福島第一原発の海で何が起きているのか? 放射線量の測定から見えてきた福島の現在

福島の海で何が起きているのかを知りたい−−。そんな思いから立ち上げられた福島県いわき市の市民グループ「うみラボ」が4月27日、東京電力福島第一原子力発電所の沖合で放射線を計測する会を開催した。
鷲羽晶

福島の海で何が起きているのかを知りたい−−。そんな思いから立ち上げられた福島県いわき市の市民グループ「うみラボ」が4月27日、東京電力福島第一原子力発電所の沖合で放射線を計測する会を開催した。専門家とともに地元以外の人々も参加して、船上から空気、海水、海底の土を測定。それらの数値から見えたのは、原発やフクシマという言葉とともに語られてきたおどろおどろしいイメージからは決して見えてこない、等身大の福島の姿だった。

■地元市民や水産業関係者が立ち上げた「うみラボ」

午前9時、久之浜漁港。ここは福島県内の旧警戒区域外の漁港のうち、もっとも原発に近い漁港だ。岸壁に建ついわき市漁協の事務所は、津波で1階部分が浸水した。2階部分で事務所営業を続けるが、穴の空いた痕が今も生々しく残る。岸壁には釣り糸を垂れる釣り人の姿も数人見える。風はなく、暖かな春の日だ。

原発事故前、漁業はいわき市の主要産業でもあった。生活を支える場である地元の海に何が起こっているのか。そんな思いを持つ地元市民や水産業関係者が立ち上げたのが「うみラボ」だ。漁業や水産業、福島の魚の生態の勉強会などを開催しているほか、昨年末に原発湾外で海の放射線量を計測、分析を行った。

今回は第2回目の測定会となる。東北大学で原子核物理を学んだ後仙台市内でIT関連会社を営み、震災後に市民測定所を開いた放射線計測の専門家・津田和俊さん、原発事故後県内の生物や水、生産者や市民からの依頼による食品や生物などの放射能計測を定期的に続けている地元水族館「アクアマリンふくしま」の獣医師・富原聖一さん、千葉県柏市で農家、消費者と共同で放射線測定や情報発信を行うプロジェクトを手がけた、五十嵐泰正・筑波大学社会学類准教授が同行した。

久之浜漁港から原発までの“足”を提供してくれる釣り船「長栄丸」は、事故前に原発港湾のすぐ沖合で操業していた、富岡町の石井宏和さんの所有する船だ。現在、福島県内では、放射性物質検査で長期間検出がないことが確認されている31魚種を規定量だけ漁獲する試験操業を除き、すべての漁業操業を自粛している。

地域の他の漁船がすべて津波で流された中、唯一残った、石井さんが身を挺して津波から守ったその船に今回は乗せていただいた。

■広野火力発電所と福島第二原発を眺めながら進む

ライフジャケットを着込み、船に乗り込む。海は青く、光っている。しばらく航行すると進行方向左手に広大な火力発電所が見えてくる。広野火力発電所だ。第一原発への前線基地となったJビレッジは広野火力のすぐ裏手にある。

広野火力発電所

石油・石炭、古くは天然ガスを燃料とし、原発停止後、首都圏への送電を一手に担ってきた広野火力。いわき市小名浜にはここ広野火力への石炭を運ぶための中継基地「小名浜コールセンター」があり、これを移設するとともに、市内に洋上風力発電の量産化基地を作り、企業を誘致する計画もあるという。原発の地元であるだけではなく、火力、風力、水力発電など様々なエネルギーの“産地”として今後産業復興をしていく。そんな青写真もいわき市では描かれているようだ。

船は洋上をさらに北へ進む。しばらくして見えてくるのが何キロも何キロも続く、巨大な城壁のように直角に切り立った断崖絶壁だ。

福島県浜通りは、北部の相双地区、南部のいわき地区の2つに分かれている。古くから「いわき七浜」と呼ばれ、海岸線と漁港を擁したいわき地区に対し、相双地区、特に大熊町、双葉町近辺にはこのような地形が理由で船が接岸できる漁港を作ることが困難で、港の数もいわきに比べると少ない。それがかつて、産業振興のため原発を誘致した理由の一つと言われている。断崖からはところどころ小さな沢が滝を作っているのも見える。地下水脈が流れる土地だということもうなづけた。

断崖が途切れると、不意に白い既視感のある建物4棟が視界に飛び込んできた。福島第二原発だ。第一原発の6号機とほぼ同様のタイプのものが4基。第一原発と同様に送電系統と喪失し冷却機能を喪失し、2011年3月12日には圧力抑制室内の温度が100度を超えた。15日になんとか冷温停止したものの、第一原発と同様の炉心溶融になるまで紙一重のところだったという。見た目には津波と地震の被害のあとはほとんどわからない。海に非常に近いところにあるのが印象に強く残った。

