「2020年には、やたらベビーカーを運びたがる国に」 ベビーカーおろすんジャーに聞く「未来のつくりかた」

東京メトロ・丸ノ内線の方南町駅(東京都杉並区)に一人のヒーローが立っていた。その名も「ベビーカーおろすんジャー」。日々、改札口までの階段を昇り降りして、妊婦さんやお年寄りの荷物などを運んでいる。正義の味方ならぬ、街の人たちの味方なのだ。
猪谷千香

東京メトロ・丸ノ内線の方南町駅(東京都杉並区)。エスカレーターやエレベーターがまだ設置されていないこの駅の階段を登ると、一人のヒーローが立っていた。グリーンの戦隊もの衣装に身を包んだ、その名も「ベビーカーおろすんジャー」。日々、改札口までの階段を昇り降りして、ベビーカーを始め、妊婦さんやお年寄りの荷物などを運んでいる。正義の味方ならぬ、街の人たちの味方なのだ。

ある土曜日、出動したベビーカーおろすんジャーがいつものように方南町駅東口に立っていると、ベビーカーを押した女性が出現。さっそく女性に声をかけて、改札口までベビーカーを軽々と運ぶ。再び地上へ戻ると、今度は高齢の女性3人組が通りかかった。そのうちの一人が「彼はベビーカーおろすんジャーっていって、この街の人気者なのよ!」と他の女性たちに説明。彼と握手をして笑いながら去っていった。この不思議なヒーローが2013年5月、方南町駅に出現してから、この街はちょっとずつ変わったのだという。

彼の正体は、駅から徒歩数分にある自然食品店「スーパースーパー自然や」で働く28歳の男性。彼はなぜ、ベビーカーおろすんジャーに変身するのか。この街で一体、何が起きているのか。素顔のヒーローに尋ねてみた。

■ヒーローが方南町駅に誕生した理由

意外にも、ヒーローの歴史は長い。「ベビーカーおろすんジャーの活動は始めて半年ぐらいですが、6年前からあの格好で方南町の掃除をしていました。タバコのポイ捨てが気になって……」と話す男性。最初は普段着のままで掃除をしていたが、「道行く人たちと知り合いでもないし、店の前でお兄ちゃんが道を掃いているのかなと思われる程度で、そんなに面白みがなかった」という。

もう少し、街の人たちと触れ合うことができないかと考えた時、思いついたのがあのスタイルだった。「もともと、何年か前に方南町の祭りでタコ焼き屋を出した時、あの格好でやってみたら、子供たちが集まってきた。おじさんたちからも、あの人何?と見てもらえたことがありました。僕に何か特徴や特技があればよかったのですが、何もなかったので、あの格好でやってみることにしました」

ちなみに、なぜグリーンの衣装なのかといえば、「自分はレッドの器じゃないので」とはにかむ。グリーンを選んだのは「野菜が好きだから」という理由からだ。

掃除の活動を続けているうちに、勤め先のお店に来る子連れのお母さんたちから、方南町駅の階段でベビーカーが運べずに困っていることを聞く。「エレベーターのある隣の駅まで歩くお母さんもいました。これはまずい。僕は地方出身なのですが、上京してずっとこの地域に暮らしていて、この街に何かしたいと思っていました。最初は掃除ぐらいしか思いつかなかったのですが、問題が見えてきた。力になりたいと思ったのが、ベビーカーおろすんジャーのきっかけでした」

1日のうち、お店が比較的余裕のある時間帯に2時間ほど、方南町の駅に立ち始めた。通りかかる人たちに「こんにちは」と声をかけると、最初は「気持ち悪いな」という目で見られていたが、「悪いことをしているわけではないので(笑)」、徐々に街の人たちが慣れていってくれたという。顔なじみのお母さんたちもできて、困った時には駅に駆けつけるので知らせてほしいと、メールアドレスや携帯電話の番号を渡した。

しかし、連絡は来ない。「いちいち、メールや電話で頼みづらかったようです。パソコンやネットに疎いのですが、7月からツイッターを始めて、いつ駅にいるのか知らせておくようにしました。仲の良い人からはDMが来ます。やってみてよかったです」

■ベビーカーおろすんジャーへの反響は問題の深さ

ツイッターなどの口コミでベビーカーおろすんジャーの地道な活動が広まり、やがてマスメディアでも取り上げられるようになった。8月にはロイター通信も報じるなど、海外でもその活動は絶賛。街での人気も高まり、ついに「応援ソング」を作る人まで出現し、今では街で知らない人はいないヒーローになった。

しかし、「不思議な感じです。僕からしたら、やりたいことの5%しかやっていない」とあくまで謙虚だ。「ベビーカーおろすんジャーの活動は、まだ始まっていないぐらいなのにこんなに反響があったということは、それぐらい皆、困っているんだと思いました。僕自身は自転車や徒歩での移動が多く、駅を使いません。だからお店でお母さんたちに話を聞くまでベビーカーのことなんて、全然気づいていなかった。怖いなあと。皆声をかけるのは苦手だし、お母さんたちも助けてとはなかなか言えない。そこが変わればいいなあと思います」

ベビーカーおろすんジャーが駅で立っているということは、誰かが困っているということなのだ。彼はメディアなどのインタビューで、「他の色のヒーローも募集している」と答えている。その真意は、大勢で戦隊ヒーローのコスプレではない。「僕が東口にいたら、誰かが西口にいてほしい。方南町駅でなくても、別の駅でもいい。いつでも、どこでも、格好もなんでもいいからやりましょう、という目的で募集をしています」

■方南町駅でサラリーマンがベビーカーおろすんジャーに変身!

彼には思い描く未来がある。「方南町の駅って、皆がやたらベビーカー持ちたがるよねって、そういう駅になればいいなと思っています。方南町駅からそれが広がって、東京オリンピックの時には海外から来た人たちが、日本人はやたらベビーカー持ちたがるよねって国になれば」と笑う。

その一歩は、確実に前と向かっている。「最近、お母さんたちによく言われるのですが、方南町駅でサラリーマンの人から、『僕がベビーカーおろすんジャーやりましょうか?』と声をかけてもらってるらしくて。2014年はそれをもっと広めて、困っているのはベビーカーのお母さんたちだけじゃないので、例えば、一人で暮らしているおばあちゃんの家に『電球かえるんじゃー』が現れたりしたいですね」

私たちの誰もが、ベビーカーおろすんジャーや他のさまざまなヒーローに変身できることを彼は教えてくれた。明日から、街で困った人を見かけたら、変身してみてはいかがでしょうか?

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