテンシャルとして認識されている。日本企業では、現状、ある程度仕事ができることが証明されている低学歴の労働者と、まだ仕事についていない高学歴の学生では、後者の方が有力な採用対象となる。つまり日本は仕事競争モデルが採用されているということになる。
諸外国では、日本のような新卒一括採用をしていないところも多い。その場合には採用の権限は各部署の上司ということになり、その上司さえ望めばどんな人物でも採用候補となる。だが日本の場合は一括採用が基本なので、採用の責任は一般的に人事部門となる。
各部署の上司に採用の責任はないので、使えない人物が入社してきてもその責任を負う必要はない。一方、人事部門としては、仕事競争モデルであることを前提にして、ポテンシャルで採用しておけば、採用した人物が成果を上げなかった場合、やはり責任を負わなくて良いという側面がある。
日本企業がポテンシャル採用をしているのは、誰も採用に関する結果責任を負わなくてもよいという、暗黙の了解が存在しているからである。必ずしも積極的に仕事競争モデルを採用基準としているわけではないのだ。
採用基準をめぐって企業側の対応が迷走するのもこうした部分が大きく影響していると考えられる。もし採用権限が上司に与えられ、結果責任も上司が負う形になれば、上司のタイプによって、仕事競争モデルになる人と、人的資本論になる人に分かれ、採用も多様化する可能性が高い。
応募する学生からみれば、基準がはっきりしていないことは非常にアンフェアに感じるかもしれない。だが学生たちもひとたび企業に採用されてしまえば、結果責任を個人で負わなくてもよいという日本型企業社会のメリットを享受する側に回る。
この問題は、日本企業における社員の評価システムや責任の所在と密接に関係しており、単独で解決できるものではない可能性が高い。
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