ワールドカップ50年間の歴史を写真で振り返る【画像集】

ワールドカップまで残りわずかになった今、50年間の大会の歴史を象徴的な写真と共に振り返ってみよう。それでは1966年大会から始めよう。
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ワールドカップまで残りわずかになった今、50年間の大会の歴史を象徴的な写真と共に振り返ってみよう。それでは1966年大会から始めよう。

イングランド '66
「彼らはもう勝利を確信しているのでしょう…そして今、終わりました。」イングランドのサッカー史において最も有名な写真の一つだろう。この瞬間、ジェフ・ハーストはワールドカップの決勝でハットトリックを達成する最初かつ唯一のプレーヤーとなり、イングランドの優勝を西ドイツから手繰り寄せるダメ押し点となった。広範囲の構図、後ろに映るスコアボード、ウェンブリー・スタジアム、削られたピッチ、飛んでいるハーストの姿がまさしく、象徴的なイメージだ。
メキシコ '70
ペレにとってのワールドカップ最後の試合となった1970年大会決勝で先制点を挙げ、ジャイルジーニョの腕に飛び込む。光り輝いていたブラジル代表は、決勝を飾るに最もふさわしく、6試合で19ゴールを挙げたように、エスタディオ・アステカでの忘れがたき4点目の最後のゴールは特に印象的であった。
西ドイツ '74
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最高のチームがワールドカップで勝てないのは何故?ヨハン・クライフ、ヤン・ヨンクブルート、アリー・ハーン、ピート・カイザー、ウィム・ライスベルゲン、ヨニー・レップ、ヴィム・スールビール、ビム・ヤンセン、ヴィレム・ファン・ハネヘム、ルート・クロル、ヨハン・ニースケンス、西ドイツ戦のオランダ代表のスターティングメンバーである。クライフのユニホームがアディダスの3本線ではなく2本線なのは、彼のスパイクを提供していたのがプーマだったから。
アルゼンチン '78
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決勝戦でのアルゼンチンの優勝は、現地の観衆がブエノス・アイレスのエスタディオ・モヌメンタルを青と白で埋め尽くし、紙や紙吹雪が舞う中で決まった。正に、アディダス・タンゴの大会であった。
スペイン'82
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大会決勝で西ドイツを突き放す2点目を決めて雄叫びを上げるイタリアのマルコ・タルデッリ。イタリアは44年ぶりのワールドカップ優勝を飾り、写真に映るユベントスの選手は、テレビのイメージとは違い、純粋に感情を爆発させた。
メキシコ '86
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「1点目が反則なら、2点目は大会で最も素晴らしいゴールの一つだ。」控えめなバリー・デイヴィスがマラドーナの独創的な単独ゴールをイングランドに決めた後の言葉である。「神の手」は恥ずべき行為ではあったが、イングランド側が彼を咎めなかったことが、マラドーナの威厳を示す何よりの証拠となった。この写真はピーター・シルトン自身の責任であることを描いている。165cmしかない相手に飛び越えられるなんて
イタリア '90
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イエローカードを貰ったことにより決勝に出場できないことを知り涙がこみ上げるポール・ガスコインであったが、その後、西ドイツ相手にPK戦で敗退し、どのみち涙を堪えることはできなかった。90年のイタリア大会におけるイングランドの偉大で勇敢な敗北は、1966年以来のワールドカップにおける成功であった。
アメリカ '94
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パサデナでの決勝でPK戦を制し、飛び跳ねるブラジルの選手たちとシュートを外し、下を向く意気消沈したロベルト・バッジョ。フランコ・バレージとダニエロ・マッサーロも同じくPKを外していたが、ロベルト・バッジョは5ゴールを挙げ大会を彩った。決勝戦で失敗をするストライカーは彼が最後ではなかったが…
フランス '98
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ロナウド、絶望、フランスとの決勝で3-0の敗北。世界一のプレーヤーと称されたインテルのストライカーは、決勝前夜に胃潰瘍に襲われ、試合の72分前まではスターティングメンバーから外されていたが、出場を直訴しマリオ・サガロ監督の判断で出場することとなった。大会ではすでに4ゴールを記録していたエースは影を潜めた。
日本・韓国 '02
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横浜でのロナウドのリベンジが大会のハイライトではあったが、2002年大会の揺ぎないイメージといえばアルゼンチン代表の女々しい壁だろう。優勝候補の一角だった彼らだが、悲惨な結果に終わったグループステージで唯一勝利した試合での皮肉な一枚である。ナイジェリア戦の勝利後、イングランドに敗れ、スウェーデンによって敗退を決定付けられた。アリエル・オルテガ(写真左)、ハビエル・サネッティ(左から二人目)、ガブリエル・バティストゥータ(真中)、そしてディエゴ・シメオネ(右)はその後ワールドカップのピッチに立つことはなかった。
ドイツ '06
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ジネディーヌ・ジダン、彼の世代では最も優れたプレーヤーであったが、激昂しやすい性格が祟り、キャリアで退場になった回数はあのロイ・キーンよりも多い。現役最後の試合だった2006年大会決勝で、イタリア代表センターバック、マルコ・マテラッツィへの頭突きにより退場となってしまった。主審のオラシオ・エリソンド氏はすでに、準々決勝でリカルド・カルヴァーリョの股間を踏みつけたウェイン・ルーニーを退場処分にしていたが、この試合でも再びレッドカードを披露することとなった。ジダンは試合前から大会を最後に引退することを表明しており、日本人カメラマンが捉えたピッチを後にする彼とトロフィーの構図がとても重々しい。
南アフリカ '10
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記憶の中に残る最低のワールドカップであったが、スペインは大会のベストチームで相手を無力化させてしまうほど強かった。オランダは決勝で披露したアンチ・トータルフットボールで批判を受けたが、アフリカならではのへつらいや、知識のない観客とブブゼラによって台無しにされた本大会は、彼らの行いによって更に台無しにされた。ナイジェル・デヨングによるシャビ・アロンソへの恥ずべき胸への一撃は、忘れがたき決勝戦における最も忌まわしい瞬間となった。

[(English) Translated by Gengo]

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