福島第二原発

第二原発のすぐ先には富岡町がある。海岸のすぐ近くに富岡駅の駅舎が見える。瓦礫やクルマ、落ちた屋根、倒れた高架線、曲がった店舗の看板がそのまま残る。3年前の震災の時のまま時が止まっているかのようだ。富岡町は全町避難が続き、町への帰還開始は17年からとされている。復興が進む宮城県以北の沿岸地域と比べても、その道程の長さを重く感じた。

富岡町

■福島第一原発の沖合1.5キロ地点で空気、水、海底土を計測

灯台が建つ小さな岬や元は漁港として使われていたという入江を過ぎ、いよいよ第一原発が視界に入ってきた。1号機から4号機までの番号が薄く青字で残るのが見える位置まで近づく。ニュースで度々流れる、建屋が吹き飛び、ぐにゃりと曲がった鉄骨がむき出しになった痛々しい姿の原発はそこにはなかった。

工事用クレーンが何本も建ち、11年10月に設置された1号機のカバーに続き、4号機にもカバーと新しい黒い鉄骨が付けられている。発電所の敷地に隣接する民間の建物が、津波の被害そのままで穴だらけで残っているのに比べても、3年間の間にいかにここに大量の重機や人の手が入ったかが見て取れる。福島と日本に重大な被害をもたらした事故現場。だが、3年を経て洋上から見えたのは、意外なほどに平穏で、少しずつながらも廃炉に向けた工事が進んでいる現場の様子だった。海面にはたくさんの水鳥が何事もなかったかのように遊んでいた。

福島第一原発

船を沖合1.5キロ地点に停泊させ、さっそく空気、水、海底土の計測にとりかかった。持参した空間線量計の値は毎時0.05マイクロシーベルト。原発はすぐそこに見えるのに、線量は平均的な全国の線量とほとんど変わらないのに驚く。「放射線のガンマ線は空気中を100メートル飛ぶと約半分に減衰する。さらに空間線量は、宇宙線や建物の建材、大地由来の放射性物質の影響を受けるが、海上ではこのうち大地の分がなくなるため線量は低くなる」と津田さんが説明してくれた。

持参した容器で海水を採取、専用の採泥器を使って約12メートルの水深から海底土も採取した。波しぶきを盛大に浴びながら帰途につく。アクアマリンふくしまで富原さんがさっそく検査を行う。汚染水問題が報道されてから、原発からは絶えず海水に汚染水が放出されているというイメージを持つ人は多いかもしれない。だが、公的な調査では、海水中の放射性セシウム137の量は事故後一貫して下がっている。水道水の基準値が1リットルあたり10ベクレルだが、原発港湾外の海水はこれを11年9月の時点ですでに下回っているのだ。その後は小さな変動はあるものの、ゲルマニウム半導体検出器で検出限界値をぎりぎりまで下げて計測しないとわからない程度の0.1ベクレル単位での増減にとどまっている。

専用の採泥器を使って約12メートルの水深から海底土も採取

■「海はつながっているので無制限に汚染」は事実か?

前回、「うみラボ」でアクアマリンふくしまで計測を行ったところND(検出限界値以下)という結果が出ており、より精密な分析とストロンチウム検査のために他機関に分析依頼をしている。今回採取した海水も精密検査に出すという。今日は持ち帰った海底土を水族館所有の検査装置で計測する。マリネリに泥を詰め、装置にセットし待つこと約30分。セシウム134、137合わせて1キログラムあたり417ベクレルという数値がでた。

「仙台湾の泥とだいたい同じレベルですね。当然のことながら、原発周辺の陸上の土と比べてはるかに低い」(津田さん)という結果だ。11年に大熊町が行った土壌調査では、1平方メートルあたり150万ベクレルという結果がでていることを考えると、確かにかなり低い。“海は繋がっているので無制限に汚染されている”という言い回しが事実でないことも改めて実感できた。

海底土を水族館所有の検査装置で計測する

「行政や国の検査結果を信用しないわけではない。ただ自分の手でそれをきちんと確かめることでダブルチェックによる納得の効果はある。いわきで暮らす中で、放射能と向き合う生活は既に日常になっており、どうせやるなら楽しく学びながらやりたい」と主催者である小松理虔(こまつ・りけん)さんは話す。確かに今回、限られた範囲の調査ではあるものの、公的な放射能検査の内容を裏付ける内容が出たことはより安心感をもてた。

未曾有の被害をもたらした原発事故。廃炉や本格的な福島県の一次産業復興への道程もまだ遠い。だが、そこから日常を、地場産業を取り戻すための動きは様々なレベルで、少しずつ前に進みつつある。それを確かに感じた今回の計測だった。

【ライター 鷲羽晶】

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